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2006年09月07日(木) |
「週刊文春」最新号「総力特集 紀子さま第三子ご出産」の劣悪さ。 |
◆男子を産んだ女性の方が「人格」が優れているのか。
紀子様ご出産に際し、さぞや週刊誌がいろいろ勝手なことをかくだろうと思ってはいたが、あまりにも倫理観に欠けているので、敢えて取り上げる。
週刊誌は売れれば良いのである。その卑しい根性が丸出しであるのは、今回に限ったことではないが、
本日発売の「週刊文春」における、秋篠宮ご夫妻に対する手放しの賛辞と、皇太子殿下ご夫妻への、批判的論調は、
読者に誤った先入観を与える可能性が高く、全くもってけしからん。
◆小見出しを列挙する。
紀子様の「四つの顔」と題し、紀子様は「嫁」「妻」「母親」「娘」のそれぞれの立場で如何に優秀であるかを、
ほんの一つか二つの例を持ち出すだけで、「証明」しようとしている短絡にあきれ果てる。
「嫁」では、紀子様と美智子皇后が仲睦まじいのは、紀子様が婚約から結婚までの間に「皇室アルバム」のビデオを取り寄せ、
美智子様が国民に接するときの物腰を研究なさったのでしょう。などと書かれているが、それは推測に過ぎない。
その他、美智子様と一緒に台所に立ったことがある、とか、今の天皇・皇后両陛下が沖縄に深い関心をよせられているのを知り、
紀子様も沖縄には大変心をよせているとか、要するに姑に決して逆らわないことが良いのだという。
◆「妻」としての紀子様
初めて知ったが、秋篠宮さまは、長年ニワトリの研究に取り組まれており、そのレベルは「国立大学の教授レベル」だそうだ(ホントかね?)。
そして、その研究が進んだのは、紀子様の内助の功があったからだ、と週刊文春は強引に結びつける。
秋篠宮様が研究仲間と「ホテルで」討論会をしていると議論が白熱して、ボーイがいなくなる時間になることもあるという。
そんなときに紀子様は甲斐甲斐しく、皆にカクテルを作ってお出しになる。皆感激する、というのである。
この話も、どこかおかしい。
ホテルで学術的な討論会をすることが自然科学者の間で一般的かどうかは別として、
皇族である秋篠宮様を後に残して、ホテルの従業員がいなくなる、などと云うことがあるとは考えられぬ。
仮に話が真実だとしても、紀子様のカクテルが、秋篠宮様の研究をはかどらせた、と関連づけるのは、短絡である。
◆「母」としての紀子様 「紀子様の合図でおやつスタート」だとさ。
四年前に秋篠宮ご一家は富山を旅行された。途中、ある民宿に立ち寄った。そこの主人の証言。
「ご一家は一時間ほど滞在されましたが、お子様はお行儀がよろしくずっと正座でした(引用者中:当たり前です)。夏だったのでスイカをお出ししたのですが、眞子さま、佳子さまは、お上がりになる前に『食べてもいいですか』という表情で紀子様の方を向かれた。紀子様は軽く頷かれました。それが、“いいよ”のサインなのでしょう(笑)。それで初めてお召し上がりになりました」紀子様の躾が如何に行き届いているか分かるが・・・(後略)
当たり前です。これぐらいのことは皇族でなくても躾けている家庭はいくらでもある。本来それは「普通のこと」なのだ。
世の中全体が行儀が悪くなったから、相対的に「さすが、やんごとなき方は違う」とこの民宿の主人は感心したのだろうが、
曲がりなりにも秋篠宮ご一家は皇族。これぐらいの行儀をしつけるのは当たり前だ。
そして、この一件だけを見て、眞子さま、佳子さまに対する全ての躾が上手くいっているとは断定できぬ。
◆「娘」学習院川島ゼミで紀子様の話題は「タブー」
週刊文春の記者は「タブー」の意味をよく調べたのだろうか。
「タブー」とは単に口に出してはならないことがら、という意味で使われることも多いが、日本語に当てはめれば「禁忌」、
つまり忌まわしいこととして触れてはならないもの、である。
週刊文春は、川島教授が今や天皇家の親戚筋に当たるのに、そのことをひけらかさない奥ゆかしく控えめな人柄で、
「この父にしてこの娘あり」といいたいのだろうが、紀子様の評価とは直接関係がない。
そしてこれこそ、超弩級のタブーだから、はっきり書くのは避けるが、秋篠宮様と紀子様の間には結婚前に一騒動あって、
川島教授が皇居に乗り込んだという噂が流れたのは、知っている人は知っている。これ以上は書けない。
◆長くなるので端折る(はしょる)が、週刊文春の記事は明らかに恣意的である。
「雅子さまは120点主義。紀子様は80点主義」。
つまり、雅子さまは、もと外務官僚で実務能力に長けているが故に、何事にも完璧を期する。だから、体調を崩すのだ。
ほどほどで満足する紀子様の方が処世術をわきまえている、と言いたいらしい。
それは、各人の個性の相違に過ぎず、優劣を付ける事柄ではない。
「皇太子と秋篠宮 逆転した兄弟のお立場」
これは、昨日の日記で私も書いたが、浩宮さまの「雅子さま人格否定発言」の半年後、弟はこれを批判した。
週刊文春はそれをまた持ち出し、要約すれば「皇太子発言は軽率で、それをたしなめた秋篠宮の方が落ちついている。大人だ」という趣旨である。
そうではない。
どのような家庭にも何らかの問題は必ず起きるもので、それは天皇家と言えども同じ事だ。
だが、何と言っても天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴なのであるから、皇族が家族の内輪の揉め事を天下に晒すべきではない。
それでは、一般国民に範を垂れる事にならない。
秋篠宮さまのご発言は「天皇家は意外と仲が悪い」ことを衆目に晒した点で、却って問題である。
いずれにせよ、週刊文春のこの小見出し、「皇太子と秋篠宮 逆転した兄弟のお立場」は看過できぬ。
何だ、これは。皇太子殿下は依然として、皇位継承順位第一位であることにいささかも変化はない。「逆転した」とは何だ。
一週刊誌が「逆転」などという、主観的・印象的評価を軽率に書くべきではないのだ。
◆マスコミは雅子妃殿下のストレス要因であることを自覚せよ。
週刊文春の特集記事の最後には、オランダから雅子さまがご帰国になったときに、
東宮御所の正門には多くの記者やカメラマンが待ちかまえていたのにも関わらず、
東宮職は妃殿下をカメラから守るために普段は使わない正門から御所に入った、取材させないのはけしからん、という趣旨の記事を載せている。
馬鹿者。
雅子妃のストレス要因は皇室という環境そのものだと言われているが、同時に、雅子さまについての多くの憶測記事、批判記事を書いたマスコミにも責任がある、
つまり報道が「病因」のひとつであることが、まだ、わからないのか?
折角オランダで心安らかな時を過ごされた雅子さまが、帰国した途端、カメラの放列をごらんになって良い影響がある筈がない。
報道陣を避けるのは東宮の当然の判断だ。
◆結論:紀子様>雅子さまという序列を付けるな。
そんなことは一言も書いていない、と文春は主張するであろう。しかし、それは屁理屈、又は言い逃れである。
同誌が、この度親王殿下をご出産になった紀子様を雅子さまよりも「上位に」評価したいという意図は記事を読めば歴然としている。
いうまでもない事ながら、親王をご出産になるか、内親王(女の子のこと)をご出産になるかは偶然により決定されるのである。
個人の責めに帰するべきではない事象により、人物の評価に優劣をつけることを「差別」という。
いくらたかが週刊誌と言えども書いて良いことと悪いことがある。
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