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Only you can rock me
五十嵐 薫
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頑張ろう東北!
エンピツユニオン

2008年01月23日(水)
you

明け方前の一番深い夜が好きだ。
一番暗く、冷たく、静かな時間。

湾岸線を行くトラックの排気音や沖に停泊している船の汽笛が、ボリュームを絞ったロバート・ジョンソンの歌声越しに、思わぬ近さで聴こえてくる。

本当はね。ブルースとか、別に好きなわけじゃないんだ。
ただね。窓越しにさ、漆黒のビロード敷き詰めたような空を眺めてたらね、どうしてもロバート・ジョンソンの歌以外似合わないなって思ったんだよ。



こんな夜に考えることと言えばさ、別れた女の思い出せない口癖とか、死んじゃったお袋のこととか、今でもどこかの街で唄ってる彼女の横顔とか。
ほらね? 頭ん中、ブルースで一杯だ。



天気予報じゃ雪になるって言ってた。
どうだろうね?

雪の朝は眩しくて、それはそれで好きだよ。



結局、なんだっていいんだよ。
君さえいてくれれば。



2008年01月13日(日)
positive

寒いってだけ。
ただそれだけで憂鬱だった。



横浜は朝から雲が低かった。
新宿に着く頃にはすっかり路面が濡れていた。
ペペのセガフレードでカプチーノを啜りながら人を待つ。

そういえば、セガフレードに入るなんて久しぶりだ。
最後に行ったのは確か渋谷の東急本店近くの・・・。
そこまで考えて思考を止める。
通ってた店に行かなくなるにはそれ相当の理由があるってことを思い出す。

待ち人は時間になっても現れなかった。
何度かのメールのやり取り。
仕方ないね、としか返せない理由。



憂鬱に拍車がかかる。

そういえば、カプチーノ自体好きじゃない。
なんで頼んだのだろう。



ほらね、寒いってだけでこんなに憂鬱だろ?

だから君もそれ、寒さのせいにしちゃおうぜ。



2008年01月11日(金)
メール

携帯のサブディスプレイが青く発光しメールの着信を伝える。
左手を伸ばし携帯を掴む。

読んでいたモームの短編をテーブルに伏せる。
冬にこそ南洋モノだ、なんて思ったけれど寒さにイマジネーションが追いつかない。
裸足でスリッパを履いていたせいで足先が冷たい。
座っているベッドに持ち上げたそのつま先を右手で摩る。



短い文面と共に添付された写真は幼児を抱いた女の笑顔だった。
ミルクティブラウンだった髪は黒くなってたが、伏せた睫の長さは昔のままだ。
小さく口笛を吹く。

幾ら肌を重ねようが、幾ら時を過ごそうが、別れた途端瞬時に忘れる恋がある。
逆に、魂の片割れとの出会いのような、ファムファタムとの邂逅のような、そんな恋もまれにある。
ディスプレイで微笑む女を眺めながらぼんやりと思う。
太腿に入れたクロウのタトゥー、ミルクティブラウンのミディアムロング、長い睫、ダークブラウンの瞳。
キレイだったと今更思う。



携帯を握ったまま座っていたベッドから立ち上がる。
カーテンを細く開け窓の下に視線を落とす。
安いビジネスホテルの低層階らしく、窓のすぐ横にキャバクラの看板が迫る。
タクシーのアイドリングと雑踏の音がガラス越しに聞こえる。
アムスやブリュッセルの安宿で、減っていく紙幣を数えながら滞在日数を計算した日々がふとよぎる。

旅に出て滞在先の宿で思いをはせることが、未来のことでなく過去の出来事になった。
ようするにそれは、年をとったということなのだろう。



なんて返信しようか少し考え、色々な言葉を持て余す。
足先の冷たさに気をとられる。
思考が散らかる。



君とすごした時間は美しい思い出だ。
その美しさに殉じることはできないけどね、せめて君の期待するような生き方を僕は続けることにするよ。



返信しないまま携帯を閉じる。
しかたない。言葉が足りない夜もある。

帰ったら湘南の海の写真を送ろう。
早朝の、まだ誰の足跡もついてない、真冬の海岸の写真を送るよ。



2008年01月09日(水)
君が眠る街

バイクのシートは夜露で湿っていた。
が、かまわずに跨る。
どっちにしろこれから数時間、冷たい空気に晒され続けるのだ。

箱根あたりの路面が凍結してないことを期待してセルを押す。
エンジンは何度目かのトライでやっと、低血圧の女のように動き出す。



東名は意外なほど空いていた。
まだ明け方には程遠い夜中。
星のない漆黒の空。






灯火に照らされる道路の緩やかな起伏は、ふいに海のうねりを連想させる。
三半規管の酷使という意味ではバイカーもサーファーも似た生き物なのかもしれない。

サーファーは海と空の間に、バイカーは大地と空の間に立つ。
そこに立つ条件はたった一つ。
静止していないことだ。
静止したサーファーは沈み、静止したバイカーは転ぶ。






足柄を越え御殿場を抜け、由比で左に海を見る。
油彩のような色の空。
鼻腔に届く潮の香り。
空冷エンジンは熱ダレすることなく強いトルクで車体を前に進める。

女の髪みたいに幾重にも重なった重たい雲。
だが、雨が降る予報は今のところない。



夜明けには君が眠る街に着く。



2008年01月07日(月)
ドクターショッピング

首都高C1。
レインボーブリッジを右手に浜崎橋を渋谷方面に車線変更。
昔、ここで転倒して10キロの渋滞を作ったことを思い出す。
ヘルメットの下で苦笑いが浮かぶ。



渋谷で高速を降り、恵比寿駅に近い駒沢通りの歩道にバイクを停めた。
さすがに夜中の二時に、駐車違反の取り締まりはそうそうない。



待ち合わせの店は代官山側に一本入った路地の雑居ビルの一階にあった。
看板の電気は消えている。
ドアを引いて入るとカウンターだけの狭い店だった。
ジミ・ヘンドリックスをリミックスしたハウス。
薄っすらと店中に満ちた紫煙には嗅ぎ覚えのある匂いが混じる。
カウンターの内側にはニットキャップを被った男が一人、座面の丸いスツールに座り膝に広げた岩波文庫に視線を落としている。

「遅いし。」
たった一人。一番奥の席でカウンターに肘を突いていた女が唇を尖らせて言った。
昆虫の眼のようなグッチのサングラスと黒いウィッグがかえって目立つ。

「時間通りだ。」
僕は女から椅子一つ離れて座る。
女が突き出すタバコを断り、革ジャンの内ポケットから薬の包みを取り出しカウンターに放り出す。
「もう当分は無理だ。」
女は薬の袋から錠剤を取り出し一つずつ包装を剥がし自分のピルケースに移す。

女の前に置かれたグラスの中身をアイスペールに捨て、ボトルの水を注ぐ。
微かにバーボンの香の残る水を一気に飲み干す。

「ありがと。お金足りた?」
女が小声で言う。

「うん。」
僕は立ち上がりながら答えた。

「彼女は元気?」
女は僕を見上げる。視線があったかどうかはお互いサングラスなので判らない。

僕は答えずドアのノブに手をかけた。

「ごめんなさい。とか、言えればいいのにな。」
女の声はドアを閉める音で途切れた。



バイクのエンジンはたった数十分で冷え切っていた。
チョークを引いて数回セルを回しやっと始動する。

駒沢通りを中目黒方面に走り第三京浜を目指す。
この時間なら道路はどこもかしこもガラガラだ。



大したことじゃない。
売れないアイドルがプロデューサーとでき、おかげで大々的なプロモーションを受けそこそこ売れる歌手になった。
よくある話だ。
たまたま、そのプロデューサーは同じ事務所の同期だった女と結婚してたってだけだ。

そして、それをきっかけに離婚した女が自暴自棄になって撮ったヌードのカメラマンが僕だったのもたまたまなら、その売れないアイドルだった女のアー写やジャケ写を撮っていたのが僕だったのもたまたまだ。



環八から第三京浜へ。
思った通り空いている。
冬の星座が街の灯かり越しにくっきりと浮かぶ。
まるで空に向かってバイクを走らせているようだ。



ごめんなさい、なんて言わなくていいよ。
君の薬は例の彼女が医者で処方して貰った薬なんだ。
彼女は君と違って週刊誌の記者に見張られてないから、ドクターショッピングなんてわけないんだよ。



君らはとっくに手を握りあってる。



お互い知らないだけだよ。



2008年01月05日(土)
ファーストキス

山下公園でのカウントダウン。
中華街の爆竹と喧騒。

そこからほんの数キロ離れた本牧埠頭。

沖に停泊した貨物船の汽笛で今、年が変わったことを知った。
隣でマフラーに顔を半分埋め、手を擦り合わせてる女は、さっき拾ったばかりでまだ名前も知らない。



成層圏の先から見上げるような雲ひとつない空。
星が降るならたぶんこんな夜だ。
ベイブリッジの灯りも、オレンジに光る対岸の埠頭の作業灯も、今夜の星の瞬きをかき消すには至らない。



「キレイ。」
女の語尾が寒さで震える。

肩を引き寄せる。
線の細い身体がコートの下で小刻みに震える。

女は目を閉じ、僕に身体を預ける。



長いキス。



汽笛が、また鳴る。



女はゆっくりと目を開ける。
口からは大きな吐息。

「星。」

「え?」

女は首を傾げる。

「瞳に星が映ってる。」

女は唇に笑みを浮かべ、もう一度僕の首に回した腕に力を込めた。



重ねた唇は、もう震えてなかった。


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