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2006年03月17日(金) |
ポッドムジーカ: 【第10番】音の落し物に御注意! |
◆クラシック専門のネットラジオ「ポッド ムジーカ」は大変面白い。
Podcastingが随分普及しているが、ことクラシック音楽に特化した番組は少ない。
その中で、眉墨トーシローさん(故・黛敏郎氏-作曲家。30年ぐらい元祖「題名のない音楽会」の司会をしていた-をもじったHNを使っておられる)が一人で企画、録音、配信しているネットラジオ、
ポッドムジーカは、とても面白い。
眉墨さん(管理人さん)はアマチュア・フルーティストで、アマチュアオーケストラで演奏している方である。玄人はだしの腕前だ。この方が毎回少しずつ、クラシックの名曲を案内してくださる。
私は、クラシックのことを書くと、どうしても、「芸術とは」という小難しいことを言いたくなるが、眉墨さんはとても語り口がソフトで話が聞きやすいし、分かりやすい。
そして、毎回ご自分が属しているアマチュアオーケストラの過去の演奏会録音を放送してくださる。
これは、一つには、市販されているCDを放送すると著作権の問題が生じる所為でもあるが、このアマチュア・オーケストラ(どちらの団体かは仰らないが)は、非常に上手だ。
セミプロ級と言って良い。
ポッドムジーカは毎週金曜日に更新され、今日で10回目である。
回を重ねる毎に新しい録音を使っておられるのか、音が良いが、録音のためだけではなく、はっきりと演奏のレベルが高くなっている。
◆演奏中、「落ちる」ということ。
眉墨さんが、今日の放送、【第10番】音の落し物に御注意!で詳しく述べられているが、演奏中「落ちる」という表現を使うのは、
- 早い曲で、指が回らなくなるなど、演奏者の「その時の」能力の限界を超え(リハーサルより早いテンポで指揮者が振るとしばしば起きる。アマチュアはね。)て、楽譜に書いてある音を1つか2つ、或いは一小節、飛ばしてしまう(音が出せなくなるか、出鱈目の音を出して誤魔化す)
- 以前、演奏した経験がある曲、特に有名な「運命」とか「新世界より」では起りにくいが、自分にとって初めての曲を演奏する場合、曲のどこを演っているのか分からなくなる。
という2種類に大別できる。
プロが「落ちる」という場合は(プロは滅多に落ちないけれども)、2を意味することが多いように思う。
◆どうして落ちるのか?「スコア(総譜)」と「パート譜」
慣れていないから、というのは当たり前だが、2の「落ち」方をするのは、各楽器が見ている楽譜は、「パート譜」だからである。
有る作曲家が、例えば交響曲を作曲する場合、五線が何十段も印刷されている白紙の楽譜に音符を埋めていくわけである。
一番上が木管群。その下が金管、打楽器、ハープがあるときは、ハープ、そして弦楽器という順番で書かれる。
原則として、どの楽器群も上が音域が高い楽器で下に行くほど音域の低い楽器となる。
分かりやすいのは弦楽器である。一番上が第一バイオリン、最下段がコントラバスである。
これは、かの有名なベートーベンの交響曲第5番(「運命」)の終楽章(第4楽章)の冒頭である。
ベートーベンはこれを書いた訳である(勿論、こんなに綺麗じゃない。手書き。ベートーベンの自筆譜は汚いので有名)。
指揮者も当然、全ての楽器がどのような音を出すのか知らなければ、指揮できないから、このスコアをジーッと読んで勉強するのである。
指揮者にとって、棒を振る技術はある程度大切だが、それ以前にこのような楽譜を見て頭の中のオーケストラを鳴らしながら、ここは、この楽器を目立たせようとか、
逆にここで金管を強くし過ぎたら他が聞こえなくなるから、抑えようとか、前もって長い時間をかけて構想を練るのが、仕事の中核である。
これに対して、各楽器の奏者はどういう楽譜を見ているかというと、写譜屋さんという独立した職業があって、総譜(以下、「スコア」と記す)から各パートだけを抽出してパート譜というモノを作る。
これはあくまでパート(声部)毎に作る。
例えば、フルート・セクションは2人のフルートと1人のピッコロ・フルート(ピッコロとは小さいと言う意味。だから、正確にはピッコロフルート。ピッコロ・トランペットという楽器もある)の3人がいて、
同じ音を出している時もあるが、それは、例外的で、少なくともフルート二人は和声を作る為に二人いるのであるから、1番フルートと2番フルートの譜面を比較すれば、内容が異なることは一目瞭然である。
パート譜とは、芝居に例えていうならば、「自分の台詞しか書いてない台本」である。
弦楽器群は各パート共、弾いている時間が圧倒的に長いが、一般的に、木管、金管、打楽器の順に出す音の数は少なくなる。
最初から終わりまでシンバルがジャンジャン鳴っている曲はない。
◆音を出していないときは、小節数を数える。
打楽器、それもティンパニ以外の打楽器はむしろ音を出していない時間の方が長い。
このような場合、楽譜上、休符の上に例えば「47」などと数字が書かれている。47小節休み、ということを意味している。
それではヒマで寝ていればよいか、というと、とんでもない話で、慣れている曲は別として、珍しい曲、或いは、珍しくなくとも演奏者の経験が乏しい場合には、
休みの小節数を気持ちを集中させて数えていなければならない。
一小節間違えたら、とんでもないところで、シンパルを「ジャーン」とやってしまったり、トライアングルが、「チーン」と場違いな音を出すハメとなる。
この場合、本番終了後、仲間から半殺しの目に遭う(あの、「半殺し」は冗談ですからね?)
たまたま、打楽器を取り上げたが管楽器でも同様のことが起こりうる。
この、「今何小節目か分からなくなっ」た時の絶望感は筆舌に尽くしがたい。
しかたがないから、今どこですか?と隣にこっそり訊いたりするが、舞台の上なので、目立つことこの上ない。
◆何故、全員がスコア(総譜)を見ないのか?
「落ちる」ことを防ぐためには、本当は全ての奏者がスコアを見て演奏すれば良いではないか、ということになる。
だが、そうすると、早いところでは数秒に一回、ページをめくらなくてはならない。
弦楽器は、例えば、第一バイオリンは多い時には十数人、一番少ないコントラバスでも6〜8人が同じ音を出している。
このため、二人一組で列を成し(プルトという。指揮者に近い方から、第一プルト、二プルト、という云い方をする)一つの楽譜を見ている。
ページをめくるときは、舞台から遠い方(舞台側をオモテ、遠い方をウラという)の奏者が演奏を中断して、楽譜をめくる。
しかしながら、管楽器と打楽器は原則、1パートを一人で吹いたり叩いたりする。数秒間に一度譜めくりしていては、音楽に支障を来す。
弦ですら、いくら大勢で同じ音を弾いているからと言っても、2〜3秒に一回はめくらなくてはならなくなる。
これがパート譜を使う最大の理由である。
理想的には、全員がパート譜とは別に、指揮者と同じようにスコアを読むべきなのだが、プロの世界は分からないが、
素人オーケストラに入りたての新人、特に弦楽器奏者は、自分のパートをさらうだけで必死なので、
なかなかそこまで手が回らない。
岩城宏之さんが書いた岩波新書の「フィルハーモニーの風景」という大変面白い本がある。
それによれば、天下のウィーンフィルなどでは、新人はパート譜の他に足許などにスコアを置いて勉強しているそうだ。
オーケストラの音色、響きの善し悪しを決める大きな要素の一つは、各パート間の音量のバランスである。
自分が「ド」を弾くときに、他にも多くのパートが「ド」を発するときは、弱めに、逆の時は強めに、と一音ずつバランスを考えながら弾く。
当たり前のようだが、大変難しいことをしているのが、ウィーンフィルのウィーンフィルたる所以だそうだ。
かなり長くなりましたので、今日はこの辺で。
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