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2005年06月27日(月)
「サイボーグ・サイボーグ」








「ジェラルミンのスーツで身を固め
 同じリズムに足並みそろえ
 
 同じ笑顔でいつでも笑える
 ほどほどがしあわせだと教わった
 
 目立たないよう 嫌われぬよう
 すべてマニュアル通りにサイボーグ・サイボーグ

 アルミサッシの心はいつでも
 内側から鍵をおろして

 ガラス越しなら過ぎ行くひとに
 きっと優しくなれるサイボーグ・サイボーグ」



  さだまさし「サイボーグ・サイボーグ −アルミニウム製の子どもたち−」
  アルバム 「自分症候群」から






このパソコンもわたくしのところへ来てから
はや5年経った
キーボードもマウスも替えたし
ディスプレイもとっ替えた
性能なんか現在売られているものの足元にも及ばないけれど
けなげに不器用にうごいてる
なんともカワイイやつである

だいたいが、家にいるときは
寝てる時間の次にこやつの前にいることが多いのだから
名前くらいつけてあげてもいいくらいなのだ

名前はつけてもすぐに忘れちゃいそうだけど
たまたまシステムサウンドを時間帯によって変えられる
フリーウェアを見つけたので
遊びごころたっぷりにいろんな言葉を貼っつけてみた(暗い?)

つまり朝に起動すれば「おはよー」と
夜に終了すれば「おやすみなさいー」とか
「ご来店ありがとうございました。またのお越しをー」とか
喋るようにしたのだ
それもいつも同じ言葉ではなくて
たくさんの音声ファイルをランダムに再生するように設定したので
特に飽きることもなく
しばらく経ったのだけれど

それからというものどーも
パソコンの様子がおかしい
ちょこちょことした設定が
いじってないはずなのに変更されている

ツールバーにいつのまにか
ショートカットができてたり
ブラウザのタイトルバーの文字のフォントが変更されてたり
気まぐれにシャットダウンしてくれたり

そうゆうウィルスでもあるのかいね?
もしくは「この方がいいよ〜」って思ってるのかもしれない
あるいはご主人様の気付かないところで
ひとり起動してはしゃべってるかもしれない










2005年06月20日(月)
「トンネルの唄」






「こんな長いトンネルってあるだろうか
 もう前にも後ろにも行かないよ
 最後の汽車から降ろされて もうあの娘にも会えないな

 オイラもそうだよ、ホントはさ
 だれでも家に帰りたがっている
 都会は花盛りですって便りを出した ああ、そんなのウソだけどな

 昔、プラットホームの上、灰色の
 煙の天使が浮かんでた
 で、今になって思うんだ あいつら流されて来たんだ

 朝はあしたの後ろ姿
 夜は夜で思い出を繕う
 ねえ、トンネルってため息なのかい ねえ、トンネルってため息なんだろ

 空も地面も何にもなくて
 長い長いトンネルの中
 呼び合う声だけが聞こえるよ だれも姿は持ってないからさ

 こんな長いトンネルってあるだろうか
 もう前も後ろもなくなった
 最後の汽車から降ろされて もうあの娘にも会えないな
 最後の汽車から降ろされて もうあの娘にも会えないな 」




                  高田渡 「トンネルの唄」
                  アルバム「高田渡best live」から







いつ、どうなってもおかしくない状態です
お医者様はそうおっしゃった

無表情で聞いていたことも
はぁとしか答えられなかったことも
高熱のせいだと思われたようだった

とりあえず、といった感じの点滴の
透明なビニールがまぶしい
窓から見える街並みがまぶしい
道も人もビル群を斜めに横切っていく鳥も
みんなまぶしい

あぁ、こんなことになっちゃって
なっちゃってからいつも思うことになるんだ
生きて生きて生活しているのはなんだか
とっても可笑しなことなんじゃないかって














2005年06月14日(火)
「みんな夢の中」





「恋はみじかい 夢のようなものだけど
 女心は 夢をみるのが好きなの
 夢のくちづけ 夢の涙
 喜びも悲しみも みんな夢の中

 やさしい言葉で 夢がはじまったのね
 いとしい人を 夢でつかまえたのね
 身も心も あげてしまったけど
 なんで惜しかろ どうせ夢だもの

 冷たい言葉で 暗くなった夢の中
 みえない姿を 追いかけてゆく私
 泣かないで なげかないで
 消えていった面影も みんな夢の中 」

                
             作詞曲 浜口庫之助 「みんな夢の中」 から





夢を見た

修学旅行なのか
クラスのみんなと風呂に入ってたら
女子までが全員ずかずか侵入してきて
ああ、混浴なのだなと気付いた

暗転

教室には沈痛な面持ちの担任教師がいて
おまえら、大変なことしてくれたな
先生は…とても残念です
今回のおまえら高校生の混浴について
死刑の判決がでました、と告げた

暗転

牢屋の中で執行を待つ
クラスメイトの何人かは既に済んでいるようだ
これから死のうとするときに思い出したのは
家の2階の陽の入る廊下のこと
そこでぼんやり外を眺めてる自分のこと
ああ、もうかえれないんだなあ
やたらにその廊下が目に浮かぶ


これは夢の話しだけれど
いつかこれから死のうとするときに
意識があるにせよないにせよ
思い浮かぶのはそんなことかもしれない














2005年06月06日(月)
「時は流れて」










「あんたには もう逢えないと思ったから
 あたしはすっかり やけを起こして
 いくつもの恋を 渡り歩いた
 その度に 心は 惨めになったけれど
 そして あたしは 変わってしまった
 泳ごうとして 泳げなかった 流れの中で
 今はただ 祈るほかない
 あんたが あたしを みつけやしないように
 時は流れて 時は流れて
 そしてあたしは変わってしまった
 流れの中で 今はただ祈るほかはない
 あんたが あたしを
 こんなに変わった あたしを
 二度と みつけや しないように

 時は流れて 時は流れて
 そして あたしは変わってしまった
 時は流れて 時は流れて
 そして あたしは
 あんたに 逢えない  」




              中島みゆき 「時は流れて」
              アルバム 「あ・り・が・と・う」 から 

 



ビデオテープがかなりある
ビデオ狂と言うよりも記録屋なのである

VHSではかさばるので
縦5cm、横10cmくらいの8mmテープ
それが40本くらい入るケースが
いま数えたら26個
本棚を占拠しており上から
音楽、映画、ドラマ、バラエティと分類分けされている

いちばん古いテープがどうやら94年のもので
10年に渡ってコツコツためてきたみたい
部屋にいるときに音がないのが寂しい
かといってつまらない番組よりは
好きなものを何度でも流していたい
最初の理由はそんなものだ

けれどこうしてためてみると
いつの間にかコレクションと呼べるかもしれないと
思うようになった
愛着もある
いつか壁一面の棚に
この愛しいコ達を整然と収めてみたいと
つまらない夢を描くことも

しかし、
時は流れる
DVDというものが主流になろうとしている

決して新しいものが好きではないのだけれど
10年という時間はテープには長い時間である
劣化もするし
擦り切れるという悲惨なこともしばしば
それがビデオも販売されていない、再放送も望めない舞台の
だったりするとガックリ肩を落として滲む夕陽なんか見つめてしまう

といった事情があり不本意ではあるが
DVDとかいったピカピカのギラギラの
ペラペラ野郎に乗り換えることにした
単価はまだ若干高いものの
これでほぼ永久に保存状態は保てる
もう夕陽に吠えなくても済むのである

問題はその引越しそのものであるのだが…
1000本を越えるテープをDVDに移すのは
想像するのも怖い作業だ
一日一枚焼いていたとしても(もちろん不可能だけど)
およそ2年間くらいだろうか

やっぱり
滲んだ夕陽を見つめちゃうのである