JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆12月11日が彼の誕生日だったのです。 今週の月曜に書き損ねたのですが、11日がベルリオーズ(1803〜1869)の誕生日でした。
この「幻想交響曲」ってのは、できれば、コンサートで実演を「見る」と面白いです。 「ド・ドーレーミー、ファッミレッファミッレドッレ・ミ・ファ・ラッソー!」 (あのー、そこの、あなた。笑わないでくださいよ。音符を文字にするの、結構難しいんですよ。) と吹くところがあります。 このときに、ティンパニのリズムは、普通ですが、左右交互に(それも規則的じゃないのです)叩いている。 この「断頭台への行進」のまえの第3楽章、では、この2組のティンパニを更に複数の奏者が叩くのですね。 一番多いところは4人でしたっけ? さらに。 ちょっと細かい話になりますが、コルネット乃至はトランペットが華やかにメロディーを吹いているとき、 トロンボーンの3番奏者はバストロンボーンで、低い音をずーっと伸ばしています。大変なんですよ。 高音のフォルティッシモは出せますが、低音のフォルティッシモを吹いて、埋もれない(他の楽器の音にかき消されない)ように吹くのは大変です。 このマーチを聴くときは是非トロンボーンセクションの一番客席から舞台を見て右側、 つまり、もっと大きいラッパ、テューバに近いところに座っているトロンボーン奏者のバリバリ響く低音を聴いてあげてください。 とにかく、オーケストラは見るものだ、と思いますね。これは。 無論、視覚的なことより、音楽ですからまず「音」ですが、この点でも。「幻想」は生で聴いていただきたいのです。 それは、フル・オーケストラのフォルテ、フォルティッシモを身体で味わっていただきたいからです。 これは、音楽をヘッドフォンで聴いていたら、絶対に分らない快感です。 コンサートホールでは、楽器の音が身体全体にあたります。身体で聴くのです。床からも音は伝わってきます。 お客さんの身体が反射板の役割を果たしていて、余計に響きが複雑になります(空席があるのと満員では音が違います)。 さて、聴いていただいた「断頭台への行進」の一番最後、これぞ大編成のオーケストラのフォルティッシモ。 2組のティンパニはロール(連打)。金管楽器の咆哮。とどめを刺すように、バスドラム(大太鼓)とシンパルが同時にアクセントを付けています。 だけど、クラシックのフォルティッシモってのは、電気的に増幅した「大きい音」ではない。うるさくないのです。 それは、それぞれの楽器の演奏家が、全体のバランスを考えているからです。 ただ乱暴に、力任せにラッパを真っ赤な顔で吹いたり、太鼓をぶったたいているのではありません。 それでも、かなりの音量になります。「整然とした大音響」が身体を貫く。 この後終楽章の終わりなんかもっと凄いですよ。めくるめく色彩感。複雑な音の絡み合い。最後の本当のフォルティッシモ。 きっと、わくわくすると思います(うー、想い出すだけでたまらん。オーケストラはいいなあと思う瞬間です)。 ベルリオーズはピアノも弾けないのに、このような音楽を、頭の中でちゃんと鳴らしていたわけです(それができなければ作曲などできません)。 これを天才といわずして、何というのでしょう?
◆全く別のお話「モーツァルト全作品の楽譜を無料でオンライン公開」。 これは、すでにインターネット上ではずいぶんと知れ渡っているようですが、まだご存じない方もおられるかと思いまして。 【読者の皆様にお願い】 駄文をお読みになり、お気に召した場合、エンピツの投票ボタンをクリックしていただけると、幸甚です。 画面の右下にボタンがあります。 よろしく御願いいたします。
2005年12月14日(水) 「6証券、全額返還へ 株誤発注利益」
JIRO
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