JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:大林容疑者に捜査員20人殺到、両手掲げ路上に立ちすくむ 愛知県長久手町の立てこもり事件は、発生から29時間たった18日午後8時48分、ようやく解決した。 ◆コメント:要するに、今回、警察がしたことは、「自分から出てきた犯人を20人で取り押さえた」ことだけなのですよ。 本件だけを持って警察・警察官全体をダメだ、というつもりはないが、今回の事件は如何にも不首尾であったように思われる。 ◆撃たれて、血を流し、倒れて苦しんでいる同僚を6時間救出しないってのは、どういうこと? 犯人はピストルを(大量の弾も)持っていた暴力団員であるが、警察官もまた、言うまでもなく拳銃の所持を許可されている。 血を流し、苦痛のうめいている同僚を、仲間を、6時間も救出出来ない、といって助けなかった、という事実が私は一番ショックだった。 もしも、撃たれたのが一般人だったら、十時間ぐらい放っておかれるのではないか、と思った。 あの映像を見た本木巡査部長のご家族は、さぞや、警察という組織を恨めしく思っただろう。 私が何を言いたいかというと、 「私が責任を取る」 という警察幹部がいないのが、今回のようなていたらくの一因なのではないか、ということだ。 浅間山荘事件を知っている人間には、そう思えるのだ。
若い人も、テレビの記録映像を見たことがあるだろう。1972年2月19日(札幌オリンピック閉会の2週間後)、連合赤軍の5人が、 「誰か辞表を出す奴はおらんのか」 という声が上がったという。佐々淳行氏は、辞表をたたきつけた後、殉職した部下の弔問に向かった。 現場最前線で任務を全うして亡くなった、第二機動隊長、内田尚孝警視宅での話は、辛いが 内田警視の御母堂のあまりにも立派な言葉を読んで頂きたい。 それはさておき、やや論旨がぼやけてきたので、 私が何を言わんとしているかというと、次の通りである。 私は、犯罪も暴力も、ましてや戦争の話も大嫌いだが、警官なり兵士が職務に命を賭すに際しては、 「死んだら、自分の亡骸を引き取ってくれる仲間がいる」 という思いがなければ、命がけになどなれないのだ、ということだ。 今回は、その根本のところが崩れているので、非常に残念に思ったのである。 ◆結論:キャリア組の保身の為に警察が存在するのではない 結論を記す前に、公平を期すために、念のため書き添える。 SAT(Special Assault Team)がいつも今日のような頼りない組織ではないということ。 「特殊部隊SAT」は日本赤軍が日航機をハイジャックした1977年の「ダッカ事件」の後、極秘裏に準備が進められて編成された。 最初は警視庁と大阪府警だけだった。その後、北海道、千葉、神奈川、愛知、福岡にも配置されて人員が200名を超えた1996年、 初めて存在が公表された。 それ以前から既に、1979年、三菱銀行北畠支店で、猟銃を持った梅川という男が行員を人質に立て籠もったときには、強行突入して、犯人を射殺した。 比較的近年では、西鉄バスジャック事件で、バスに閃光弾を投げ込み、やはり犯人の身柄確保と人質救出(それまでに既に犠牲者が出ていたが)に成功した。 状況がことなるけれども、三菱銀行などをかんがえると、どうして今回はこれほど、警察は動けなかったのか。 人質の女性が自力で脱出したら、もう、突撃でも射殺でもすればいいでしょう? 冒頭の記事にあるように、警察が今回やったことといえば、 「自分から投降してきた犯人を20人で取り押さえた」 ことだけであり、これでは如何にも頼りない。 SATは、テロリストを制圧するための特殊部隊なのだ。 何故、29時間もかかったのかというと、愛知県警の幹部のキャリア組が、人質が殺され、自分の責任を追及され、「経歴にキズが付く」のが怖くて、 「私が責任を取るから、思い切って突入せよ」と言えなかったのだろう。 公務員(警察キャリアも、内閣総理大臣も公務員)にせよ、民間企業にせよ、 責任者が責任から逃れようとする組織は、ダメだ。 ◆【追加】佐々淳行氏の談話が毎日新聞に載っている。 本文中、浅間山荘事件での逸話を紹介した、当時の現場指揮官、佐々淳行氏の談話が19日付の毎日新聞に載っていた。 あまりにも我が意を得たり、なので、御紹介する。 元内閣安全保障室長、佐々淳行さんの話 【読者の皆様にお願い】 駄文をお読みになり、お気に召した場合、エンピツの投票ボタンをクリックしていただけると、幸甚です。 画面の右下にボタンがあります。 よろしく御願いいたします。
2006年05月18日(木) 「医療」法案、衆院本会議で可決←共謀罪、教育基本法改正が続きます。
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