JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:いじめ自殺 生徒の母が名前、写真公表 都内のシンポで いじめを苦に我が子が自殺した親らが集うシンポジウム「生まれてきてくれた命たちへ」が10日、東京都内で開かれた。 ◆コメント:被害者の名前が公表されるなら、加害者の名前と顔を公表すべきだ。 記事に登場する女性はは読んで分かるとおり、「いじめ自殺」が急に騒がれ始めるきっかけとなった、 ◆コメント:いじめは犯罪だ、という社会的認識を確立しないから、いつまでも(対応が)曖昧なのだ。 私は、いじめに関してはっきりとした意見を持っている。 「まず、いじめる奴が悪く、いじめた人間は罰せられるべきだ」 ということである。 新聞・雑誌・テレビが、特に昨年から「いじめ対策特集」「いじめを考える」の類を数え切れないほど組んでいるが、どれも甘い。 そもそも「いじめをなくそう」という表現が、認識の誤りを端的に示している。 「いじめ」は自然に起きるものではない。 過失でもない。「火の元に用心して火事を防ごう」とは訳が違う。 「いじめは」加害者が、「悪い」と知っていながら、なお、故意に能動的に実行する行為であり、 その行為は、暴行罪、傷害罪、名誉毀損罪、侮辱罪、窃盗罪、器物損壊罪など多くの犯罪の構成要件に該当する。 犯罪とは、「構成要件に該当する、違法、有責な、行為」である。」 現行法上、未成年者は責任能力が無いとみなされ(実際にはそんなことはないのは、経験則から明らかである)、 そのため、有責性がない(責任能力がない)と見なされるので、「犯罪」ではないのだ。 それに加えて少年法で特別に保護されている。だから、刑務所に行かないで済んでいるだけだ。 「悪いことを悪い」と認識して実行に移したものは、ガキであろうが刑罰を加えるべきである。 人ひとりを自殺にまで追い込んだということは、永遠に取り返しの付かない悪業である。 それだけのことをしてしまったのだから、加害者は一生その罪を背負うべきである。 ◆コメント:いじめられる側が悪いという論理のあやまり。 多くの加害者や、親は 「被害者がウジウジ、めそめそしているから、イジメられる隙をあたえるのだ」 という。こういう言動を日本語で「盗人猛々しい(ぬすっと たけだけしい)」という (意味の分からない人は辞書をひいてください)。 要するに、こいつは何か気にくわないとか、いじめたら面白そうだ、などの、 「情緒的動機」がイジメを開始するきっかけとなることが多いが、これは何の言い訳にもならない。 この世の中は、誰のために存在するのでもない。貴方のために、或いは私の為に存在するのでもない。 従って、世の中には自分にとってムシの好かない人間が「いるのが当たり前」なのだ。 貴方や私自身も誰かから、「顔を見るのも嫌な奴」と思われているかも知れぬ。 お互い様だ。そんなことを云っても仕方がない。 その感情を理性で制御して人間社会は成り立っている。 制御できるようになるのが大人になる、ということだ(その意味で最近は発育不全の「大人」が多いようだが)。 とにかく。 イジメをする奴は、この、誰もがしている我慢が出来ない人間だ。 理性より感情(というか殆ど本能)が勝った幼稚な生物なのだ。 ◆コメント:「悪い奴を懲らしめる」ことも許されない。 ある人間が悪いことをしているのでこれを懲らしめるためにイジメた。という「イジメの正当化」もよく見かける。
2006年02月10日(金) 受験シーズンの最中。受験生は大変ですな。少し気が楽になる話。
JIRO
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