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2002年06月29日(土)
「『いいよ。』」


 「僕が消えた朝 天使の羽がはえて
  鏡見て笑ったよ 似合わない おかしいね
 
  行きつけの喫茶店 なつかしい保育園
  仲良しの肉屋さん あたたかい僕の家

  悲しみは悲しみのまま
  喜びは喜びのまま 僕だけがいない

  もう一度生まれ変わっても
  僕はもう僕じゃないから
  忘れても いいよ 」



           大塚利恵「いいよ。」アルバム「Oh Dear」から





子どもでも、死ぬということは知っている。
その現象がじぶんにもいつか起きる、と気付く時期があるようだ。

僕は七つのときだった。ふとんのなかで考え付いてしまった。

そうか。僕も死んじゃうんだ。
死んだら喋れない。ずっとずーっと動けない。
土に埋められてずっと見てなきゃいけない。
僕がいなくなった後のことも
人間がいなくなって
また恐竜がのしのし歩く時代になっても
僕はひとりでそれを見てなけりゃいけない。

そう思ったら泣くだけだ。
半年ほど昼も夜も、その発見からおびえて暮らした。
そして、一年生の終わり頃に
クラスメートの子がトラックにひかれて死んだときも
僕はそれを「本当のことじゃないこと」にして
考えないようにしたんだ。












大塚利恵・・・シンガー。
98年7月。シングル『いいよ。』でデビュー。
現在シングルを6枚。アルバムを2枚発表した限りだが
やわらかい曲調でやさしい歌を歌うひと。
酔っ払った帰り道にぽんより聴いてます。
思えばこういうマイナーな天才を知るきっかけは
いつも「たまたま」だが中古屋などでタイトルを見て決めているので
「偶然」とは呼びにくい。(こなかりゆもそうだった。ま、どーでもいいけど)
いい曲、ってイントロの1秒で分かったりするのだけれど
そういう曲をかくひとりだと思う。
個人選択的代表曲に「Oh Dear」「夏気球」など。
はやく2枚目が聴きたいよう。見つからないんだけど。。。    





2002年06月27日(木)
わけのない憂鬱






わけのわからん憂鬱だから
どうしようもない。

雨にびっしょ濡れになったナップザックを
背負ってるみたいな気持ち。

わけはわけだと言ってくれない。
わけは本当は知っている。

けれど気付かないってこともあって
知っているけど気付かないだけ。



2002年06月23日(日)
帰っておいでよ


「コンちゃん」にはモデルになったやつがいる。
モデルというか書くきっかけになった奴だが。

孤独を愛する哲学家で、プライドの高いギタリスト。
カップめんばっかり食べてた彼は、大学2年の夏に
大学を辞めて故郷へ帰っていった(しばらく行方知れずだった)

「コン」というのは彼の苗字の一字をとっている。
僕のことを「さだちゃん」と呼び
人なつっこい笑顔を見せていた彼は
いま尚、この歌のことを知らない。


と、そのこととはあまり関係ないのだけれど
二年以上歌っていて
どうもこの歌にホモセクシュアルな匂いがすることに気付いた。
「コンちゃん」がというより
「コンちゃんに帰っておいで」と願っていうるコ」にである。
もともと男のひと、女のひと、どっちがどう
というのをあまり意識しないで書いたのだけど

僕のなかだけで変わってきたんだろう。
最初そのコは、女の子のつもりだったのに
いつのまにかどっちか分からなくなったんだ。
もちろん写真屋のコも。
いや、やっぱり気のせいかな。


そういえば江國香織の「きらきらひかる」にでてくる
ホモセクシュアルの大学生も「紺」くん、というのだった。





2002年06月21日(金)
まったく男ってやつあ


男にとっての女のひとというのは
なんともありがたいものですね。
なにがありがたいってー
なんともありがたいものですね。(おっさんだ)

私独自のリサーチによると
人よりもスケベだと思う、に大勢が挙手。
エレベーターに女性とふたりきりになると緊張する、に大勢が挙手。
「女性」という字を見るだけで少しうれしくなる、には大勢が拍手。

やふーのオセロでどっかの女の人と対戦してて
ゲームはわたしのほうが圧倒的に有利な展開。なときに
「ねえ、手加減してくださらない?うふ」
「はあ?」
わたしの手がとまる。。

そのあともあっはん、うっふん。
「このテーブル、非公開にしましょうよ。
 ふたりっきりになりましょ。ちゅ」
色仕掛けをしかけてまいります。
そんなんありか。

けれどわたしの集中力はしっかりとこそげ落ち
手は震え、圧倒的有利からかろうじての勝利へ、と。
「あー。つうじなかったかあ。ちぇー」
「そんな手でなんとかなるもんなの?」(つよがり)
「うん。けっこう負けてくれるんだよー」

まったく、男ってやつあ・・・。








2002年06月19日(水)
どこにもいかない


庭の伸びすぎた枝を切るために倉庫にあがった。

倉庫にあがった。
枝も切った。さてと、おや。
降りようとしても足がとどかない。

状況が説明しずらいが
レンガの塀から倉庫のうえに手をついて
ふんぬ、ってジャンプしてあがったのである。

足がとどかないからといって
塀のうえにジャンプするのはとても怖い。
というより、ぷち無謀だ。
下はレンガの塀と床。しかもごちゃごちゃしてるし
直接飛び降りれば、足におおきな傷ができそうな、気がしてならない。
反対側に飛び降りようとしても2メートル以上はある。
足を曲げての着地の途端
膝にあごをぶつけそうな、気がしてならない(よくある)

前方痛そう、後ろも痛そう。
どこにもいけなくなった午後。





2002年06月15日(土)
はじめての学校





とおくのおおきなこおりのうえを
おおくのおおかみとおずつとおる
(遠くの大きな氷の上を
 多くの狼、十ずつ通る)

「お」の伸ばす部分がね
全部「う」じゃなくて「お」なんだって。

小学校の最初の授業で習ったんだよ。
これ。





2002年06月09日(日)
「愛について」

「壁にふたつの影がうつっている
 子と母のふたつの影がうつっている
 ふたりは自転車をこいで
 いま うちへ帰るところ

 子に父はなく母親に夫はいない
 父も夫もいない夜道を
 ふたりはゴムマリのようにはずんでいく
 僕には愛がふたつのゴムマリになったように見える

 道端である日 星のように遠いはずの男とすれ違う
 愛のことを考えながら 子と母と男は道端ですれちがう
 星のように遠い場所から
 その夜 男は子と母に電話をかける
 
 愛のことを考えながら 子と母は生きていく
 愛のことを考えながら 男もまた生きていく
 遠く離れた場所にいて
 どちらも愛について 考えている 」


          友部正人 「愛について」から



この歌をはじめてステージで歌ったのは
桜美林大学というとこでのジョイントライブでのこと。
一曲目、挨拶もせず歌いはじめた。

オリジナルな感じではなく、矢野顕子のピアノアレンジのほうを
参考にしたため冒頭はほとんど
5,6弦だけをつかい一音ずつ短く切って歌った。

会場ははりつめた静けさ。
自分の声と、はじく弦の音しかしない。
あとは遠くで飛行機のジェット音がかすかに。
(大変暑い日で空調もなかったので、自分のステージだけ
 会場の窓を開けさせてもらったのだ。どうせたいした音ださないし)

ステージに上がる前は
許されれば帰っちゃう、ぐらい緊張しているものだが
マイクを前にすれば落ち着いている。
客も目を閉じて耳を傾けている。(寝てるのか・・・?)
うむうむ。なかなかいい雰囲気だ。
しかしそのとき。

私の座っている椅子がどうも後ろに傾いているのに気づいた。
しかもその傾きは少しずつ確実に大きくなっている。
「後ろの足がゆっくり折れていってる!」
私は確信する。
しかし歌い続ける。
歌をとめるわけにはいかない。この雰囲気では尚更だ!
けれど現実は残酷である。
椅子が傾き、ギターを抱えたままの私の体は少しずつ下へ落ちていく。
マイクが上のほうに遠ざかる。
助けてくれ!
しかし、この現実に直面しているのは
いまのところこの会場でわたしひとり。この孤独感。恐怖感。

横目でPA(音響)のひとをちらりと見る。
気づいてない。。目を閉じてる。。
こんな曲にするんじゃなかった。。
歌いながら、わたしの全超能力を結集してPAに念を送る!
気づかない。

もうスタンドマイクは
いくら背筋を伸ばして前傾姿勢でいても
鼻の上まであがってしまった。

「もうだめだ」
PAは私が観念するとほぼ同時に
私が妙な姿勢でいることに気づいてくれたが
時すでに遅い。
もう私はとうとう歌を止めてしまったのだ。。。

「すいません・・・歌の途中ではありますが
 椅子を壊してしまいました。。。」

ここで場内爆笑。
「おいしいぞー!」という声が飛び交う・・・。
歌詞だけから見ても想像できるように
この歌は静かに、そして淡々と歌う歌。

スタッフさんが即座に代わりの椅子を持ってきても
笑い拍手鳴り止まず・・・。
どうやって、この雰囲気から続きを歌えっていうんだ、と
直立して、窓から見える夏の空を仰いだのでありました。


(あとでわかったのだけれど椅子は壊れたのではなくて
 平台のつなぎ目のなかに沈んでいってたのだ)







友部正人・・・フォークシンガー。
1950年生まれ。72年アルバム「大阪へやってきた」がデビュー。
私にはこのひとを詳しく語れるほどの、文章も知識も持ち合わせて
いないのだけれど
「伝説のフォークシンガー」という呼び名で
おそらく差し支えないのでしょう。
「愛について」がはじめて聴いた曲。その2ヵ月後「たま」との
共作アルバムから「あいてるドアから失礼しますよ」をきいて
そのまま後ろに倒れるハメとあいなりました。
日本のボブディラン。かっくいーぞ。こんにゃろ。
その他個人選択的代表曲に
「びっこのポーの最後」「熱くならない魂をもつひとはかわいそうだ」など











2002年06月04日(火)
ときどきふと思ふ

65歳だった。
怠けたりせずひたすらでもなく
どこか曖昧なままこの齢をむかえた。

あとは世に言う濡れ落ち葉。
老人、となったこの胸には
役職も学歴も貼ってなど歩けない。

妻は定年離婚、あとの人生は自由に、と考えはじめて
息子も娘も自分ひとりで育ってきたような顔をして
連絡ひとつよこさない。

会社にささげたか、家族にくれてやったかこの人生。
いったい何だったんだろう。

その年の夏、私はある乱暴なトラックに轢かれて
その生涯を閉じた。


けれどそのとき、閉じゆく視界に誰かがいたような。
もう一度だけ、と誰かに言われたような。
契約書かなんか持ってて。


そしたら21歳の僕だった。
今度こそ好きなようにやってみていいよ、って。




てなことをときどきふと思ふ。

それから3年経ったのがいまのわたし。
なんてのはどうでしょう。






2002年06月03日(月)
「真夜中のパーティー」


「 ビスケットのかけらたよりに
  あまいお菓子の わが家へ
  きっとなにもかもそのまま
  朝でかけたまま おいてある
  
  気にならないほどの 時間はあるから 踊りましょう
  夜毎くりかえす ふたりだけのパーティー 森のなか 」



         小島麻由美 「真夜中のパーティー」から




真夜中にわたしの部屋へ
ゴキブリあらわる。

一匹いれば三十匹いるといわれるこのコ達は
だけど家ではほとんど見ない。
おおよそ2年に一度会えるかどうかの遊撃隊だ。

そしてわたしは所謂、情けない。
虫を叩き潰すなんてしたことがない。できない。
蚊を手で叩くのもおそろしい。

しかし、いまこの部屋にいるのは
この2年に一匹ちゃん、とわたしだけ。
共存か、戦闘か。
わたしは迷わず戦うことを選んだ。

右手に掃除機。
左手に汗。
静かな部屋は時計の音だけになって、緊張感を誘うので
テレビをつけておくこと(できればバラエティ)を忘れずに。


隠れたままの棚の陰をにらむこと
はや、2、30分。彼らに時間は関係ない。
まさかわたしの気付かぬうちに、ここをとっとと脱出して
背後から、この愚かな背中をあざ笑っておるのか。
いや、そんなことはない。ないはずだ。ないと思いたい。
よもや朝まで続くのか、と思い始めたそのとき。

かさかさかさか。。

すかさず
ずぼ。

2年に一匹ちゃんは、あっけなく掃除機のなかへ。
ふっふっふ。なんとも他愛ないものよ。
光もなく出口もなくそのまま、窒息してしまうがいい。

緊張感の抜けた拍子に調子にのって
悪役を演じてしまうわたくし。

念のためスイッチを5分程つけっぱなしにしてから
掃除機を廊下へ出して、ミッション完了。

消極的ではあったが
勝ち負けでいえば、おそらく勝ちだ。








2002年06月01日(土)
ときどき思ふ


子どものときにしてこなかったことを
子どもに教えてあげられるものだろうか。

学校と塾を往復していた子どもだったわたくしにも
いつかもしかしたら
息子なんて、できてしまうようなわけでして

釣り、とかさ
テント張ったり、とかさ
凧つくったり、とかさ
もちついたり、とかさ

ゲームしてるだけなら、尊敬もしてもらえるかも。
でもお外はお外で楽しいわけで。

親ってきっと尊敬されなきゃいけないよね。
親を尊敬してる奴なら、ひんまがるにも限度があるし。

てなことを
ときどき思ふ。