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JIROの独断的日記
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2006年09月21日(木) <国旗国歌>学校強制に違憲判決 教職員401人が全面勝訴←「強制になるということではないことが望ましいですね」(天皇陛下

◆記事1:<国旗国歌>学校強制に違憲判決 教職員401人が全面勝訴

卒業式や入学式などで、日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するよう義務付けた東京都教委の通達は違憲違法だとして、

都立学校の教職員ら401人が義務がないことの確認などを求めた訴訟で、

東京地裁は21日、原告全面勝訴の判決を言い渡した。難波孝一裁判長は

「通達は不当な強制に当たり、憲法が認める思想・良心の自由を侵し、教育基本法にも違反する」と指摘。

教職員らに従う義務がないことを確認したうえ、通達違反を理由にした処分の禁止や1人当たり3万円の賠償も都と都教委に命じた。都側は控訴する方針。

(以下略。全文は、Webキャッシュ保存サービス「ウェブ魚拓」で保存しておきましたから、こちらから読めます。


◆記事2:皇室:天皇陛下「国旗国歌、強制でないのが望ましい」−−園遊会で米長氏に(毎日新聞 2004.10.29 東京朝刊)

東京・元赤坂の赤坂御苑で28日に開かれた秋の園遊会で、天皇陛下が東京都教育委員を務める将棋の米長邦雄永世棋聖(61)に

学校現場での日の丸掲揚と君が代斉唱について、「やはり、強制になるということでないことが望ましい」と話す場面があった。

天皇陛下が「日の丸・君が代」問題について発言するのは極めて異例。

米長氏は招待者として出席。都教育委員の仕事について「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」と語ったことに対し、陛下が話した。

米長氏は「もちろんそれはそうです」と答えた。

園遊会後に宮内庁の羽毛田(はけた)信吾次長は、側近を通じて陛下に発言の趣旨を確認したとしたうえで

「強制ということではなく、自発的というか、喜んで掲げる、歌うというありようが好ましいということを言われたのだと思う。

具体的な行政施策の是非を述べられたものではない」と説明した。米長氏は99年から都教育委員を務めている。


◆コメント:天皇陛下の方が、教育委員会より余程リベラルだ。

私はこの国歌・国旗の話というのは、好みでいうとあまり取り上げたくないのです。

判決自体は論理的に正しいと思います。その理由は後述します。



しかしねえ・・・。理屈とは別に、教職員も教育委員会もバカだなあ、と思うわけです。まず、

国歌・国旗を頑なに拒否する教職員は、大人げないと思うのです。

日の丸を掲揚して、君が代を歌ったぐらいで、生徒が右翼、国粋主義・民族主義者になるわけ無いじゃないですか。

証拠?

この私ですよ。

私の頃なんか、小学生から大学まで入学式やら卒業式(上級生を送るということで、自分が卒業する年ではなくても式に「参列」させられて)の度に、

国歌斉唱!とか日の丸掲揚!とかやっていたけれども、全然保守とか、右翼とか、そういう類ではないことは、

いつも駄文にお付き合い下さっている方は分かってくださると思います。

但し、純粋に「音楽としての君が代」は厳かで良いと思います。「仰げば尊し」もいいね。

「仰げば尊し」は天皇制とは無関係だから、もともと誰も文句を言わないけど、綺麗な歌じゃないですか。


◆陛下は司法判断や政治的判断に極力触れないのに、2年前、かなりはっきり米長をたしなめています。

記事2は痛快です。所謂、保守なんでしょうね。米長邦雄という人は。

きっと、陛下のお褒めの言葉を頂けると確信して、日本中の学校で、国旗掲揚、国歌斉唱させるのが、自分の仕事です、と陛下に申し上げたら、

意外にも、(米長氏の)予想に反して陛下がやんわりとたしなめられた、という格好ですね。

毎日新聞の引用は、

「やはり、強制になるということでないことが望ましい」

となっていますけれども、こういうのは、正確に書かないといけません。

かの有名な「ほぼ日」で当時鳥越俊太郎氏が書いた文章によれば、

天皇陛下のご発言は、正確には、
「強制になるということではないことが望ましいですね」


だそうです。「望ましい」では、やや命令的な色彩が出てくる。

陛下はその辺は分かっておられるので、「のぞましいですね」とおっしゃった訳です。

勿論、立憲君主制じゃないから、2年前の陛下のお言葉と言えども、司法が判決を下す際に、これを参考にしてはいけないのですが、

注目に値するのは、天皇陛下が、言論の自由を重んじておられるということです。

自分を敬うことを国民に強制してはいけないのだ、というお考えなわけです。

安倍新総裁よりも陛下の方が全然リベラルですな。


◆国歌斉唱を拒否した先生もオリンピックの表彰式で「君が代」が奏でられると、ウルウルしてるんじゃないの?

人間、いい加減なものです。

君が代が天皇を崇拝する国粋主義的な内容だからとか、理屈ではいってるけどさ。

本当にけしからんというのなら、他の国歌を作詞作曲して、代替案を提案したら? 

だれも、そこまではしないのですよね。



オリンピックで、日本人が金メダルを取ると、表彰式で君が代が鳴って、日の丸が真ん中のポールに掲揚されます。

あれを見て嬉しくないという人、あまりいないでしょう。


◆つまり、愛国心とか、それに類する思想・行為を強制されるべきではない、といいたいわけですね。

つまり、大抵の日本人は、「君が代」と「日の丸」自体が嫌なのではない。

教育委員会とか、公的権力がこれを強制するのは、思想・良心の自由の侵害である、というのが教師の主張。



私が冒頭で、この話題が嫌いだといったのは、両方ともバカだからです。公務員て暇なんですね。やっぱり。

繰り返すけど、教師はそう、意固地になるな、と、申し上げたい。

一方、教育委員会に言いたいのは、人間の感情において、極めて頻繁に現れる反応、「強制されると反発する」

ということも分からないのかね?ということです。放っておけば良いんです。


◆問題の好き嫌いはさておき、判決はただしい。

実際に教師がとった行為。即ち、国歌、国旗の拒否というのは、有り体にいえば「大人げない」感じはするのですが、

純粋に法解釈の問題として考えると、

「特定の思想を強制するのは、思想・良心の自由の侵害だ」という訴えは正しいですよ。今日の判決も正しい。

第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

今日の判決に違和感を覚えるというひとは、「国歌や国旗を尊重しない、という思想の自由も憲法の19条に該当するのか?

という疑問を抱いているのでしょう。



多くの人が見落としていると思われる憲法の条文があります。

日本国憲法第二十二条第二項 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。


この文言(もんごん)が意味するのは、国民は、日本人でいるのが嫌になったら外国へ移住して外国籍を取得して外人になっていいよ。ということです。

即ち、現行憲法は「国を愛さない自由」も認めていると言えます。

そうでしょう?

日本を愛せ、日本人であることに誇りを持てという思想を、国民に強要したいのであれば、このような条文をわざわざ置く必要がない。

不勉強なもので、この22条に言及した判決を読んでいないのですが、私は、本判決は論理的に正しい事を述べていると思います。


◆思想信条の自由と言ったって、ものには限度がある。

前段を要約すれば、日本国憲法は「国民が、日本国を愛さない自由さえ、是認している」

ということです(これに対して、「いや、日本人に生まれたら全員、愛国心を持たなければならない、」という思想の持ち主が安倍晋三という人物です)。



少し話を発展させます。

そこまで自由なら、仮に、日本をクーデターによって、或いは外国と結託して転覆させよう、という思想は許されるでしょうか?

それは、許されません。刑法で一番、重い罪は何だか知っていますか?

刑法81条から89条まで「外患に関する罪」がいくつかさだめられています。外患とは外国から受ける心配ごととか紛争という意味です。

刑法第八十一条 外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。

刑罰が死刑以外に無い。一番重い罪です。

因みに殺人罪は
第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

外国と結託して日本を潰そうとすることは、殺人より罪が重いのです。

誰だったか、思想家・哲学者の言葉だったと思うのですが、発言者は忘れましたけれども、内容ははっきりと覚えている名言があります。
民主主義は寛容の精神である。しかし、その民主主義を破壊しようとする者に対してまで寛容ではない。

私、これ、好きなんですよ。最後、本題から話が逸れましたが、今日は、ここまで。


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