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JIROの独断的日記
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2007年03月01日(木) 【ワシントン・ポスト翻訳】「硫黄島の共感から得られた教訓」(政治評論家:ジョージ・ウィル)(2)(了)

◆【ワシントン・ポスト翻訳】「硫黄島の共感から得られた教訓」(政治評論家:ジョージ・ウィル)(2)

「死んでゆく、哀れな敵の兵士を見て、喜ぶものではない」

(1898米西戦争時の、アメリカ海軍、フィリップ艦長が、敵艦が沈むのを見ていた部下の将兵たちに向って、述べた言葉)
(JIRO注:ワシントンポスト原文では、記事冒頭に引用されている。)


ワシントン・ポストの映画評論担当者、ステファン・ハンターによると、1940年以降に制作された第2次世界大戦に関する英語圏の映画は約600本にも及ぶが、

それらの中で、日本兵の人間性を認識し、描写したのは、わずかに4本だという。因みにその一つは、有名な「戦場にかける橋」(1957年)である。

多分、敵国のごく普通の徴集兵への共感を感じるということは、戦勝国ならではの満足感の表出なのだろう。

そういう感情を抱くためには、教養を要する。しかも、このような倫理的な想像力を喚起するためには、芸術の助けを借りねばならない。

クリント・イーストウッド監督による「硫黄島からの手紙」がアカデミー賞にノミネートされるほど、傑出した作品として評価されたのは、

倫理観を喚起する芸術性を有するからであろう。


この映画を見るのは、辛い。この作品では、可能な限り実際の戦闘に映画を近づけようとする試みが為されている。

硫黄島の戦闘では、具体的に述べるならば、6,821人のアメリカ兵が命を落とし、戦闘に参加した22,000人の日本兵のうち、生き延びたのは1,083名だけだった。

それが、この小さな島、面積がわずか8平方マイルの溶岩で出来ている島で起きたのだ。


「プライベート・ライアン」のあの恐ろしい最初の15分を貴方は覚えているだろうか?オマハ・ビーチにおける大虐殺を描いたシーンである。

「硫黄島からの手紙」の描写は、あれを凌駕している。その悲惨さにおいて、である。


硫黄島における日本陸軍の指揮官、栗林忠通中将は、---真珠湾攻撃の指揮を執った海軍の山本五十六と同様に、----当時としては例外的なほどの国際人だった。

栗林中将は駐米経験があった。そしてずっとアメリカを讃美していた人物なのである。


2005年、日本の歴史学者のグループが硫黄島を調査し、人間が掘ったことが明らかな洞穴を見つけた。

洞窟のなかには、栗林中将や他の士官、そして兵士が書いた大量の---決して届くことがなかった---手紙を発見した。

全員が、彼らは戦力において、圧倒されていること。本土から助けが来ないことを知っていた。

彼らは、日本軍の伝統にもとづき、敵に降伏するぐらいならば自害せねばならぬという運命に直面した事を知っていた。


日本兵は第二次大戦において、ドイツの正規軍の兵士よりも残虐性を示すことがあった。

徴兵された兵士であることが、残虐な行動の有責性を軽減するかどうか、判断は難しい。



いずれにせよ、この映画は、それがどうであろうと、数々の手紙に現れた悲哀が、日本の軍人の人間性を見事に描いている。

彼らの運命主義は理不尽な現実に対する、当然の反応だろう。

この映画を見る人は、米国海兵隊の勇気に誇りと感謝の念を覚えるだろうが、戦勝に対する歓喜という感情を抱くことは無いだろう。

われわれは、冒頭に引用した、フィリップ艦長の繊細さに、近づきつつあるのかも知れない。

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