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2011年06月03日(金) |
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「本牧駅ってどこですか?」 バイクに跨り信号待ちをしていたら、歩道側から呼び止められた。 マキシワンピースを着た女が、口に両手を添えてこちらに向かって何か言ってる。 「本牧駅?」 「え?」 女は耳に手をあて、顔を斜めにする。 僕はヘルメットのバイザーを上げる。 「本牧駅はあっちだけど。」 「ごめん。聞こえへん。」 信号が変わった。 仕方なくバイクを歩道に寄せる。 ヘルメットを外し、ポケットに突っ込んでおいたキャップを被る。 「駅はあっちだけど、貨物駅だから人は乗れないぜ?」 女は首の後ろに手を回り、頭を振る。 「あちゃ。そうなんや。」 その言い方がおかしかった。 「関西?」 「え?なんでわかったんですか?」 女はすぐに口を押さえ、もう一度「あちゃ」と言った。
女は、男のトラックの助手席に乗り、大阪から来たと言った。 男が仕事を終え仮眠したら、ディズニーシーへ行く約束だった。 でも仮眠のはずが、午後になっても男は起きない。 痺れを切らした女と寝起きの男は、すぐ喧嘩になった。 一度は仲直りしたものの、運転しながらいつまでもぶちぶち言う男に我慢できなくなり、信号待ちのトラックから飛び降りた。 飛び降りた瞬間信号は変わり、後続車からクラクションの嵐を浴びた男は、女に何か言いながらトラックを走らせたそうだ。 飛び降りたものの女も、ここがどこか判らなかった。 とりあえず、さっき見かけた本牧駅に行ってみようと思い、調度信号待ちで止まったバイクに道を尋ねたと言う。 「明日、結婚一周年記念なんですよ?」 イントネーションが怪しい標準語で、女は訴える。 あらためて女を見る。 髪はくしゃくしゃ。 目の周りのメイクは涙で全滅。 マキシワンピースの裾は、オイルと埃で汚れている。 「携帯は?着信とかないの?」 途端に女の目が潤む。今、頬を指で突けば、大量の涙が溢れる。そんな顔だ。 女のiPhoneはトラックを飛び降りた時に落として以来、立ち上がらないという。 「男の番号は覚えてるだろ?携帯貸してやるよ。」 女の目からとうとう涙が零れる。 実はさっき喧嘩した時、激高して男の携帯をへし折ったのだと言う。 もう一度女を見る。 なるほどトラックから飛び降りるような性格なんだと今更気付く。
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本牧駅の側の路上に止まっているトレーラーの窓を叩く。 運転席でコンビニ弁当を食っていた若い男がこちらを向く。 片手で拝むと、数センチだけ窓を開ける。 「すいません。ちょっと迷子を預かってるんですよ。人探し、手伝ってくれません?」
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「どうもすいませんでした。」 一時間後、女を迎えに来た男が頭を下げた。 「ええよ、もう。」 腰に手をあて顎を突き出す女を突き「オマエじゃないよ」と言う。 「あちゃ。」そう言って女は舌を出して笑った。
トラックに乗り込んだ二人に手を振り、バイクのエンジンをかける。 道路から短いクラクションが三つ。 振り返ると、反対車線で信号待ちをしているトレーラーが、ライトを点滅させている。 横浜を出るまで二人を乗せたトラックは、クラクションとパッシングを浴び続けるハズだ。
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「迷子?」 コンビニ弁当を食べていた男にいきさつを話す。 「携帯は駄目だけど、無線は積んでるらしいんだ。」 「そういうことね。無線なら貸すよ。」
助手席に回り無線のマイクを掴む。
あー、CQCQ、で、いいんだっけ? えー、迷子のお呼び出しをいたします。 21歳くらいの白いマキシワンピースを着た女のお子さんをお預かりしております。 結婚一周年旅行にも関わらず喧嘩して奥さんと離れ離れになってしまった、和泉○○○○の青いトラックの根上さんは、至急迎えに来て下さい。 奥さんは大変後悔してます。携帯へし折ったことも、トラックから飛び降りたことも、本当に悪かったと思っています。 携帯出ないのは出たくないんじゃなくて、壊れちゃったからだそうです。 ところで、根上さん。 奥さんはこの旅行終わったら当分遊べなくなるんだってさ。 四ヶ月らしいよ? 二人だけで過す最後の旅行だから大事にしたかったんだって。 可愛い奥さんじゃん。 奥さんは本牧公園の駐車場の横にいるんで、速攻迎えに来てください。 あと、根上さん車降りて奥さん探してるかも知れないんで、根上さんのこと知ってる人がいたら、このこと教えてあげて下さい。 繰り返すよ?本牧公園ね。 あ、あと皆さん、和泉○○○○の青いトラックのカップルは明日結婚一周年、それと初めての子供ができたばっかだから、見かけたら祝福してあげて下さいね。 以上。
マイクを置き、咳払いを一つ。 運転席の男がこっちを見て笑いながら言った。
「あんた、割とヒドイね。」
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本牧から山下町を抜け、中華街を横目に見ながら、スタジアムまで流す。 横浜クルージングの定番だ。 マリンタワーや大桟橋がありベイブリッジがそびえるこの街は、ディズニーシーにだって負けてないと思うんだけど。
そう思えへん?
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2011年06月02日(木) |
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陽炎 |
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路肩にバイクを止め、胸ポケットを探る。
執拗に鳴っていたはずのその音は、どうも気のせいだったようだ。 苦笑いが浮かぶ。 そういえば、シャワーを浴びている時もそうだ。 急いで身体を拭いて掴んだ携帯を見て、首を捻ることがたまにある。
長閑な田園地帯の真ん中。 片側二車線の、やけに広い広域農道。 頭の真上からひばりのさえずる声が聞こえる。 日差しは柔らかく照り、足元から立ち込める空気が暖かだ。
エンジンを切り、フューエルコックをオフにし、スタンドを出す。 リュックを背中から降ろし、地図取り出す。 コンパクトカメラで、辺りの風景を収める。 この辺が梅雨入りするには、あと数日後だろう。
それにしても、美しいところだ。 目の前を遠く低く連なる山々は、所々新緑に輝いている。 農道と平行する小川の水は豊かで、休耕地にはまだレンゲソウが咲いている。 バルビゾン派の画家なら、ここで生涯をおくってもいいなんて思うかもしれない。
再びバイクに跨る。 フューエルコックを回し、エンジンを掛ける。 トリップメーターを見る。ガソリンを入れてから、まだ20キロも走っていない。 が、心配するのに越したことはない。 ここから先、営業しているガソリンスタンドは一軒もない。
ギアを入れ、走り出す。 走りながら胸のポケットをそっと触る。 音量の調整機能がないのは厳しいな、と思う。 ヘルメット越しじゃ鳴ってるのかどうか判りゃしない、と呟く。
広域農道はまだ続く。 道の両側に広がっている水田に、水はなかった。 田植えのシーズンはとっくに終わってる。 生命力旺盛な雑草が幾つも芽を吹き、もう大地を緑に変えようとしていた。
ふと、アラーム音が聞こえた気がした。 バイクを路肩に寄せ、胸ポケットにもう一度手をやる。 今度は気のせいじゃなかった。
胸ポケットの入れておいたガイガーカウンターは、LEDを赤く光らせながらパルス音を鳴らし続ける。 液晶に浮かぶ数字に唇が歪む。
さっき首に掛けておいた一眼レフカメラを構え、ヘルメット越にファインダーを覗く。 視界の遥か先には、ニュースでよく見るあの風景が、デジャブのように広がっていた。
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