JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:フィレンツェの大聖堂落書き、短大学長が関係者に現地で謝罪(7月9日21時37分配信 読売新聞) 【フィレンツェ(イタリア中部)=松浦一樹】世界遺産に登録されているフィレンツェ市中心部にある ◆コメント:誠心誠意謝る学長の真摯さと、許してくれるイタリア人の優しさ。 このニュース、最初にちらっと見出しだけ目に入った。 短大生がフィレンツェの世界遺産に落書き。 それだけで、本文を読む気がしなかった。 「国辱だな。」「女子大生にもなって落書きかよ、それも海外で。幼稚な娘だな」「話にならん」「取りあげるまでもない」 そういう心境だった。 しかし、テレビのニュースで、岐阜市立女子短期大学の松田之利学長が、落書きした学生を伴い、 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に赴き、大聖堂のアンナ・ミトラーノ館長らに謝罪している姿に、 本当の誠意を感じた。立派だと思った。 最近、多くの企業が消費期限切れの食品を売っていた、とか、不祥事がばれて、 「とりあえず、やばいから、記者会見を開いて頭を下げておこう」 というとき、頭は下げているが、本当はさほど悪いと思っていないことが分かる。 あれとは全然違いました。「心から謝る」とは、ああいう態度なのだな、と思った。 女子大生は泣いてばかりいないで国民に謝るべきだ、などと言う有識者もいるが、まあ、いいですよ。 ◆日本人の、予想を遙かに超えた、真摯な謝罪を快く受け入れてくれた、大聖堂関係者。 まあ、いいですよ、と書いたのは、フィレンツェの大聖堂の館長も、観光局の担当者も、殆ど「感動して」許してくれたからだ。 「あなたはもう責任を果たした」 と言って下さり、 観光局(だと思ったけどちがうかもしれない)の女性担当者は、 「あなたの笑顔が見られたらもっと嬉しいわ」 と言ってくれているのである。有難いことだ。その何とも言えない「優しさ」に私は心を打たれた。 本件は、そもそも非常に下らない、幼稚な行為であったことは間違いない。それは変わらない。 しかし、あの大聖堂、世界中からの観光客の落書きですごいじゃないか。 他の国で謝った奴なんか皆無。 大聖堂は、最初「わざわざ、謝りに来てくれなくても良い」という手紙を学長に送ってきたのだ。 それにも関わらず、岐阜市立女子短大は、事務局長とか、教務課長に押しつけるのではなく、 最高責任者の学長が、自ら赴き、世界が見ている前で、頭を下げた。 当たり前だ、というのは簡単だが、立派ですよ。態度を見ていてそう思った。なかなか出来ないですよ。 過ち(ちょっと幼稚だけど)をおかした事がない人間はいない。しかし、大抵謝らない。 過ちを犯したら、謝る。そして許す、というのが、日本人の私が言えた義理じゃないが、平和をもたらすのだろう。 正反対の例。中国なんか見なさいよ。 戦争のときの日本人の行為について謝れって、既に陛下と首相が21回謝っているのに、 まだ、謝れと言っているでしょ? そうすると、いくら昔、ひどいことをしたのは分かっていても、 中国人に好意を持てなくなりますね。 今回許してくれたイタリア人には好意を持ちますよね。そういうものだ。 過ちを犯したら恥ずかしいけど、誠心誠意謝る。 謝られたら、許す。 文字にしてしまうと当たり前に見えるが、 「人間の基本的な心のあるべき姿」、をこの落書き騒動は、端的に示す結果となった。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2006年07月12日(水) 「イスラエルが4日連続で空爆、レバノン北東部も攻撃」パレスチナ問題の基礎知識
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