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2012年08月15日(水) |
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八月十五日 |
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相模国一ノ宮寒川神社の境内は、薪能の開演を待つ人でごった返していた。 人々のざわめきは、鎮守の森から降り注ぐ蝉時雨と相まって、石ころだらけの海岸に寄せる波音のようだ。
夕暮れまで数刻というのにまだ青天の空の色。そこに浮かぶ西日に輝く雲。
ふと、見えない指で唇を抑えられたように、人々のざわめきが止まる。 一秒のその十分の一にも満たないような刹那の静寂。 そしてすぐ、横断歩道を渡る群衆のように一斉に動き出す唇。 ほんの一瞬訪れる逢魔が時。 子供の頃、自習中の教室でもこんなことがあった。 その直後は必ず「今、幽霊が通った」と言って決まって誰かが大騒ぎした。
いつだって、沈黙は人を不安にする。 だから、理由が欲しくなる。 今度君が言葉に詰まった時は、幽霊のせいにしようと決めた。
神事の後、薪に火が入る。 傾いたとはいえ夏の太陽はまだ明るい。 西日の差す中で燃える火は、陽炎のように周囲の景色を揺ら揺らと溶かす。
美しい。 眩しい西日も。逆光の森も。たなびく薄雲も。 寒川の社の荘厳な造りも、舞台に躍る後シテの金襴豪華な装束も。 揺れる炎越しに見るこれら全てが、夢の中のことのようだ。
西日はいつしか鎮守の森の影に消え、舞台を照らす薪の炎はいよいよ明るい。 空は青みを帯びた宇宙の色の変わり、そこここに星の瞬きが見える。
薪の炎が大きく揺らめき、シテの装束はいよいよキラキラと輝きを増す。 地謡の声を拾うマイクに風の音が混じる。 ざわざわと揺れる森の木々の声。
まるで、華やかな薪能に魅かれた数千の神仏が降りてきたような気分にすらなる。
ふと自分の人生は今、序破急のどの部分に立っているのかと考える。 ただ、美しいものと美しい邂逅だけを追いかけて生きてきた。 序もなく、必然的に破もなく、ただ急いでいるだけのような気もする。
昔は世界中の、あらゆる美しいものを見たいと思っていた。 今もそれは変わらない。
昔は見たもの全て胸に留め、それを誰かに伝えたいと思っていた。 今はただ見たいだけ。 見たものは大体、片っ端から忘れる。
小鍛冶の後シテである稲荷明神が登場し、舞台はついに佳境へ。 宗近と共に槌を振るい名剣を鍛え上げるのだが、薪の炎のせいかまるで本当に剣を打っているかに見える。 聞こえるはずのない鋼を叩く音さえ聞こえてくるようだ。
世界は美しくあるべきだ。 それが本当の世界だろうが、虚構の中の話だろうが、それはあまり重要じゃない。 人が見る景色、そして人の作る景色が、永遠に美しいものであれと願う。
ねぇ、また何か美しいものを見に行こう。 二人並んで。 この世界の美しいものを捜しに行こう。 満天の星空、真っ青な海、白く染まった稜線や、全ての絵の具を絞ったパレットのような森。 千年前の仏塔や遷宮したばかりの白木の社。なんならスカイツリーの展望台だっていい。
二人ならんで世界を見よう。 沈黙があっても幽霊のせいにしなくていいよう、手をつないで眺めよう。
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