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JIROの独断的日記
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2007年06月30日(土) 「『久間防衛相発言、問題視せず』安倍首相」←立花隆氏の言う通り「政治的センス」は無いが本質ではない。/ラ・カンパネラ

◆記事1:久間防衛相 原爆投下に関し「しょうがない」の発言

久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大学で「我が国の防衛について」と題して行った講演で、

太平洋戦争終結時に米国が広島、長崎に原爆を投下したことについて

「米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を落とした。無数の人が悲惨な目にあったが、

あれで戦争が終わったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている」と述べた。

被爆地・長崎の出身でもある現職閣僚が、原爆投下を部分的に肯定したとも受け取れる発言に対し、

野党は閣僚の罷免を求めるなど激しく非難しており、波紋が広がっている。

久間防衛相は当時の戦況について

「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。

これなら必ず日本も降参し、ソ連の参戦を食い止めることができる、という考えだった。

間違えば北海道まではソ連に取られてしまった」などと分析した。

原爆投下については「米国を恨む気はないが、勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのか」

と疑問を呈し、その一方で

「国際情勢や戦後の占領を考えると、選択肢として戦争の場合は(原爆投下も)あり得るのかなと思う」と言及した。

久間防衛相は同日夜、東京都内で記者団に対し、自身の発言が問題視されていることについて

「ソ連の意図を見抜けなかった日本の判断ミスについて言った。

そのために、私の(選挙区である)長崎なども悲惨な目にあった。

しょうがない点もあるが、相手の意図を見抜かなければならない。

それで『米国(のこと)はもう恨んでいない』と(いう趣旨のことを言った)。

原爆を是認したわけではない」と釈明した。(7月1日9時44分配信 毎日新聞)


◆記事2:久間防衛相発言、問題視せず=「米国の考え方を紹介」−安倍首相

安倍晋三首相は30日、遊説先の香川県丸亀市内で記者会見し、

久間章生防衛相が米国の広島、長崎への原爆投下について「しょうがない」と発言したことについて、

「詳しいことは聞いていないが、久間氏は米国の考え方について紹介したと承知している。

同時に原爆の惨禍にあった長崎の被爆地としての考え方にも言及されたと聞いている」と述べ、

現時点では特に問題視しない考えを示した。


◆コメント:久間防衛相ってのは、何なんだ。「イラク戦争は正しくない」と発言したことがあるのだ。

「久間防衛相ってのは何なんだ?」

「バカです。」

と、一刀両断に切り捨てて済ませたいところだ。

よりによって、長崎が地元である政治家が、というよりも、日本人の政治家が、

「原爆投下は、しょうがないなと思っている」

という言葉を口にすること自体、バカであることの証明である。


ところが私は、久間防衛相が以前、比較的まともな発言をしたことがあるので、彼がここまでバカだとは思っていなかったのである。

「比較的まともな発言」とは、1月29日付(エンピツ)の記事

「防衛相発言、米が真意ただす=イラク戦争批判で」←馬鹿野郎。真意もへったくれもねえだろう。

(ココログではこちらです。)

で取り上げたもので、発言内容は、アメリカが2003年3月20日イラク戦争を始めたことに関して、
「核兵器がさもあるかのような状況でブッシュ米大統領は踏み切ったのだろうと思うが、その判断が間違っていた」

というものである。

私がこの発言を「正しい」と書かず、「比較的まともな」と表現するのは、過去、この日記で何度書いたか分からないが、

仮に、イラクが本当に核兵器又はその他の大量破壊兵器を保有していたとしても、米国の対イラク開戦は国際法上、違法だから、である。

その理由は、上のリンク先で何十回目かの復習をかねて詳しく書いたので、お読み頂きたい。

私は、全国会議員の全ての発言をチェックするほどヒマではないので、正確には分からないが、

久間防衛相以前、与党の国会議員で「アメリカの開戦は正しくない」と発言した政治家はいないのではないか。

現役ではないが、私が知っている限り、最もはっきりそれを指摘したのは、故・後藤田正晴・元官房長官である。

生前、TBSの「時事放談」で
「これはね。戦(いくさ)自体が間違っている」

(文字通りではない)と述べたのである。

それは、後藤田正晴 日本への遺言に載っている。

先日亡くなった宮沢さんも同様の発言をしていたような気がするが、うろ覚えで、確証がない。

野党は、「イラク戦争の大義」という曖昧な発言を繰り返していた。それはあたかも、もし、本当に大量破壊兵器があったら、

イラク戦争開戦は結果において正しかった、と考えているように聞こえる。繰り返すが、そうだとしたら、その考え方は間違っている。

話を戻すと、

私は、久間防衛相が初めて「イラク戦争は間違っている」と発言した与党議員であるという理由で、その時(今年1月)は、

「田舎の町長さんか、駐在さんみたいだが、このオッサン、以外にまともなのかな?」

と、一瞬思ったのだった。信じかけた私がバカだった。



◆久間発言を擁護してしまう安倍首相のドジさ加減。

安倍内閣は史上稀に見る「不祥事・スキャンダル大量生産内閣」で、今から選挙の負けが明らかである。

そこで、中川幹事長(か政調会長かどっちか)が、早くもディフェンスに回り、

「仮に(参院選で)過半数割れになっても、直ちに首相が辞めることにはならない」

などと言っている。与党幹部が選挙の一ヶ月も前から負けることを前提に発言する、という状況も珍しい。

ブックマークしている方も多いだろうが、立花隆氏がネット上のコラム立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」、6月29日付で、

第111回 女子高生も「経験不足」と嘆く 未熟な安倍首相よ、政権を去れ! (2007/06/29)

と題する稿を上げているが、ここまでコケにされる首相もまた、記憶にない。

ここで、立花氏は、安倍首相は本質的にはバカでも、無能でもないが、「政治的センス」に欠けるから、支持率が下がる一方なのだ、

という趣旨を書いている。

とりわけ小泉前首相と安倍首相を対比した場合、「政治的センス」の差が非常に明らかだという。

私はこの記事を読んだ直後に、「安倍首相、久間防衛相を擁護」の記事を目にしたので、なるほどな、と思わざるを得なかった。

タダでさえ、社会保険庁問題ただひとつで、支持率は地に落ちている、というときに、

閣僚の一人が、日本の政治家のタブー、原爆投下容認をしてしまったのに、また庇っている。

立花隆氏のコラムでは(やや悪ノリし過ぎの感があるが)、携帯を通じた、女子中高生への「世論調査」で、

やはり安倍首相の評価は低く、否定的な評価の中には「経験不足」という意見があり、女子中高生にまで「経験不足」と

言われるような首相は、さっさと宰相の座を去れ、という訳である。

私は、その論理は如何なものか?と思う。


◆「政治的センス」は二義的な素質である。

前述した立花氏のコラムにいわゆる「政治的センス」とは、言い換えれば、

「政治家として(或いは権力の座に)生き残るための処世術」

であり、その意味では確かに、小泉首相の方が、安倍首相よりも「政治的センス」があっただろうが、

これは「ものは言いよう」。つまり表現の問題である。別の言い方をすれば、小泉の方が狡賢い、ということだ。

そして安倍氏が「女子中高生にまで『経験不足』と言われるようじゃ、おしまいだ」との思考は適切ではない。

女子中高生が正しく充分な知識と、確立された思想と、適切な判断力を必ずしも持っているとは限らないからである

(控えめな書き方をしているが、ホンネを書くなら、「そんなもの、あるわけねえだろ」になる。無論、中には優秀な子もいるだろうが)。


◆小泉前首相とて、持っていたのは「センス」だけで、思想のいい加減さはすさまじかった。優れた政治家なんてもんじゃない。

立花隆氏の29日付コラムは、敢えて悪い言葉に書き直すならば、

「政治家というのは、狡くなくてはやっていけない。

小泉前首相はその狡さが抜群だったが、安倍首相は、政界で本当に修羅場をくぐっていないので、政治家に不可欠な狡さが身についていない。

ということである。

それはそれで正しいが、政治家は立ち回りが上手いだけでは、無論ダメなのであって、本当に重要なのは政策とその根底にある思想だろう。

小泉前首相は、

「イラク戦争は正しい」

と公式に見解を表明した。

これは、アメリカの違法行為、イラク戦争という人殺しを正しいと言ったことになる。

私は、この一点だけでも、小泉氏は指導者、いや、政治家として失格だと思ったし、今も思っている。

さらに、とどめの一発があった。

小泉前首相は、首相就任時の公約のひとつに、
「財政健全化の第一歩として、国債発行を30兆円以下に抑える。」

ことを掲げたが、これを簡単に破っておきながら、国会においてこの点を追及されたら、
「このぐらいの公約違反はたいしたことではない」

と平然と発言してヘラヘラと笑っていた。

政治家は国民にウソの公約を掲げて構わない、と考えているのだ。

以上二つの事実だけで、私の小泉前首相に対する評価は「採点対象外」つまり、問題外となった。今も変わらない。



こういうことを無視して、小泉の「政治的センス」(狡猾さ)にのみ着目し、

安倍首相より優れた政治家であったかのような評価を下すのは(或いは、そのように解釈されかねない文章を書くのは)正しくない。


◆安倍首相はセンスも無いが、それ以前に思想が危険である。

私は、安倍首相が如何にも政治的センスに欠ける、という立花氏の主張それ自体には同感だが、

「もっとうまくやればよいのに」とは思わない。

このままいけば、彼は間もなく失脚するであろう。それは、いいことだ。

首相が憲法を変えるということは、それ自体、違憲である。

とりわけ、安倍首相が変えようとしているのは、戦争放棄を謳った憲法9条である。


こんな危険な人物からは、早く権力を奪わないと、大変なことになる。

憲法の起源はフランス革命時の人権宣言にあり、国民の自由を保障するため、国家権力に制約をかけることが憲法の本質的機能である。

その、制約をかけられている側、国家権力の側から、「この制約を無くそう」と言い出してはいけないのであり、

ましてや、国民がそれに同調し、本当は今の憲法のどこが問題なのか、指摘できないのに、

「時代に合っていないから」憲法を変えた方が良い、などと、安易に世論調査に答えてはいけない。


◆まとめ。


  1. 久間防衛相は今夜(日本時間7月1日(日))になって、「しょうがない」発言を反省し、陳謝しているそうだ。謝ったって無駄である。「原爆投下はしょうがない」と彼が考えていることは、最早明らかなのだから。

  2. 安倍首相は、立花隆氏が言うように、確かに「政治的センス」に欠ける。久間氏が「しょうがない」発言をした時点で、弁明の余地を与えず、直ちに彼を更迭していたら、世論の安倍首相に対する見方は随分変わったと思うが、今までの閣僚の不祥事の場合と同様に、擁護に回った。経験から学ばない人物のようである。

  3. 小泉前首相は安倍首相に比べて、「政治的センス」はあったかもしれないが、それは、小泉氏が優れた政治家であることを意味しない。小泉はアメリカによる、イラクへの違法な武力攻撃、即ち「人殺し」を正しい、と断言した。この一点だけで、私は彼は問題外と考えている。

  4. 安倍首相は「政治的センス」が無いことよりも、基本的な思想自体が危険である。彼に権力を持たせておいたら、国家権力は何処までもつけあがるであろう。首相が憲法を変えよう、と言い出すこと自体、違憲である。

  5. 政治家を見るときは、小手先の立ち回りではなく、本質的な思想を良く見極めることが肝要である。

以上。


◆【音楽】また、テレビで「フジコ・ヘミング」の番組を放送したのですね。

アクセス解析を見たら、「フジコ・ヘミング」で検索してアクセスしている人が多い。今日はテレビ朝日だ。

テレビ屋さん、いい加減にしてほしいな(イライラ・・・)。

あのね。あの人は、ヘタクソです。

本当の一流のピアニストが演奏したラ・カンパネラをお聴かせいたしましょう。


ダウンロード campanella.mp3 (4482.8K)



これが、本来の弾き方です。


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