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五十嵐 薫
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2014年11月27日(木)
赤いサンダル

ガスストーブの炎がたてる微かな燃焼音。
窓の外でベランダを打つ雨の音が、時折弱く、時折強く混じる。
複雑な、しかし意図的ではないポリリズムがもたらす、静寂以上の静けさの中。
夜は子供の歩みの様にゆっくりと進む。

入江泰吉の写真集をめくりながら、すっかり温くなったコーヒーで時折唇を湿らせる。
大和路の美しい晩秋の風景を見ながら、旅に出たいなぁと思う。

夏に見た瀬戸内の風景はキレイだった。
因島の夜景、多田羅大橋から見た島々、尾道から鞆の浦に向かう航路では四国の山影が屏風の様にあった。

最近は、まだ見ぬ風景より、いつか見たような懐かしい風景に心惹かれる。
入江の撮った大和盆地の夕暮れは、僕が子供の頃見た風景と一緒だった。
一度も住んだことのない奈良やしまなみの風景が喚起する記憶の、その琴線を探しに出たいと思った。

高校時代に過ごした街を思い出す。
イオンができ、スタバができたと聞いた。
今はダイソーとブックオフもあるかもしれない。
そういえば、女の子と夕暮れになるまで話込んで結局何もできなかったあの寺が、去年国宝に指定されたそうだ。

思いついてiPadを開く。
列車のダイヤだけは相変わらずだった。土曜の午後など二時間近く下り列車がない。

ガスストーブからアラーム音がなった。
フィルターが目詰まりしたり長時間運転したりすると鳴る音だ。

一度スイッチを切って窓を薄く開く。
冷たい空気が流れ込み、自分が微かな頭痛を感じてことに初めて気付く。
雨は止んでいた。



君は今も、最後に逢ったあの街に暮らしているのだろうか?

今でもたまに思い出す。
沿線の無人駅のホームに赤いリボンで髪を束ね立ってた君を。
履いてなかったハズの赤いサンダルすら思い出すんだ。



再びストーブをつける。
微かな燃焼音。
静寂を静寂だと気付かせるのはこういうさざ波のような微かな音だ。

あの時の君の姿は、さざ波のように今も、僕の記憶の岸を穏やかに洗う。
僕はその波に足を浸し、底に沈んだ赤いサンダルを今でも探すのだ。



2014年11月07日(金)
落花

NHK杯には来ないのか?と聞かれた。
行かない、と答えた。
「ソトニコワは見たかったけどね、仕事があって」
「そう」
電話の向こうの声が沈む。
面倒だなぁと思う。

「直接メールしたら?アドレス変わってないと思うよ?」
「ううん。いいや。もう何年も前の事だし」

恋愛において、女は記憶を上書きし男はキャッシュとして貯めて行く。
そんな喩とは別に、時として女も、突如蘇る記憶のバグに苦しむようだ。

「あなたにも久々に会いたかったな」
「嘘つけ」

笑いながら電話を切った。

大阪か、と思う。
僕にも会いたい人間がいないわけじゃない。
会わせる顔がないわけでもないし、会いたいって気持ちがないわけでもない。
ただ、時間が足りなかった。
咲いた花が地に墜ち、雨に打たれ、日に晒され、土に還る。
その時間が足りない。
やぁ久しぶりと歯を見せるには、まだ花の輪郭が地に残る。
きっと僕は、その花に視線を落としたまま、その人の口元に咲く新しい花も見逃すだろう。

思い直して机の携帯に手を伸ばす。

「あれ?どうしたの?」
「NHK杯にはいなかいけど、大阪には近々行くよ」
「え?」
「久々に君に逢いたいなぁと思って」

嘘つきと彼女は笑った。


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