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2002年08月31日(土)
つくづく






テーブルを叩きつけるように
忘れてしまいたい

目を閉じて
聞く耳ももたないよ

しばらくそんなこと
考えなかったのに
不注意でした









2002年08月28日(水)
それならほんのこてはじめ



「詩」を募集しているところに
「詩(のようなもの)」を久しぶりに送りつけた。

そしたらすぐに
選外佳作というありがたいような情けないような
なんだか分からないような通知をいただく。

ふたばさん、もっとがんばってください。
はい。がんばります。



2002年08月25日(日)
夢見ごこち




ここんとこ
陽にあたることが多かったので
かゆみ止めを飲んだ。

2時間ほどで眠くなる。
副作用。

からだも三分の一ぐらいの
チカラしかないみたい。

そのまま倒れて
夢見ごこちな日。

あはははって
女のひとの笑い声がきこえた。






2002年08月23日(金)
生意気




今年も一度くらいは夏休みっぽいことを、と
山梨県は富士急ハイランドへ行く。

そして高さ78メートル噂のFUJIYAMAの列に並ぶ。
じっと列の進むのを待つこと90分。
けれど死刑台のごときコースターが近づくにつれて
楽しみー楽しみーとはしゃぐわたくし。

そして発車。
かたかた78メートル、観覧車よりはるか高みへのぼり
轟音と共に落下する。
あ、あかん。わたくしが生意気でした。
飛び降り自殺している最中の気持ちがよく分かる。


その後はふらつく足で
富士急ハイランドご自慢の世界最悪のお化け屋敷へ。
楽しみー楽しみーとはしゃぐわたくし。

そして出発。
かたかた螺旋階段を3階まで上る。
暗い。怖い。お化けアクターがおっかけてくる。
遠くで悲鳴がいくつも木霊する。
あ、あかん。わたくしが生意気でございました。
「バイオハザード」の主人公の気持ちがよく分かる。





2002年08月19日(月)
うたた寝の食卓(2)


僕たちの秘密基地が
そこらにあったのと違ったのは
広さや設備だけじゃなくて
テントのなかに猫を飼っていたという点だ。

チャトラン(茶トラだったのとその頃「子猫物語」という
映画がやっていたので)と
シロ(白かったから以外に理由なし)という2匹。
大学の裏にダンボールに入れられて捨てられてたのを
拾ってきたのだとヒロキくんが教えてくれた。

僕とヒロキくんは毎朝学校がはじまる前に
2匹にエサをやりにいった。
バケツのなかにエサをたくさんいれておいても
ウジ虫が湧いてしまったという痛い経験があったから。
ある雨の朝に秘密基地に迷い込むように
犬と散歩してたおじいさんが
にぼしを分けてくれたこともあった。

そして学校が終わると大急ぎで
2匹に会いにいった。


けれど夏だったか秋になった頃だったか
秘密基地は突然陥落することになった。
隣りの家から子どもの遊び声がうるさいと苦情がでて
警官が来てしまったのだ。

リーダーが必死に訴えるがそれは無理で
隣りの家の2階から
おじさんがカーテン越しの僕たちを見ていた。


それから僕たちはテントは後回しにして
2匹の猫をかかえて町を歩き回った。
新しい住処を探していたのだけれど
猫をおいておけるような基地のスペースが
東京の住宅地のなかでそうそうあるわけじゃない。
日が暮れて、ついでに途方にも暮れて
結局、近所のアパートの物置き場のなかに
2匹とエサを置いて、明日また探そうということになった。

次の日、2匹はそこからいなくなっていた。
商店街の猫をたくさん飼っていた八百屋さんに飼われていたのだ。
新入りの2匹は他の猫に苛められていたようで
発見したときは傷だらけだった。

その八百屋さんも店をたたんでどこかにいった。

そして僕はそのことを学校の作文で書いて
先生に「大人になっても覚えていたら、きっと素晴らしい思い出になるわね」
と言われ
「うん…」と気のない返事をしたのだ。







2002年08月18日(日)
うたた寝の食卓(1)


小学1年生のときに
ヒロキくんという友達がいた。

当時引越しをしたため
保育園の友達ではなく
ヒロキくんの幼馴染のグループに混じって遊ぶようになった。

少年時代の子どもらしい遊びというものは
ほとんど彼らとしたと思う。
かくれんぼに「鬼」のつくおいかけっこ。どろけい(けいどろ?)。
ピストルで打ち合い、水風船をぶつける。
土と水でどろを作り、爆竹をつっこむ。
柿の木にのぼって、実を落としかぶりついては慌てて舌を洗う。
ビックリマンシールを集め、メンコを叩きつけて、ザリガニを釣る。
いまは思い出せないけれど
もっと遊びを考え、やっていただろう。
そういえばリレーもやってた。
300円の昆虫採集セットで防腐剤をアブに打ちすぎて
破裂させたりもした。

そのグループのリーダーを(おなじクラスの女の子のおにーさんでもあった)
僕は尊敬していた。
彼らはどの子どもも持ってないような
「すごい秘密基地」をもっていたからだ。

僕は仲間になってすぐ
こっちだよ、と案内された場所
公園の裏の高い壁を乗り越えたむこうは広い空き地で
そこは大学の裏の敷地でそこがまるまる彼らの秘密基地になっていた。

そこには木に吊るしたブランコがあって
木の茂ったところに屋根があり、ござが敷いてあって
その隣りにはテントが張ってあった。
小学生にとても持て余される広さと設備。
まさに「秘密基地」だと感動してると
リーダーは「ちゃんと大学のひとがいいって言ったんだぜ」と言った。

公園で遊ぶ傍ら、僕たちは
その基地で武道訓練を積んだりもした。
同じクラスのちょっといじめっこな男の子と
四つ年上のその子のおにーさんのグループが
その基地を奪いに抗争をしかけてくるらしかったから。

太い枝を折って皮をむき削って剣をつくる。
膝当てをして銀だま鉄砲で射撃訓練。

結局そんな抗争なんて起きなかったけど。












2002年08月12日(月)
切断




15歳のときに
両親が医者に呼び出された

両親は遂に息子の足が
切り離されるのだと覚悟して

僕もそう思った。

両親の落胆は想像できないが
本人は平気だった。

足はなくても
文字は書けるし
歌もうたえる。

そんなふうに平然としていられたのは
15歳だったという他にも
なにか理由があっただろう。





2002年08月08日(木)
ぐつぐつ






ぶ暑い

ヒートアイランドがビニールの汗かいた

アタマとカオがね

ぐつぐつ







2002年08月06日(火)
「長崎から」

「 その日の朝が来ると 僕はまずカーテンを開き
  既に焼けつくような陽射しを 部屋にむかえる
  港を行き交う船と 手前を横切る路面電車
  稲佐山の向こうの入道雲と 抜けるような青空

  In August nine 1945 この街が燃え尽きたあの日
  叔母は舞い降りる 悪魔の姿を見ていた
  気付いた時炎の海に 独りさまよい乍ら
  やはり振り返ったら 稲佐の山が見えた
  
  もううらんでいないと彼女は言った
  武器だけを憎んでも仕方がないと
  むしろ悪魔を産みだす自分の
  心をうらむべきだから どうか
 
  くりかえさないで くりかえさないで
  広島の空に向かって 唄おうと
  決めたのは その時だった 

  くりかえさないで くりかえさないで
  広島の空に向かって 唄ってる
  広島の空も 晴れているだろうか 」


          さだまさし「広島の空」 アルバム「逢いみての」より
  



「『No more Hiroshima』とアメリカ人に言うと
 『Remenber Pearlharbor』とかえってくる。
 しかし質からいって Hiroshima=Pearlharborではない。
 (『Hiroshima』は唯一の被爆国の象徴として)
 『No more Hiroshima』は「Know more Hiroshima』。
 それは被爆者を『典型的な被爆者のもとに回収せず、
 個々の生を持った者として生き返らせることだ。

 さだが『広島の空」で亡くなった叔母を歌うのはまさにこのためである。

 

        三崎鉄 著 「さだまさしのために」より
                 KKベストセラーズ



8月6日広島に原子爆弾が落ちた日

さだまさしは今頃
「長崎から」という野外コンサートで
今年も歌っている。

「くりかえさない」というフレーズは広島の原爆慰霊碑の
言葉だそうだ。










   

 

 



2002年08月05日(月)
ときどきふっと思ふ




とてもまわりくどく話しをしている
誤解されないように前置きをながくする

あんたにいったい何がわかるんだい

いつかとっても悲しそうな目で
言われてしまいそうな気がしてんだ