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JIROの独断的日記
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2006年08月31日(木) ベルリン・フィル 第一コンサートマスターを23年間務めている日本人バイオリニストがいます。お薦めCDも。

◆ベルリン・フィル 第一コンサートマスターを23年間務めている日本人バイオリニストがいます。

安永徹さんというバイオリニストがいます。

1951年生まれ。福岡出身。(因みに、日本人の苗字で〜永というのは、皆九州です。松永、徳永、吉永、朝永etc.)



江藤俊哉という日本一のバイオリンの先生に習って、毎コンで一位になり、

ドイツに留学して、その時のベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターだった、ミッシェル・シュバルベ(年配のクラシックファンのかた、懐かしいでしょう?)

に習い、先生の薦めもあってベルリン・フィルのオーディションを受け(コンサートマスターの弟子だから優先的に入れる、などという甘い世界ではありません。

100人のベルリン・フィルの楽員全員の前で、ソロを弾くのです)、合格して、試用期間を経て、1977年に第一バイオリン奏者になります。


◆コンサートマスターになるのは、「年功序列」ではありません。

コンサートマスターは、第一バイオリンの首席奏者ですが、同時に弦楽器セクション(第一、第二バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバス)のリーダーであり、

更にオーケストラ全体のリーダー(実際、英語ではコンサートマスターの事をリーダーと言います)です。指揮者とオーケストラの仲介役とでもいうのかなあ・・・。

指揮者の棒だけで分からないときは、コンサートマスターが何らかの合図を、発信して合奏を整えます。



だから、バイオリンが上手いだけではなく、指揮者と同じぐらいスコアを勉強して、曲全体を把握出来ていなければなりません。

コンサートマスターになるためには第一バイオリンで長年弾いていれば良いというものではありません。

入団のときとは別に「コンサートマスターのオーディション」を受けます。

オーケストラ全員の投票で、「やらせてみよう」となっても、まだ試練が待っています。

そこから2年間は、「仮採用」なのです。本番の度に団員全員から、

「あいつはベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターとして適任か」観察されます。



2年経ったところで、楽員全員が討議を行います。



安永さんのバイオリンのテクニックは全く問題がない。ただ、オーケストラの(少なくともベルリンフィルの)楽員たちは、

ベルリンフィルのコンサートマスターは、並の人間では務まらない。と考えている訳です。

特に、審査対象者がドイツ人だったら、身体にドイツ音楽、西洋音楽の血が流れている。ところが、安永は違う。

世界中から超一流の指揮者ばかりやってきていろいろ注文を付けるときに、

ベルリンフィルがそれまで築き上げてきた歴史を継承する勇気と決断力があるか?というようなことで、一時間半も討論が続いたそうです。

最終的には投票で決まります。討議に出席している楽員の3分の2以上の賛成が無ければ、2年間の苦労も水泡に帰するのです。

結果は3分の2を遙かに超える団員が、安永さんはコンサートマスターとして適任である、と判断しました。

安永さんは、その知らせを聞いた時に、嬉しいというよりも、責任の大きさを改めて考え、暫く沈黙してしまったそうです。

1983年のことです。それからもう23年も安永さんは世界一のオーケストラ、ベルリンフィルのコンサートマスターを務めています。

ものすごいことです。

ピアニストがショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールで優勝するのも、勿論大変な研鑽を積まなければなりませんから、立派です。

しかしながら、コンクールは「その日、その場所で誰が一番上手かったか?」を評価しているに過ぎず、「瞬間最大風速」のようなものです。

安永さんが23年間、ベルリンフィルのコンサートマスターを務めているということは、ずっと「最大風速」を保っているようなものです。

私はロンドンで、ベルリンフィルを何度も聴きました。安永さんがコンマスの時(コンマスは3人います。交替でやります)、

日本人として、どれほど、誇らしく思ったか、言葉で書き表せないほどです。

イチローや松井も立派ですが、日本人はもう少し他のことに目を向けるべきです。

安永さんの事を書くのは二回目ですが、まだまだ、書き尽くせていません。
安永さんの素晴らしい音、卓越したテクニック、教養を感じる音楽をデュオ・コンサート 安永徹

で聴いてください。

私は古今の色々なバイオリンの名手の演奏を聴きましたが、これが、一番好きなバイオリンのCDです。


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