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JIROの独断的日記
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2004年03月01日(月) 「<ハイチ>多国籍軍派遣、国連安保理が決議 」 ハイチ情勢概論

◆記事:<ハイチ>多国籍軍派遣、国連安保理が決議

ハイチでアリスティド政権が崩壊するなど政情不安が続いていることを受け、国連安全保障理事会は29日、緊急理事会を招集し、同国への多国籍軍派遣に向けた決議案を全会一致で採択した。これを受け、ハイチ周辺国に展開する米国部隊を主体とする多国籍軍が国際的な後ろ盾で、現地で展開する見通しだ。

採択された決議は、採択後3カ月以内との期限付きで「多国籍暫定軍」を早急に展開することを承認するとしている。また、その後の治安維持を引き継ぐため、国連平和維持活動(PKO)にあたる「国連安定化部隊」を展開する準備に着手するよう定めている。部隊の規模や構成国などに関しアナン事務総長に勧告の提出を求めた。アナン氏は決議採択後、「国際社会は彼らを忘れていないことを示した」と述べた。米仏両国の国連大使も歓迎を表明した。


◆コメント1:ハイチについて。

場所は、キューバのすぐ東の島。エスパニョーラ島というが、なんと、この島の東3分の2はドミニカ共和国。今回問題になっている、ハイチ共和国は西3分の1にある。歴史は古い。コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年にこの島をみつけた。

原住民のカリブ族は金鉱発掘のために白人に酷使されて、まもなく絶滅した。1503年には、早くも白人がアフリカから黒人を奴隷として輸入した。その後200年ぐらいはどうなっていたのか、よくわからぬが、フランス人の海賊がこの島に住み始めたらしい。

1697年にフランス領となった。フランス人はどんどん奴隷を連れてきて、綿花、砂糖、コーヒーの栽培をさせた。18世紀末には奴隷人口は40万人にも達した。1791年に奴隷が反乱を起こし、一旦独立に成功しかけたが、ナポレオンが大量の兵士を派遣して、反乱を鎮圧した。フランス人も上品そうなことを言っているが、えげつないことをしているのである。

しかし、奴隷たちは頑張って反乱を続けてフランス軍を撃退して、1804年1月(ちょうど200年前だね)ハイチの独立が宣言された。
ハイチは、世界で最初の黒人による独立共和国であり、ラテン・アメリカでの最初の独立国なのである。しかし、とにかく、この国は安定しないのである。19世紀半ばから、20世紀初頭までに大統領が22回も変わっている。

1915年からは20年間はアメリカ軍に占領されてしまった。1957年からは軍事独裁政権が続き、16年前の1988年になって、やっと民間出身のアリステッド大統領が就任するのだが、その後、何度も軍事クーデターが起こり、アリステッド大統領は1991年、国外に脱出し、そのあとの混乱を静めるために国連が多国籍軍を派遣した。

状況がおちついて、1994年の10月にアリステッド大統領が帰国したが、内政の混乱が続く。もう、むちゃくちゃである。2001年には武装グループが大統領府を襲撃して、政治的混乱(与野党の対立)が激化した。

要するに、自分たちでは混乱が収められず、そうしているうちに軍事クーデターが起こりそうになり、そのたびに国連が介入しているのである。


◆コメント2:「多国籍軍」と「国連平和維持軍」の違い。

今回、国連安保理が派遣を決めたのは多国籍軍であるが、平和維持軍とどこがちがうか?
結論。多国籍軍の方が重装備している。つまり、戦車とか大掛かりな武器を持ち込む。国連平和維持軍は自分を守るための最低限の武器しか携行しない。

また、国連平和維持軍は国連がどの国の人間がどれぐらい参加するかを決定する。指揮官も国連が決める。指揮官はしたがって国連の職員となる。費用も国連が負担する。各国と相談しながら編成を決めるので、派遣するまでに、時間がかかる。

多国籍軍は、今起きている混乱をすぐにでも、力ずくで鎮めよう、という目的なので、すぐに駆けつけることができる国から、現地へ赴く。従って、国連平和維持軍よりも短時間で展開できる。

多国籍軍の指揮官は、参加した軍隊の中で一番人数が多い国の人がなる。費用はそれぞれの国が負担する。
要するに、今回のハイチのように、多国籍軍の派遣が決定されるということは、それだけ、緊急性が高い、平和維持軍を組織していては間に合わない、という状況が存在するのだ、と考えて、ほぼ、間違いがない。

現在の国際法で軍事力の行使は原則として違法なのだが、国連憲章は、2つの例外を規定している。1つは、ある国が他国の侵略を受けて、個別的自衛権を行使する場合。要するに、正当防衛。もうひとつが、国連安保理がやむをえないと判断した場合。ハイチへの多国籍軍の派遣は2番目。どうしてもやむをえない、ということだ。

ちなみに、アメリカが、イラクに武力攻撃を開始したときは、国連憲章が認める2つのケースのいずれにも該当していなかった、という事実に、世界の人々はもっと注意を向けるべきなのである。


2003年03月01日(土) 航空管制システムに障害。トラブルがあって初めて分かる、有難さ。

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