DiaryINDEX|past|will
2008年06月22日(日) |
「元NHK交響楽団首席ホルン奏者・千葉馨さん逝去」←故・岩城宏之さんが千葉さんのことを書いた文章より抜粋しました。 |
◆記事:日本のホルン演奏の草分け、千葉馨氏が死去(6月23日15時2分配信 読売新聞)
千葉馨氏(ちば・かおる=ホルン奏者)21日、遷延(せんえん)性無呼吸で死去。80歳。
告別式は22日に近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く予定。
自宅は東京都新宿区中落合1の11の3。喪主は妻、玲子さん。
日本のホルン演奏の草分け的存在で、長年NHK交響楽団で首席ホルン奏者を務めた。
1983年に退団後は、国立音楽大教授として後進の指導に当たった。
◆コメント:昔懐かしい音楽家が次々に他界されて、寂しいです。
順番だから仕方ないけど、子供の頃から慣れ親しみ、尊敬し、敬愛していた、数々の音楽家が、
次々にこの世を去って行く。仕方ない。仕方ないのは分かっているけど寂しいです。
今はもう、岩城宏之さんも、山本直純さんも、山田一雄さんも、渡邉暁雄先生も、江藤俊哉先生も、
カラヤンも、バーンスタインも、芥川也寸志さんも、黛敏郎さんも、団伊玖磨さんも、逝ってしまった。
今日、又一人、私が子供のころから何度となくN響の演奏会でその雄姿と名演奏を見て聴いた、名ホルン奏者、
千葉馨さんが、お亡くなりになっていたことが分かった。
千葉さんについては、弊サイトでも書いたことがある。「美しい音」(ココログはこちら)。
しかしながら、千葉馨さんが音楽家として、ホルン吹きとして、また、オーケストラのホルン吹きとして、どれぐらいの存在なのかは、
音楽家で一緒に仕事をした方でないと、本当には、分からないだろう。
故・岩城宏之さんが、色々な音楽家に出会ったエピソードを綴った、
「棒振りのカフェテラス」(文春文庫)という本がある。
苗字のアルファベット順に書かれているから、Chibaさんは3人目に早くも登場する。その一部を、大著作権侵害だが、あえて書き写した。
少々長いが、お読み頂きたい。
◆千葉馨(NHK交響楽団首席ホルン奏者)Kaoru Chiba
「カラヤンからのメッセージなんだけどね、カラヤンがバーチにベルリン・フィルのトップになってほしいってさ。
その気があったら、一ヶ月以内にザルツブルクのカラヤンの別荘に来てくれって、言ってきたよ」とぼく(引用者注:岩城さん)。
千葉馨という大男、通称「バーチ」は、急にキヲツケをしたように見えた。そうではなかった。
瞬間、息を大きく吸い込んで、そのまま彼の時間は停止した。
こういうことを大男がやると、下の方からはまるでキヲツケに見えるのだ。
バーチの顔は真っ赤になった。そのまま数十秒過ぎた。それから目がクルクル回りだした。
「ウ、ウウウン、ウ、ウ、ヤ、ヤッパリネ、でもネ、ウン、やっぱりベルリンには新鮮なうめえ魚が
無いだろうからね、ウン、まあ、遠慮するよ。ウン、そういうわけだ。」
ことの起こりはこうだった。
1964年だったか、65年だったか、今はっきり覚えていないのだが、この年の春にカラヤン率いる
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が何回目かの日本演奏旅行にやってきた。歓迎レセプションとか、
彼らがわがNHK交響楽団の練習所を使ってリハーサルをするのを手伝うとか、両方の旧知の楽員たちの飲み会やら
何やらで、てんてこ舞いはいいが、ベルリン・フィルの最初の東京での演奏会を聴けないまま、N響は北米、南米旅行に
飛び立ったのだ。
一ヶ月以上して、我々が日本に帰ってきたとき、ベルリン・フィルは勿論日本を去っていた。
我々が南北アメリカ旅行に出発した後、日本中をぐるぐる動いていたカラヤンとベルリン・フィルが、
大阪で音楽会をやった時のことだそうだ。曲はブルックナーの何番目かのシンフォニーで、その時に、
ブルックナーでは最も重要なホルンが、たて続けに音をミスしたらしい。音楽会の後、不機嫌なカラヤンが、
突如、事務局長に言ったそうだ。
「そうだ。この国には、チバという上手なホルン吹きがいる。彼の電話番号をあんた、知らないか?」
「・・・・・・・。」
「ベルリンフィルの事務局長の立場として、世界中の一流奏者の住所を全部知っているべきじゃないか。」
カラヤンは1955年だかに、N響をかなり長期間指揮していて、ホルンのトップの演奏ぶりをちゃんと覚えていたのだ。
この人は相手の顔も名前も、主としてどの国の言葉を話すなんてことまで、絶対に忘れないのだ。
「明日から、チバを演奏に参加させよう。その旨、NHKに頼んでくれたまえ。」
「あのー。N響は先週から南米に演奏旅行に行っていて、日本にはいませんよ。そのミスター・チバも、
だから旅行中のはずです」
「かまわん。南米から呼び返せ。」
帝王というのは、こういう時にまことにわがままである。ひとのオーケストラの楽員を、しかも、
しかも遠い南米に演奏旅行中のトップ奏者を連れてこい、と言い出すのだから、メチャクチャだ。
とにかく、呼び返すのは不可能となって、さっきの伝言となったのだ。その頃東京にいた、
カラヤンと親しいウィーン・フィルの音楽家がぼくに伝えたわけである。
戦後、カラヤンがロンドンでフィルハーモニアというオーケストラを組織して活動していた頃、
ホルンのトップがデニス・ブレインだった。ブレインは1955年頃、自動車事故で亡くなったが、
今でも世界音楽史上最大のホルン奏者として、伝説的人物だ。千葉馨は、このブレインの弟子でもある。
カラヤンはブレイン的というか、イギリスタイプのホルン吹きが好きなようで、ベルリン・フィルの
常任指揮者になってからも、しばしば、イギリスの若い奏者をオーケストラに入れている。しかし、
どれも上手くいかない。ベルリン・フィルは強烈な個性と音色を持っている。ホルン・セクションは特に
ドイツ的である。そこにいきなりカラヤンがイギリス的なのを連れてくると、臓器移植の時のように、
拒絶反応が起きるのである。みんなでよってたかって演奏上の意地悪をして、結局はイビリ出す。
カラヤンが指揮をしているときはまだしも、しかし、ベルリン・フィルの年間スケジュールの三分の一か
四分の一しか、カラヤンは指揮しないのである。今まで何人かが、いたたまれず去ったのだった。
バーチは「ウーン」と唸っている間に、コンピューター的な速さでこのことを考えたのだろう。
それにしても、
「ベルリンには、美味い刺身や焼き魚がねえからなあ・・・」
とはよくも言ったりである。ヌケヌケとこんなことを理由に、カラヤンの切なる希望を断ったヤツが、
世界にいるだろうか。
(中略)
二十年間、N響を振る度にバーチに勝負を挑んでジタバタやってきた。
説明するのは不可能だが、音楽の内面で勝ちたい、という意味である。
まだ、一度も勝てないのだ。
N響は僕には世界で一番大事な、好きなオーケストラだが、時々、一体どうしてなんだろう、と思う。
その度にN響とは千葉馨その人を指すことだ。バーチが僕のN響なのだ、と思うのだ。
他人には全く分からないだろうが、僕が心の中で繰り返し叫ぶ言葉がある。
「長嶋茂雄はジャイアンツの千葉馨なのです」
コメントを差し挟む余地はないのですが・・・・
上の文章、相当中略しています。そこは、千葉馨氏が岩城さんの言うところのガクタイ(この概念、
原著を読んで頂くしかない)の典型、いやガクタイそのものなのだ、という長い賛辞で埋まっています。
岩城さんにとって、N響=バーチこと千葉馨さんだったし、ガクタイ=千葉馨さんだった、というわけです。
一人の独立した、プロの音楽家、指揮者にそこまで思わせる千葉馨さんは、
やはり、不世出の音楽家であり、ホルン吹きだったのだろう、と素人は漠然と想像するしかありません。
◆あの世で千葉さんが師匠と再会出来ますように。
短い間だったが、千葉馨さんは、間違いなく、「奇跡のホルン奏者」デニス・ブレインの弟子だった。
半世紀ぶりにあの世で再会して、きっと千葉さんは、デニス・ブレインに、また、レッスンを乞うに違いない・・・。
デニス・ブレイン演奏、指揮:ウォルフガング・サヴァリッシュ、フィルハーモニア管弦楽団で、
R・シュトラウスホルン協奏曲第一番です。曲の冒頭、アルペンホルンを思わせるようなホルンソロで
始まります。音質は1950年代のもので、良くありませんが、「再生音」じゃなくて、「音楽」を聴いて下さい。
第一楽章です。
ダウンロード RichardStraussHornContNO1First.mp3 (4988.5K)
第二楽章です(本当は第一楽章から切れ目なく演奏されます)。
ダウンロード RichardStraussHornContNO1Second.mp3 (4712.2K)
第三楽章、フィナーレです。
ダウンロード RichardStraussHornContNO1Third.mp3 (4757.5K)
何だか、泣けてきちゃった。千葉さん、数々の名演、忘れません。
ホルンの素晴らしさを教えて下さって、ありがとうございました。
謹んでご冥福を祈ります
【追加】Kenさんのブログで千葉先生の演奏姿、音をご覧になりお聴きになれます。】
我が敬愛する音楽家。Kenさんがやはり、千葉先生追悼の文章をブログに書いておられますが、
何と、1964年にアンセルメ(スイス・ロマンド管弦楽団の指揮者として名を馳せた方)が来日して、N響を指揮したときの、ストラヴィンスキーの「火の鳥」の映像があります。
千葉先生のソロを聴いて、演奏姿を見ることが出来ます。
是非お読みになり、ご覧になることをお薦めします。
訃報拾い出し:千葉馨氏(元NHK交響楽団首席ホルン奏者、国立音楽大学名誉教授)
【読者の皆様にお願い】
是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2007年06月22日(金) ワレ、接続ニ成功セリ。/【音楽】ホラ・スタッカート by ハイフェッツ、ドクシツェル
2006年06月22日(木) 今晩のN響アワー(打楽器特集)は面白いと思いますよ。
2005年06月22日(水) 日本の高度成長期は最早終わったのに、いまだに世の中は忙しすぎる。
2004年06月22日(火) 「イラク戦争は今でも正しいと思っている」(小泉首相) そうですか。それでは伺いますが・・・。
2003年06月22日(日) ウィンブルドン・パーク・ロード