・山のどうぶつ 猪鍋に初遭遇してきました。見た目は豚肉とほぼ変わりなく、お店の方に「これ、猪なんですよ」と教えていただかなければきっと気付かずにいたと思います。味は、牛肉と似た感じのような……? これは猪である、と言い聞かせつつ食べたせいか、脂身部分は少しワイルドな味がしたような……? 味のレポートはあやふやながら、亥年に猪を食すというのは、なかなかに貴重な体験です。ついでに、干支の中で食べられる動物は? と考えてみたのですが、竜(タツノオトシゴ)は薬になるんじゃなかろうかとか、そういえば昔どこかの朝市で猿の頭蓋骨が売っていただとか、幼き日の恐怖体験まで思い出してしまったので、ほどほどにしておきます。ちなみに私の干支は食べられます。 ・海のどうぶつ 猪に続いて初挑戦したのが、なまこです。話は逸れますが、私は「なまこ」と「なめこ」をとりあえず両方言ってみないことにはどっちがどっちなのか分からなくなってしまいます。なめこは大好きです。 酢の物になったなまこだったのですが、人間の想像力というのは時に邪魔なもので、どうしても生前の姿が思い浮かんでしまい、箸をつけるまで躊躇うことしばし。やっと口に入れてみたものの、一噛みで全てを悟り烏龍茶で飲み下してしまいました。なので、味がどうだったかは残念ながらお伝えできません。ただ、食感はナタデココに似ていたような気がします。 ・占いのどうぶつ かつて一世を風靡した「動物占い」の進化形、「新動物占い」なるものがあるらしい、という情報を得て、早速占ってきました。どんな風に進化したのかというと、基本の動物たちが性格によって更に詳しく分類されたもの、とのこと。 結果、私は「人当たりがよい黒ひょう」だそうです。「人当たりがよい」と「黒ひょう」とのミスマッチが、新鮮ですね。 適当に生年月日を入れて占ってみたところ、他には「意思の強いコアラ」さんや「可憐なチータ」さん、「ファイト溢れる小じか」さんなどなどがいらっしゃる模様。「可憐なチータ」さんというのは、なんだか素敵です。 ・文字のどうぶつ 一念発起して、ペン習字など習い始めてみました。今は、小学生になりたての子どもの頃に戻ったような気分で、ひらがなを綴る日々です。 改めてじっくり眺めてみると、ひらがなというのはどれもこれも不思議な形をしています。北村薫さんの『詩歌の待ち伏せ』という本の中で、ひらがなの「れ」がカンガルーに見える、というような詩が紹介されていたのですが、その気持ちがよく分かります。動物ではありませんが、私には「ぬ」がキャベツに見えてきてしまい己の目を疑いました。どこが、と言われても、説明はできません。 ・風邪ひきどうぶつ 人間だって動物です。 水曜日に突如として風邪をひき、いつものごとく扁桃腺の熱を出し、いつものごとく声を枯らしておりました。具合が悪くて寝込むと、本だけはよく読めますが、折角休みを取っても損したような気分になってしまいます。 今はおかげさまでずいぶんよくなりましたが、ひたすらに眠くて仕方ありません。これはまだ完治していないという意思表示、充分に休養しろというサインだと(好意的に)捉えて、動物尽くしはこの辺りでお開きです。
やっと今年分まで追いつきました。10日分まとめて、読書記録更新状況。 2006/5 『ぬしさまへ』 畠山恵 2006/6 『ソラリスの陽のもとに』 スタニスリフ・レム 2006/7 『砂の女』 安部公房 『世にも美しい数学入門』 藤原正彦・小川洋子 2006/8 『天使と悪魔 上・中・下』 ダン・ブラウン 2007/1 『重力ピエロ』 伊坂幸太郎 『江戸東京《奇想》徘徊記』 種村季弘 過去分は、残り三冊です。 近頃、珍しくまめな更新が続いたせいか、読書録ブログ(作者も忘れがちですが、「彩色本棚」というちゃんとした名前もあります)へのお客様の入りも割と順調です。有難いなあ嬉しいなあという思いと、こそばゆいなあ照れ臭いなあという思いとが半々です。
後ろ向きに歩く人は不思議です。 何が不思議かと言えば、「後ろ向きに歩くこと」そのものではありません。誰かにぶつかったり、自分が転んだりする危険さえ避ければ、案外楽しいかもしれないのです。 確かに遭遇率としてはそれほど高くないですが、確率としては、クローバーの群生地で四つ葉を見つける程度の運だと思っていだければ近いかと思われます。ちなみに私は、四つ葉を見つけるのが得意です。特殊なセンサーが働くのです。京都市内を走る四つ葉タクシーは、これまでに二度目撃したことがあります。 閑話休題。 後ろ向きに歩く人は不思議だ、という話です。 後ろ向きに歩いている、ということはつまり、背中がこちらを向いているわです。背中がこちらを向いているということはすなわち、その人は自分から遠ざかって行くはずだと、ごく自然に予想されるということです。けれども、後ろ向きに歩く人の場合その予測は成り立ちません。なんと、こちらに向いた背中がぐんぐん近付いてくるのです。まるでだまし絵でも見ているかのように。まるでそこだけピンポイントに時間が巻き戻ってでもいるかのように。 真面目なことを書いてみようと心掛けたつもりが、冗談なんだか本気なんだかという文章になってしまいました。後ろ向きに颯爽と歩くのは思いの外難しい、というのが本日の教訓です。試してみれば、良く分かります。
仕事帰り、バスの窓からコンビニの看板が見えました。冬のコンビニといえば、おでんに肉まんなどなど、魅惑的な温かいモノが豊富です。ホットのペットボトルも嬉しいですね。もっとも私は極度の猫舌で、穏便に飲めるようになった頃にはごく普通のペットボトルと化しているのですが。 ああおなか空いたなあ、と情けなく心の中で呟きながら、ふと疑問に思ったのです。ローソンって、なんでローソンって言うんだ? 疑問と言えばもうひとつ、看板にイラストにはどんな意味があるのだろう? これまで漠然と、ミルク缶みたいだねと思ってはいたものの、その真実を追究したことは未だ無く。 で、調べてみました。こんな時に役立つインターネット。ローソンのサイトへGO! です。 「ローソンの秘密」によると、ローソンという名前はアメリカで牛乳販売店を営んでいたローソン氏に由来するそうです。ローソン氏の牛乳は、美味しいとご近所で大評判、毎日訪れる多くのお客の要望に応え、食料品や日用雑貨など品揃えを増やしていくうちに、今のような「コンビニエンスストア」の形態が出来上がったとのこと。ローソンの看板にミルク缶(やっぱりミルク缶でした)が描かれているのもそんな歴史を背景にしているのですね。ちなみに、ローソンの色である青は、ローソンさんの牛乳販売店があったアメリカはオハイオの空がイメージだそうです。 これからローソンを訪れる際には、看板を見上げてオハイオの綺麗な空に思いを馳せてみて下さい。 引用元はこちら。 「ローソンの秘密」 http://www.lawson.co.jp/himitsu/index.html
読書記録更新状況。 2006/9 『希望のしくみ』 アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司 『陽気なギャングが地球を回す』 伊坂幸太郎 『天切り松闇がたり第三巻 初湯千両』 浅田次郎 もう少し続きます。 もう何年前の話だろうか、などと振り返っていると段々気が滅入ってくるので、近頃はあまり考えないようにしていますが、今日は成人の日でしたね。 爆弾低気圧なる、なんとも不穏な名前の嵐に見舞われた中、振袖で歩くのはさぞや大変だったのでは、とニュース映像を見つつ老婆心ながら思っていました。 成人式を迎えられた皆様、おめでとうございます。 門出があれば、別れもあるもの。 児童文学作家のフィリパ・ピアスさんが昨月お亡くなりになったそうです。『トムは真夜中の庭で』は、子どもの頃の愛読書でした。すっかり大人になってしまった今でも、大きな古時計が時を打つのを聞くと、もしかして13回鳴らないかしらん、と密かに期待してしまいます。 ご冥福をお祈りいたします。
読書記録更新状況。新年はすっかり明けていますが、こちらはまだまだ去年の後片付けが済んでいません。 2006/7 『陰陽師 生成り姫』 夢枕獏 2006/8 『博物誌』 ルナール 2006/9 『小説の読み書き』 佐藤正午 2006/10 『ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず(上)』 塩野七生 『陰摩羅鬼の瑕』 京極夏彦 2006/11 『今昔続百鬼』 京極夏彦 『幸福論』 春日武彦 2006/12 『サンタクロースの大旅行』 葛野浩昭 『サンタ・クロースからの手紙』 J・R・R・トールキン まだまだ続きます。私の膝くらいまでの高さを誇っていた読了本タワー(もはや何ヶ月分かは考えたくもない)は、徐々に恐るるに足らぬ規模へと縮小しつつあります。 髪を切りました。伸び切っていた襟足が鬱陶しく、「短くして下さい」とオーダーしたところ、要望通りばっさりカットしてもらいすっきりしたのはいいものの、首筋がすうすうして寒いです。私は人より多少首が長いらしく、これからの季節は首周りの防寒対策がかかせません。幸いにも、現在は「マフラー成金」とでもいうべき状況なので(お正月に、冬物小物福袋、というものをいただき、その中に何本もマフラーが入っていたのです)、日々飽きずに済みそうです。
次回の日記は松が取れた頃に、と言った舌の根も乾かないうちに、顔を出してしまいました。いえ、だってやはり年の初めですから。一年の計は元旦にありと昔から言いますから。新年の抱負だけでも書き留めておきたいと思うのが、人情(?)というものでございます。 さて、今年私が打ち立てましたテーマは、ずばり「Active!」でございます。goo辞書によれば、activeとは「活動的な、積極的な、有効な」という意味だということ。およそ、私に似つかわしい言葉ではありません。もちろん、退避手段は考えてありまして、先ほど掲げたテーマの後ろに「(当社比)」と付け加えていただければ、比較的しっくり来るかと思われます。よく遊びよく働きよく学び、そしてよく読みよく書く一年にしたい、と……野望だけは大きく抱けるのが新年の良いところですね! でも、かつて歌の歌詞にもありました。望みは高く果てしなく、と。 ……話が大きくなってしまったので、「よく書き」の部分だけを抽出してみます。昨年はたった二編の短編のみを完成させただけに終わってしまいましたので、今年は一編でも多く、一文字でも多く形として残せたら、と切に願っております。ひとまずは七色を、そして進呈予定の品を、更には寒い内に温かい善哉の話を、と書きたいものだけは飽和しそうなほど蓄積された創作脳で、あわあわうろうろと(でもちょっと幸せに)、指折り数えています。 最後になりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 皆様にとって、新しい年が幸多き一年となりますように。 |