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JIROの独断的日記
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2006年06月12日(月) 岩城宏之さんもいなくなってしまった・・・。

◆仕方がないけど、寂しい。

岩城宏之さんが亡くなった。何だか、身体に力が入らない。

人間、先に生まれた人から去ってゆくのが自然の理で、そんなことは分かっている。
だが、私が西洋音楽(クラシック音楽)を好きになる過程で、バリバリ活躍していた方々が、次々に、お亡くなりになるのは、実に辛い。

山本直純さん、岩城宏之さん、山田一雄(ヤマカズ)さん、渡邉暁雄さん、朝比奈隆さん、芥川也寸志さん、黛敏郎さん、

団伊玖磨さん、石井真木さん、カラヤン、バーンスタイン。ルービンシュタイン、ホロビッツ、リヒテル、と挙げればきりがない。



本当は私ごときが、名前を出すのは憚られる、大家ばかりなのだ。それも十分すぎるほど分かっている。

しかし、これらの人々は我が青春、音楽への憧れ、と切り離せないのである。


◆「オーケストラがやってきた」

TBSは、1970年から十数年間、日曜日の朝、「オーケストラがやってきた」という30分番組を放送した。

当時小学生から中学生、高校生だった私が、如何にこの番組に夢中になったのか、はここに書いた

制作はテレビマン・ユニオンという下請け会社だが、アイディアを出し、司会を務めたのは山本直純さんだった。

岩城宏之さんと山本直純さんは、芸大時代からの無二の親友・悪友だ。

だから、直純さんに頼まれて、岩城さんはしょっちゅう「オーケストラ」に出演した。

30分番組とはいえ、毎週、民放がクラシック音楽入門番組を10年以上も放送したのは画期的だった

(尤も黛敏郎さんの「題名のない音楽会」はもっと長く続いていたが、こちらは黛さんの独擅場で、少し気取り気味、というのが私の印象だ)。



リンク先の日記を読んでいただくと分かるが、私にとって「オーケストラがやってきた」は音楽のバイブルだった。

家庭用のビデオなどこの世に存在しない。再放送もない。一回見逃したら永遠に終わりだ。

私があと何年、何十年生きるのか分からないが、生涯で最も夢中になったテレビ番組は、

多分、「オーケストラがやってきた」だった、ということになるだろう。


◆岩城宏之さんは、音楽の早期教育を全く受けていない。

岩城宏之さんの父君は昔の大蔵省の役人。しかも今で言う「ノン・キャリア組」だったようで、転勤が多かった。

小学生高学年(今でいうところの5年生から6年生)の頃、脚の痛みを覚えて、医者に診せたら「骨髄炎」と診断された。

10か月も入院した。ラジオから聞こえる当時「木琴独奏者」として有名だった平岡養一氏の演奏を聴いて、父親に木琴が欲しいとせがんだ。



父親はオモチャの木琴を買ってきた。岩城宏之さんは喜んで、耳から覚えた旋律を木琴で再現しようとした。

やがて、その木琴では出ない音が在ることに気が付いた。

ドとレの間、ソとラの間に音が在るはずだと思った(父親は、ピアノで言えば白鍵だけの木琴を買ったのだった)。

再び、父親にせがんで、「もっと沢山の音が出る木琴を探してくれ」と言った。

父親は音楽の素養など何もなかったが、どうにか探してきた。1オクターブが12に分けられていた。

ピアノの黒鍵に相当する音が付いていた。岩城さんは、このようにして「半音」の存在を知った。


◆独学で木琴を練習。

木琴と言ってもあくまで、例のオモチャのような木琴だった。

マリンバなどという高価なものは日本に無かったか、あったとしても、個人が買えるものではない。



岩城さんの脚は幸い快癒し、それまで済んでいた岐阜県から東京(元々は東京の人だが)に帰ってきて、何故か学習院に途中から編入した。

暢気な時代で、大した試験もなくてすぐに入ることが出来たらしい。

ただ、田舎からやってきた岩城さんは随分「お坊ちゃま」たちの陰湿なイジメに遭った。


◆音楽を好きにさせてくれた、何も教えない先生

ただ、音楽の小出先生という人が、とてもユニークな人で、音楽に興味を持たせてくれた。

あるとき、学習院高等科全員が芸大(東京芸術大学)へ行き、当時日本を代表する大家の演奏を聴く機会に恵まれた。

岩城さんの一年下に今の天皇陛下がおられたためらしい。このとき、初めて「オーケストラ」というものを聞いた。



さて、出かける前の日に、小出先生が岩城さんたちにしてくれた「解説」がとてもユニークだった。小難しい事は一切言わない。

「安川加寿子という人がピアノを弾くけど、あの人は日本でいちばんうまい人だが、あの人の見どころはお辞儀なんだ。とても変っているから、出てきたら、気をつけて見ていなさい。」

「ヴァイオリンの巌本真理は、ものすごく鼻息が荒いけど、あれは鼻をすすっているのではない。

『ブレス』といって、バイオリンは口を開けて息を吸い込む訳にはいかないから、鼻で吸っているんだ。

呼吸は音楽では一番大切なことだ。その音が大きいのは、いかに本人が一生懸命やっているかという証拠だよ。」

という具合で、曲の解説など全くしなかった。

この「解説」が興味深く、岩城さんは当日最後まで飽きずに演奏を聴くことが出来た。岩城さんは、

「これが、もし、面倒な解説を押しつけられ、後で感想文など書かされたら、音楽嫌いになっていただろう」という。確かにそうだ。


◆木琴の初リサイタル

小出先生の授業であるとき「何でもいいから楽器が出来るものは次の時間に持ってきなさい」と言われた。

次の週、学習院のお坊ちゃん、お嬢様のピアノ、ヴァイオリンに混じって、岩城さんはおそるおそる、モーツァルトの「トルコ行進曲」を弾いた。

先生は、「もうじき君たちの学年の送別会がある。その時に君は今のを弾けよ」と言ってくれた。

送別会当日、いまだにオモチャの「半音付き木琴」もってステージに上った。観客=生徒がドッと笑った。

しかし、伴奏をしてくれることになった小出先生は優しく微笑んでうなずいてくれた。



「トルコ行進曲」を弾き始めた。全校のざわめきがピタリと止んだ。

演奏が終わると盛大に拍手された。一番、嫌らしい陰湿なイジメをしていた奴まで一生懸命に手を叩いていた。

岩城さんは本当に驚いた。ところが、もっと驚くことが起きた。

拍手が鳴りやんだとき、小出先生が岩城さんに向って云った。みんなにもはっきり聞こえた。

「君はこの調子であと一年もやれば、商売になれるよ」

岩城さんは一層驚いた。「まさか」と思った。だが、初めて岩城さんは「音楽家になりたい」と真剣に考えた。


今なら、絶対に無理である。打楽器科をマリンバで受けるなら、高度な独奏曲を弾けなければならない。

しかし、とにかくこれが、音楽家岩城宏之の出発点だった。

すみません。続きは明日。辛いのです。


2005年06月12日(日)  「新たなBSE感染牛の疑い=英で最終確認へ−米農務省」 ←イギリスに検査を依頼しないとわからないの?
2004年06月12日(土) 「だがなあ、アリマ。本当はこの右腕一本だけなんだよ」 (ヘルベルト・フォン・カラヤン) 帝王の孤独。
2003年06月12日(木) 「大量破壊兵器が発見されなかったら、首相は世界に向けて、国民に対して謝りますか?」(菅直人氏) 誠に適切な質問である

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