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2006年01月29日(日) |
株の売買なんて下世話なものに熱中しているぐらいなら、優れた芸術に接しなさい |
◆ライブドアショックで損をしていた人が云っていたよ。
カネのことしか思い浮かばない、頭が固くなった大人に云っても無駄だが、若い人には云っておきたいですね。
ライブドアに東京地検特捜部の強制捜査が入った翌日、株をやっている人の多くは大損した。
その日、毎日新聞夕刊に、「街の投資家」にインタビューした記事が掲載されていたが、その中の一人。
もうおじいさんだが、こんなことを言っていた。
「何十年も株をやってきたが結局トータルで見ると、収支はトントンだった。随分無駄な時間を使ってしまったと思う。
この間、優れた文学や、美術や、音楽に接していた方が余程精神的に豊かになっていただろうと思うと、悔やまれる」
◆カネが要らないとは云わないが、目的ではないだろ。
株式に熱中していると、この前みずほ証券の誤注文で20億円儲け、ライブドアで3億円損した、「無職」の20代男のように、
一日中パソコン(6台を同時に使うのだそうだ)とにらめっこをしている。
確かにカネは儲かるが、それで、どうするかというと、使う暇がない。
株式売買が自己目的化してしまうのである。これほどつまらないことはない。
◆ベルリンフィルを見ていて、日本人はやはりすごいと思った。
昨日の日記で、ベルリンフィル首席ヴィオラ奏者清水直子氏のことを「情熱大陸」で取り上げると書いた。
私も見たが、やはり大したものですね。
弦楽器の首席奏者というのは、自分は弾けて当たり前。
それ以外に自分のセクション、つまり清水さんなら、ビオラのボーイング(弓使い)を決定する。
それに当たって、他の弦楽器の首席と相談する、という準備をリハーサル前にやっておかなければならない。
それも、1週間も2週間もかけるわけじゃない。
ベルリン・フィルはどんなに難しい曲でも、リハーサルは三日しかない。
そのペースで次から次へと準備せねばならぬ。
それから、オーケストラのような巨大な合奏体になると、「合わせる」こと自体が技術である。「合奏技術」と云う。
普通は指揮者の棒を見ていればよいが、指揮だけではどうしても情報が足りないときがある。
そういうときには、聴衆には分からないけれども、コンサートマスターが、
ある種の合図を全体に対して、又は各セクションの首席奏者に向けて発信する(それは、ときには、目を合わせるだけ、ということもある)。
清水さんは、だから、楽譜だけ見ているように見えるが、実際は、指揮者とコンマス(安永さん)に絶えず注意を払い、
自分のセクションにも、「合図」を発しているのである。これが出来なければ、首席奏者の意味がない。
西洋音楽は2000年の歴史があり、日本人は西洋音楽に接してから、140年ぐらいしか経っていない。
にも関わらず、既に、世界一のオーケストラのコンサートマスターと首席ビオラ奏者を務めている。
類い希なる芸術的才能、即ち情緒と感受性、教養を持っている。
こうしたことが、西洋人から感心されるのである。
◆日本人に驚嘆した西洋人達
先日紹介した国家の品格という本には、そういう話が載っている。
室町末期に日本に来たザビエル(相当遡るが)は、
「日本人は貧しいことを恥ずかしがらない。武士は町人より貧しいのに(教養があるから)尊敬されている」
と、驚いた。
日本が開国した直後、イギリスは日本を植民地にしようと思えば出来た。
しかし、イギリス人たちは江戸に来て、町人があちこちで本を立ち読みしている姿を目の当たり(まのあたり)にして、
「とてもこの国は植民地には出来ない」と諦めてしまった。
大正末期から昭和初期にかけて駐日フランス大使を務めたポール・クローデルは、第二次大戦の帰趨(きすう)がはっきりした昭和18年に、パリで云った。
「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは、日本人だ。」
どれも、これも、日本人の品格・教養に瞠目した結果、出てきた発言であり、
マネーゲームに血道を上げる日本人は、「西洋人もどき」であり、だれも尊敬しない。
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