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2002年05月27日(月)
「最期の夢」

「 めくるめく恋に夢中だった あの頃
  生きることで必死だった そんな頃
  悲しくて恥ずかしい季節も
  いつかゆるやかに黄昏ていく

  ひとは過去を 悲しむべきなのだろうか
  それとも 忘れるべきなのだろうか
  幸せや 不幸せなんて
  自分で決めたら いいものなのに
 
  やがて時が来てもしもこの人生の最期に
  たったひとつだけ 望みの
  夢を見させてくれるというなら
  私はどんな夢が見たいと 願うのだろうか
  もしもその夢で 私の生きた
  意味が わかるとしたら 」


               さだまさし「最期の夢」
               アルバム「日本架空説」収録 から




パーティーだった。
なんだか知らないけど、おめでとう。
けれど私は、離れた部屋にひとりこもって
ノートパソコンをいじってる。

寂しいんだけれど、やめられず
遠く盛り上がるパーティーなんかに
何かケチをつけようと意地悪を考えていたところで

「疑問には2種類ある。
 ひとつは頭で考えてでてくるもの
 もうひとつは、ただ立っているだけで
 降ってきてしまうものだ。」
と誰かに言われた。



そんな夢を見ました。
起きたら既に遅刻でした…。




2002年05月25日(土)
8号線を自転車で


高校が嫌いだった。
そこにいる人たちが大嫌いだった。

卒業式の日は、昼まで眠って
それから自転車に乗って環状8号線をひたすら南に行った。
砧公園を過ぎて、蒲田に寄って

知らない、誰もいない見たことのないところ。
誰も私を知らないところは
気持ちがよくて、時間がゆっくり過ぎたんだ。

行けるところまで行ってみたところで
痛いお尻と上がらない足で
海の匂いと飛行機の轟音をきいた。



2002年05月22日(水)
427号


おなじ病棟に、体育大の大柄な女性がいた。
バスケットボールの選手で足を怪我して入院してた。
仲良しだった。

よく彼氏が見舞いに来てたけど
その彼とのケンカのことで、よく相談をうけた。
いや、相談じゃなくて話を聞いてほしかっただけだろうけど。
「小学生にこんなこと話すなんてね」と自分でも笑っていた。

僕はそのころ話を途中でやめてしまうのが癖だった。
その癖を叱られた。そしてむくれてた。
「なんでこんなこと言われなきゃいけないんだって思ってるでしょ」
そう思ってた。

リハビリしていると
彼女は廊下から僕の「腹筋」の回数なんか数えていた。
ずっと否定し続けたが
ずっと僕の好きなひとは、このあたし、と自信をもって言い切り続けた。

退院する間際に、手袋をくれた。
本人は馬のつもりで模様をつけてくれたんだろうけど
それはどうみても犬以外のなにものでもなかった。
「顔のながい犬だよねー」と自分でも笑ってた。

彼氏に編んだセーターの余りの毛糸で、だったから
指の先っぽのない手袋だった。
僕はまだそれを
引き出しのなかにもっている。




2002年05月17日(金)
馴れる



それは
幼い頃に家族に連れられていった
旅行先のホテルで

ピアノを弾いている
ドレスのお姉さんを見て
そのまま、見たままになってしまうような
涙がでてしまうような

けれど
時間が過ぎて大人になってしまえば
そんなひとは実はいなかったんだと
分かってしまうことなんです。



2002年05月15日(水)
誰もいない




早朝に
まだ空気が粒粒してるぐらいの早くに

公園でブランコに乗る

もう体が浮くぐらいに漕げなくても
囲いの棒をこえるぐらいに飛べなくても

手にこびりつく
やけたような鉄の匂いは
おんなじ



2002年05月13日(月)
あぶないと分かってた



ただしいことも
まちがったことも

やっぱり何にもなかったです。

本当のことよりもむしろ
どれだけの嘘をついて

安らげてきたんだろうか

ついた嘘がそのまんま
思い違いになっちゃっても

逃がしてあげてよ
逃がしておくれ







2002年05月11日(土)
薬がない


うっかりしていた。
うかつだった。
薬がきれていたんだ。

私は何をかくそう、かくさないけど
アトピー性皮膚炎だ。
(3歳からで、入院歴いっかい)

原因はよく分かってないけど
太陽に強くあたったり、汗をかいて放っておくと
あとで、特に顔の皮膚がバラバラ落ちてくる。
(うわー。こう書くとすっごいな)

シャワーを浴びて、いつもはそこで
保湿剤を塗るんだけど
その塗り薬がきれていたんだ。。。

どーするどーする。
病院は土日休み。
(平日の午前しか外来やらないってどーゆうこったい
 ジジババか子どもしか来れないじゃないか)

おぼれるものは藁をもぼたもち。
クローゼットの奥のすみっこに
昔つかって残していた薬を発見。
しかし蓋の色で、少なくとも5,6年前の代物であることは分かっている。

どーするどーする。
これを塗ることは、自殺行為ではないのだろうか。




んー・・・・・・・・・効くもんだなあ。。



※(危険ですので小さいお子さんなど真似をしないでください)






2002年05月08日(水)
「childhood」


「モノクロ写真のなか 元気で泣いている
 この子はまだ名前も知らない
 
 こんなにちいさな 命だったんだね
 未来が私だなんてごめんね

 優しい子になるよう 幸せになるよう
 誰もが祈りの中で 遊んだ

 時が過ぎて街の中へ 放り出されて行くとき
 ひとつずつトゲを増やした 生きていく証みたいに
 
 いつもいつも手を引かれて 大事に守られたあの頃
 なぜに人は思い出せず 自分だけで来たと思うの 」


 ELLIS「Childhood」アルバム「ハートには逆らえない」収録から



タイプC:なんたら分離型
自意識過剰で落ち着きがなく
両親を語るときその内容が一致しない。

おいおいおい。
児童心理学の授業で配られたプリントの一文を見て
自分じゃないか、と思った。
その部分を何度も読み返した。愕然。

理由なしにみんな同じだと思ってた。
それが表で分けられているとわ。
親が子どもである自分に対して、あるときはとても愛情をもって接し
あるときは冷たく、「むら」があるとそうなってしまう傾向があるらしい。
タイプC。

人への接し方を自分で振り返って
いつも、無条件なるものを求めているように思う。
そのひとがどんな状況に変わっても
変わらない接し方が理想だと。
最初から優しくひとに接するひとは
たやすくその態度を変えるのは罪悪であると。
甘ったれた理念だろうか。。

けれど、とどのつまり
私はおびえているんだろう。

親から子への想いなんて、もともとが無条件なもので
それで当然であって欲しいと思ってる。
(それは夫婦間では叶わなくても)
テストの成績が悪くても、怠け者だったとしても
嘘ばかりついても、不潔でも、友達ができなくても
受験に失敗して、就職にこけても
子どもは親に無条件に愛される存在であると、かたく信じているくせに
「おまえみたいな奴はウチ(?)のコじゃあない」
いつだったか叱られたときの言葉が馬鹿馬鹿しく耳にはりついてたりする。

一年ほど前に関西の小学校に男が乱入し
児童数人に次々と襲いかかり、殺傷したという事件があった。
子どもに斬りつけて殺した男。
数日後、新聞にはその容疑者の父親のコメントが載った。
「あいつならやりかねない。あんなやつは ー 」
私にはむしろ、その事件よりもそのコメントのほうが
冷たかった。

弁護のしようがない。それにある意味では
父親としての責任の取り方だったのかもしれない。
でも。
誰からも許されることのなくなった男を
その親ぐらいは味方してやってもいいのではないか、
抱きしめてやってもいいじゃないか、と思えたのだ。

大学の別の授業で、この事件のことが取り上げられ
決して許してはいけないことだと、生徒は意見を述べる。
私も意見を求められた。
父親のコメントのことを話し
「こんな人間を父親をもった息子なら、或いは」と答えた。

誰が悪いのかを言いたいのではないし
被害者のことを考えないわけでもない。
ただ「悪い奴」を考えるときに
生まれたときから悪い奴なんていないのに、という考えが
混ざり合ってしまうだけなんだ。

教室は静かだった。






ELLIS・・・前身「LUKA」を経て
1990年に「ELLIS」としてデビューしたVoエリと
B.Kの近藤洋史とのユニット。
ELLIS、という名前は聞いた事がなくても
「千の夜とひとつの朝」という曲には、聞き覚えがあるのでは。
音はいわゆるジャパニーズ歌謡だったが
どこか透明で繊細な感性を痛感させるような楽曲を放っていた。
解散スタジオライブアルバム「ハートには逆らえない」を境に
ザズーポップ(ジャズポップ)へと転身し
そうそうたる手錬ミュージシャンと共に1998年
「ellis&PetGelato」を結成する。








2002年05月04日(土)
「銭がなけりゃ」

「銭がなけりゃ ねえ
 銭がなけりゃ 帰ったほうが身のためさ
 あんたの故郷(くに)へ

 東京はいいところさ
 眺めるなら申し分ない
 住むなら青山にきまってるさ
 銭があればね」



      高田渡 「銭がなけりゃ」 から



経済のことなんぞ、なーんにも知らない私には
お金ってのはすごい謎。
働いてはもらい、もらっては遣う。
それってみんなで役割おぎないつつ
必要なものとか楽しいこととかを、つくってるってことなんだろか。

不景気ってのもほとほと分からん。
お金って一定量世の中をめぐっているのに
みんなお金なーいお金なーいって言ってる。
(もちろん私なんか叫んでるさ)
それってどこかで
いっぱいたまってるってことなんだろうか。

私のアタマでは分からないことばかりの
お金、お金、お金。

「お金は寂しがりや。友達の多いほうにすぐ行ってしまうの」
とかなんとか格言に言われる
お金、お金、お金。
世の中を流れ流れる
お金、お金、もうかりまっか。

私も「いつかさだまさし氏にとどきますように」とか
お札に書いたら、届く日がくるかしら。
一枚一枚にいろんなひとの、そういう気持ちが
書いてあったらおかしーね。




2002年05月03日(金)
渋谷場外馬券売り場へ行ってきました。


土曜日のバイト夜勤があけたあと、そのままバスに乗って
6年ぐらいぶりに渋谷場外馬券売り場ウィンズへ行ってきました。

なんとなちゅかしやのウィンズ。
なつかしの駅から向かう片手に新聞持ったひとの列。
なつかしのフランクフルト屋さん。
なつかしの「学生、生徒さんは勝ち馬投票券を購入できません」の声。
(私が馬券を買ってたのかどうかといえば
 そういう事実はありません。内緒さ)

二階のベンチに座って新聞をひろげれば
ほーら、わたくしもただのおっさん。
親子連れ、カップルさん、女の子同士で来てるひともチラホラとはいるものの
ほっとんどはイメージどおりの方ばかり。
レースが終わるたびに
どこかのネジがはずれる音が、あちこちで聞こえてきます。

隣りでは朝10時だろうがなんだろが
きっちり冷酒、ビールをきめてくれるし
そのまた隣りでは顔を真っ赤にしたおじ様達が
次のレース予想の合間に
「風俗嬢と娼婦ってのは違うんだって!」「おなじじゃねーかー」
わいわいと挟みつつ盛り上がっております。

そんな空気が佃煮になっている渋谷場外馬券売り場。
「くっそー」とか「きたきたきたー!」とか「そのままー!」とか。
あー楽しそう。
ひとりで来たのは失敗だったな。
こういうところはさ。