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2009年10月20日(火) |
「日本郵政・西川社長が辞任表明」←民間企業の社長を国家権力を以て無理矢理辞任させるのですか? |
◆記事1:日本郵政・西川社長が辞任表明(10月20日18時36分配信 読売新聞)
日本郵政の西川善文社長は20日、亀井郵政改革相、原口総務相と相次いで会談し、辞任する意向を正式に伝えた。
辞任の理由については、記者会見で「(鳩山内閣の)基本方針と私のやろうとすることに大きな隔たりがある」と述べた。
辞意表明を受け、政府は後任社長を含めた新体制を月内に発足させたい考えだ。政府は同日、グループ株式の売却を凍結し、
銀行、保険の金融2社にもユニバーサルサービスを義務づけるなどの方針を決定しており、小泉政権以降の郵政民営化の路線が大きく転換する。
◆記事2:西川社長に辞任、重ねて促す=「思いに変わりない」−首相(10月19日19時4分配信 時事通信)
鳩山由紀夫首相は19日夕、日本郵政の西川善文社長の進退に関し
「首相になる前に『社長を辞めるべきだ』と言ってきたが、その思いは変わっていない」と述べ、
改めて辞任を促した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
その上で、首相は「どのようなことになるかは、亀井静香郵政担当相がいろいろ腐心している」と述べ、
亀井担当相の対応を見守る考えを示した。首相と同様に自発的に辞任を求めている亀井担当相は19日の記者会見で、
西川氏と13日に会い、郵政民営化見直しの基本方針などを伝えたことを明らかにしている。
首相としてはこの機会に、鳩山政権として辞任を求める立場を改めて明確にし、西川氏に決断を迫る必要があると判断したとみられる。
◆コメント:職務に忠実に務めてきた、民間企業の社長に、首相や閣僚が「辞めるべきだ」ということが許されるだろうか。
最初に私の立場を明らかにしておく。
私は2005年9月11日に行われた、所謂「郵政民営化選挙」よりも前から民営化には反対だった。
エンピツの読者の方には恐縮だが、ブログでは、私は「郵政民営化」というカテゴリーを設けている。
JIROの独断的日記ココログ版: 郵政民営化の記事を最初から読んで頂くと分かる。
僭越な物言いになるが、市井の一般人であり、郵便制度や、経済・財政の専門家でもない人間で、
これほど、しつこく郵政民営化反対の理由を詳細に書いている人は、さほど多くない、と思う。
短絡的な人は、「それでは、何故、西川辞任を批判するのか」というかもしれないが、
郵政民営化に反対することと、国家権力の濫用に反対することは別だ。今日は後者である。
もっと分かり易い表現をするならば、これほど郵政民営化に反対していた人間ですら呆れるほど、
今日の西川社長辞任に至る、政治的圧力は不当なのである。
◆経緯を顧みれば、分かる。
郵政民営化の経緯を見れば、当然私と同じ意見の方がいる筈だ。
2005年9月11日の郵政民営化選挙で、有権者は自民党を圧勝させた。
小選挙区制では死票が増えるがとにかく、我が国は代議制民主主義国なのだ。
選挙結果は国民は郵政民営化に賛成したことを意味するのだ。
その「民意」どおり、選挙からわずか1ヶ月後、2005年10月14日、郵政民営化関連法が成立した。
法案が成立を受けて民営化の準備の為に、日本郵政株式会社が2006年1月23日に設立された。
準備から民営化までの総指揮を任せる人物として、当時の小泉政権は三井住友銀行特別顧問だった
西川善文氏に、日本郵政社長となってもらうべく打診し、西川氏はこれを受けた。
西川氏はこの難事業の総責任者となってくれた人物として、日本政府から三顧の礼をもって迎えられ、
日本郵政株式会社成立と同時に社長に就任したのである。
◆民営化実行
約2年の準備作業を経て、2007年10月1日、郵政事業の民営化が現実に始まった。
西川氏が社長を務める日本郵政株式会社は、持ち株会社となり、日本郵政公社は解散。
郵政事業は、日本郵政株式会社とその傘下の4つの事業会社、すなわち、
郵便局株式会社
郵便事業株式会社
株式会社ゆうちょ銀行
株式会社かんぽ生命保険
に、分割・移管された。持ち株会社日本郵政株式会社社長、西川氏はその全ての経営に責任があり、
これらの会社が円滑に運営されるべく、指揮を執ったのである。
後から次々と旧・郵政公社時代からの構造的汚職などが判明し、
それらを正して、「まともな会社」にするのは、さぞや大変だったに違い無い。
◆小泉・竹中は途中で逃げ出した。
郵政民営化の言い出しっぺである小泉純一郎は、2006年9月、次期首相として安倍晋三が2006年9月20日自民党総裁に
選出され、小泉は首相を退任した。安部は約1年後、健康状態の悪化を理由に内閣総理大臣の職を辞し、
福田康夫が内閣総理大臣となった。福田もまた、約1年で内閣総理大臣を辞め、2008年9月、麻生太郎が内閣総理大臣に
選出されたが、この間、小泉が打ち出した「改革路線」により日本はかつてない「格差社会」「弱者切り捨て社会」となり、
内閣支持率、自民党支持率は下がる一方。次の衆議院選挙で負ける事は明らかとなった。
小泉はそれを見て、次期衆院選には立候補せず、政界引退する意思を表明した。
衆院選で自民が惨敗したら、「改革路線」が敗因であること、それを言いだした自分が槍玉に挙がることが
明らかだったので、さっさと逃げを打ったのである。
小泉と共に改革路線を訴え、郵政民営化の「正当性」を声高に訴えていた、竹中平蔵は2005年9月、第3次小泉内閣で、
総務大臣兼郵政民営化担当大臣に任命されるが、形勢が不利と見て、1年後、2006年9月15日に任期を4年残して、
政界引退を表明し、学者に戻り、郵政民営化の責任から逃げ出した。
このようにして、郵政民営化推進の中心となる政治家がさっさと逃げだし、西川氏だけが後を任された。
小泉がいなくなったとみるや、他の勢力が増長し、鳩山邦夫は、日本郵政が宿泊施設「かんぽの宿」を
オリックスに一括譲渡しようとした問題を「不正義」と批判し、「西川攻撃」をはじめた。
この問題に関しては、「不動産売却等に関する第三者検討委員会」(委員長、川端和治・元日本弁護士連合会副会長)が、
5月29日、報告書を提出した。その内容は、
手続き上の問題はあったが、売却方針自体は経営判断として許容される裁量の範囲内
との結論だった。5月18日、日本郵政株式会社取締役会で続投の方針が支持された。
それでもまだ執拗に西川氏辞任を求めた鳩山総務相は6月12日、麻生当時首相に更迭された。
この時も西川氏の怒りは殆ど頂点に達していた。
◆民主党のマニフェストでは、郵政民営化を抜本的に見直すと書いているが・・・・。
民主党マニフェストの郵政事業・情報通信・放送
を読むと、確かに「郵政事業の抜本的見直し」に言及しているが、それが何故、
西川氏辞任を要求することになるのか、不明である。
鳩山由紀夫代表は、衆院選の前から、「民主党が政権を取ったら、西川氏には辞めて頂く」と
発言していたが、この発言をメディアも国民も問題視しなかったことは、迂闊だった。
郵便事業は確かに公共性が高いから、私も民営化には反対し続けたが、
少なくとも有権者は2005年の選挙では、それを支持し、日本郵政株式会社は民間企業である。
政権を取ったら辞めて頂くと、鳩山現代表は公言し続けていたわけだが、
どうして西川氏と話し合う前から辞めて頂く、といえるのか。
何故、西川氏が社長のままでは民主党の郵政事業の抜本的見直しが不可能、と選挙前から断言できたのか?
民主党政権下では、政府の方針に従わない会社は、国家権力を以て、強制的に経営者を辞任させるつもりか?
と言いたくなる。
鳩山代表の政治思想は「友愛」だったと記憶しているが、
西川社長の辞任を当然だ、と言いきる行為は「友愛」と矛盾しないのだろうか。
私には、これは国家権力の濫用、大袈裟に言えば「ファシズム」に見える。
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