JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆昨年も書いたが、何度でも書く。 17年前のことである。 ◆「決断―生体肝移植の軌跡」日本で最初に生体肝移植をしたのは島根医大だ 日本で最初の生体肝移植を行ったのは、他ならぬ島根医大だ。 「我々は肝移植を標榜している。赤ん坊は死にかけている。家族は結果は問わないから、手術をしてくれと言う。これでこの手術を断るなら、明日から肝移植の研究など止めよう」 と、病院スタッフに語りかける場面はご本人の控えめな文体からも、ものすごい迫力が伝わってくる。 永末医師は、この手術に失敗したら大学を追われることを覚悟して、その時には故郷の福岡で開業すればよいと思った、と本書では書いているが、 NHKの「プロジェクトX」に出演したとき、本当は、「医師も辞めなければならないかも知れない、 そのときは私は英語が得意だから、塾で英語の先生をすれば、食べられるだろうと思った」といった。 ここまで立派な先生がいたのか、と感激する。 杉本裕也ちゃんは残念ながら無くなったが、ご両親はそれでも、永末医師らスタッフに感謝していたことからも、医師の誠意が良く分かる。 島根医大の様子を見てから、京都大学や信州大学が次々に生体肝移植を行い、成功した。 京大が書いた岩波新書の「生体肝移植」の方が本書よりも有名になってしまった。 だが、「初めにやること」ほど大変なものはない。 永末医師の「決断」がなければ、今でも日本では生体肝移植は行われていなかったかも知れない。 本書は医療を語る書物の金字塔と言っても過言ではない。 ◆「洪庵のたいまつ」にある「洪庵の訓戒」そのものなのだ。 あまり付け加えることはないのだが、ひとつだけ。 洪庵は、自分自身と弟子たちへのいましめとして、十二か条よりなる訓かいを書いた。その第一条の意味は次のようで、まことにきびしい。 お分かりの通り、永末先生たちがなさったことは、まさにこのままではないか。 洪庵が知ったら、さぞや喜ぶことであろう。 立派な人々がいるものだ。 【読者の皆様に御願い】 恐縮ですが、駄文を読んでお気に召した場合、「エンピツ」の投票ボタンをクリックして頂けると、幸甚です。 右下にボタンがあります。
2005年11月13日(日) 16年前の今日(11月13日)日本で初めての生体肝移植が行われました。
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