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2006年08月27日(日) |
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32F |
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枕元を探り革の手袋を探した。 女に乗ったまま、左手にだけはめる。
素材は極薄い山羊革。 色は黒。
手袋の中で指を伸ばす。 しっとりとまとわりつく革の感触。
上等。
女はウェーブのかかった髪を広げ、枕に頭を預けてる。 目を閉じ荒い息を沈めながら、さっきまでの余韻を追いかけてる。
髪を掴んで頭を起こす。 手袋をした左手で頬を軽く叩く。
女の口角が僅かに持ち上がる。
そのままゆっくりと手を移動させて女の首に手をかける。
細い首だ。
だんだんと力を込める。 女は眉間に皺を寄せる。
革の手袋を通じ、女の首の僅かばかりの筋肉が固くなるのが判る。
女の胸にうっすらと赤い湿疹が浮かんだ。
絞めすぎるとたまに出る。
女の目じりから涙が零れた。
32階の窓からは遠く大阪湾の夜景が見える。
空にはオレンジの満月。
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2006年08月17日(木) |
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遠雷 |
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空を見上げる。 こんな高度で飛ぶ飛行機には慣れたくないと思う。
夕立で濡れた芝。 もう少し日が傾けばいくらか涼しくなるだろう。
相模原なんて用事がなきゃ来ない。 用事は去年なくしたと思ってた。
薪能の演目は「葵上」。 鬼の話だ。
身の内の鬼を飼い馴らせたなんて思ったことは一度もない。 お気軽な同人小説じゃあるまいし。 いつも喰われっぱなしだ。
もうすぐ薪に火が入る。
顔も思い出せない。 時間の無駄だ。
だからって。 無駄じゃないな時間なんて、めったに過ごせるものじゃない。
戦闘機が頭の上を嘲るように飛んで行く。
やっぱり。
慣れたくない。
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2006年08月03日(木) |
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surf rider |
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路肩にバイクを止めた。 脱いだヘルメットを右のミラーにかける。
インターバルが必要なのは僕ではなく、CBの空冷エンジンと後ろに乗せた女だった。
「何これ。ダイドーじゃん。」
自販機の前で女が声を尖らせる。
「ポカリ飲みたかったのに。」
空は晴れていた。 風が気持ちよかった。 ゴムの焦げたような臭いがするのは幹線道路沿なのでしかたない。
「腕、赤いんだけど。」
今度は口を尖らせてる。
「あーあ。焼けちゃう。」
路肩の向こうは幾重にも田んぼが連なり、まだ若い稲が緑のグラデーションを風にあわせ大きく揺らす。 田んぼの向こうには低い里山が、まるで垣根のようにゆるゆると続いている。
「お尻痛いし、音楽聴けないし。」
女の愚痴が僕に向いていることにやっと気づく。
「バイク嫌い。サイテー。」
バイクに跨ったまま振り返る。 女は腰に手を当ててこっちを睨んでいる。 僕は女に向かってにっこりと微笑む。 女の口は一層口を尖らす。
キーを回しセルを押す。 ほぼ同時にギアをローに入れる。 ミラーにヘルメットをかけたままバイクをスタートさせた。
一瞬目をやった左のミラーに女の顔が映る。 尖っていた口が大きく開いてた。
何か言ってたみたいだけど排気音にかき消されて聴こえなかった。
こんな時に言うセリフなんて決まってる。 決まってるものは聴いたって聴かなくたって一緒だ。
空は晴れていた。 風が気持ちよかった。
ヘルメットを被るのが惜しい気がした。
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2006年08月01日(火) |
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百年小町 |
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逢坂の関は足で越えてみたいと思い、電車を降りた。
多くの歌枕は当時の面影を残していない。 西行の戻り松も、白川の関も、今や自動車の行きかう幹線道路だ。
逢坂の関もその例に漏れない。
それでも。 せめて徒歩で行けば。 その場所で眠る地霊の微かな痕跡が何事か囁くのではないかといつも思う。
峠道はあっけなく下りになった。
地霊だって昼夜トラックに踏みつけられていては口を開くのも億劫だろう。
途中、長安寺の旧参道らしきわき道を見つけ国道を外れる。
わずか十数メートル分け入るだけで、途端に深山の息吹が伝わってくる。
新緑の重なる木立の隙間から零れる太陽。 足元にはまだ朽ち切れない去年の落葉。 湖面から吹く風はたっぷりと水気を含んでいる。
さわさわと緑が揺れ、蝉時雨が真上から降り注ぐ。
ふと思い出す。 この辺りは関寺小町の舞台だった場所だ。
絶世の美女、小野小町。
しかし僕にとっての小町は、卒塔婆に腰掛け足をさする「百年に一つ足りない九十九髪」の老婆だ。
100年。
夢の歌人と言われた小町が夢から覚めるには、それほどの時間が必要だったのだろうか? あるいは伝説通り、髑髏になっても夜な夜な夢を詠み続けたのだろうか?
それとも、今も尚地霊として…。
折り重なった枝の隙間から見える、琵琶湖の湖面がキラキラと揺れた。
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