JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆記事:<栃木女児殺害事件>科警研がプロファイリング「犯人は…」 栃木県今市市(現日光市)の女児殺害事件で、警察庁科学警察研究所が進めていたプロファイリング(犯人像等の推定)結果が28日まとまった。 ◆コメント:そんなに時間がかかるの? 遅い。プロファイリングという言葉が日本に知られるようになったのは、FBI心理分析官が翻訳され、単行本として出版された1994年のことだ。 Whoever fights monsters should see to it that in the process he does not become one himself. という言葉から取ったものだ。 この本と言葉をヒントに映画「羊たちの沈黙」が作られたというが、本当かどうか知らぬ。 FBI心理分析官は、本物のFBI心理分析官、ロバート・K. レスラー氏が書いたのだが、取り上げられている事件の詳細をここで述べるのは栃木県の事件とは関係ないので省く。 関心がある人は読んでみてもいいが、忠告しておく。相当気持ちが悪い。肉食民族の猟奇的・快楽殺人の不気味さは、我々草食民族のそれとだいぶ違う。 話がそれたが、何を述べたいかというと、本家FBIのプロファイラーは、プロファイリングに何ヶ月も費やしていない、ということだ。 云うまでもなく犯罪の捜査は時間が経つほど、人々の記憶が薄れていくので、困難になる。 今頃になって、科学警察研究所が「プロファリングの結果が出た」というが、昨年12月1日から今日まで、117日(3か月と27日)もの時間が経過している。 どうしてこういうことになるのだろうか。 警察の縄張り争い、メンツの問題で無駄な時間を費やしたのではあるまいね?(というのは、勿論皮肉で、それが原因で時間を要したのではないか、と、私は想像しているわけです)。 ◆時間がかかると云えば、「割り箸事件」は初公判から今日の判決まで1215日 今日、東京地裁が無罪判決を言い渡した、「割り箸による園児死亡事故」は、事故そのものが起きたのが、1999年7月10日で、初公判が開かれたのは2002年11月29日。 ◆一般論ですがね。患者の家族の心理について。 私のオヤジは最終的には脳出血で死んだが、それまでに、まず軽い脳梗塞を起こし、それが回復しかけたら脳出血を起こし、その度に救急車で病院に運ばれた。 「こちらの一大事も、医師にとっては日常」 という紛れもない事実を認識した。それは仕方がない。 医師やナースが個々の患者に感情移入しているヒマがないことは、分かる。理屈では分かる。 但し、そうではあっても医師の態度、物腰、言葉遣い、表情により、患者の家族は、多分、医療従事者が想像できないほど苛立たしく、腹立たしく、やるせなく、悔しい思いをするのである。 逆に言えば、例え親が死んでも、遺族が納得できれば、文句は言わないのである。 納得できるかどうかは、「医師が真剣に診て、治療しようとしてくれたか否か」による。それは、家族が受ける印象で決定される。 極めて主観的、情緒的な判断だが、親が死ぬのは、一生に一度しかない出来事である。こう言うときにまで、合理的・論理的に考えろと言う方が無理というものである。 ◆当直医のスリッパの音 父は、最後は自宅の近くの個人総合病院で息を引き取ったが、最初に運ばれたのは、新宿区にある、昔のフジテレビの隣の病院だった。
2005年03月28日(月) 「全頭検査見直しを了承…BSE対策で専門調査会」 アメリカの牛は正確な月齢が分からないのだよ。
JIRO
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