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2005年12月06日(火) |
「ある音楽家の教養の程度は彼のモーツァルトに対する関係で分かる。」昨日(12月5日)はモーツァルトの命日でした。 |
◆「ある音楽家の教養の程度は彼のモーツァルトに対する関係で分かる。」カール・フレッシュ
「ある音楽家の教養の程度は彼のモーツァルトに対する関係で分かる。
相当の年にならねばモーツァルトを理解することができない、というのは、よく知られた事実である。
若い人たちは、モーツァルトを単純、単調、冗漫だと思う。
人生という嵐によって純化された人だけが、単純さの中の崇高さと、霊感の直接性を理解するのである。」
(カール・フレッシュ)
カール・フレッシュというのは、19世紀後半から20世紀前半の人です。
もともとはハンガリーの生まれですが、パリ音楽院で勉強して、バイオリニストとしても活動したのですが、
どちらかというと、名バイオリン教師として知られています。
冒頭の言葉はこのカール・フレッシュが、「ヴァイオリン演奏の技法」(音楽之友社刊。今は絶版です。)という本に書いている言葉です。
要するに、モーツァルトが分かるかどうかで、ある音楽家の音楽的な才能とか成熟度がわかる、というわけです。
これはどうやら真理のようです。
天才的な演奏家なら若くてもモーツァルトの真価を理解出来るのではないか、とわたしは思っていたのですが、
五嶋みどりさんという、天才的バイオリニスト(ベルリンフィルのソリストに呼ばれるぐらいだから、本当に一流です)がいるのですが、
彼女ですら、若い頃、「モーツァルトって、どれも同じようなメロディーだから好きじゃない」、と言っています。
それを知ったとき、私は、「あ、カール・フレッシュの言っていたことは本当だ」と思いました。
◆誰もが絶賛するのです。
そうはいっても、私のような非才な凡人がいくら力んで
「モーツァルトは天才だ」と言っても全く説得力がないので、ある本を紹介します。
古今東西、モーツァルトほどありとあらゆる人(音楽家だけではないです)に絶賛された人間は、
モーツァルトぐらいしかいないと思います。
モーツァルトへの賛辞だけで、分厚い一冊の本になっているのです。
モーツァルト頌(しょう)という本です。
「頌」(しょう)とは、「褒め称える」という意味です。
この本に載っているモーツァルトへの賛辞は、それを述べている人自身、私たち凡人から見れば、十分天才なのです。
その天才達がさらに、天才だといって尊敬しているのがモーツァルトなのです。いくつか拾ってみます。
- ベートーベン:「いかなるときもわたしは自分をモーツァルトの最大の尊敬者の一人にかぞえてきましたが、これは最後の息を引き取るまで変らないでしょう。」
- シューベルト:「おお、モーツァルト、不滅のモーツァルトよ。君は、より明るくよりよい生活についての快い映像を、どんなにたくさん、無限に数多く、私たちの魂に刻みつけてくれたことか!」
- ショパン:死の床のショパンが、友人たちにいった。「みんなで何か演奏してくれないか。」チェリストのオーギュスト・フランショームが、「じゃ、君のソナタを弾こう」というと、ショパンは言った。「そりゃ、いけない。ほんとうの音楽を弾いてくれたまえ。モーツァルトの音楽を!」
- ブラームス:「モーツァルトの音楽、とりわけピアノ協奏曲のような真の作品のすばらしさは、必ずしも誰にでも分かるものではありません。私たちのような者が書く音楽がもてはやされるのは、そのおかげなのです。」
- スタンダール(「赤と黒」のスタンダールです)「私が生涯に情熱をこめて愛したのは、チマローザ、モーツァルト、そして、シェイクスピア、だけである。」
- アインシュタイン(相対性理論のアインシュタインです。):「死とは・・・、モーツァルトが聴けなくなる、ということだ。」
◆モーツァルト最晩年の傑作、「クラリネット協奏曲」
このモーツァルト頌(しょう)の翻訳者の中 に音楽評論家の吉田秀和という方が います。
その吉田さんが昔書いたLP300選 (新潮文庫)という本があります。
クラシックで何を聴いたらいいか、最初は分かりません。
だから、私も僭越、かつ、微力ながら、こうしてときどき名曲、名演奏を御紹介しているのですが、
一番、信頼できるのは、この吉田秀和さんの本です。古い本ですが、今でも十分に通用します。
当たり前です。取り上げている作品は100年、200年、300年前に作曲されて、いまだに世界中で聴かれている音楽です。
10年や20年で、その評価は変りません。
この本では西洋音楽で是非、聴いておきたい作曲家の代表作を吉田さんが苦労して選んでいるのです。
モーツァルトの項では、交響曲やピアノ協奏曲とならんで、
絶対に無視できない曲として、「クラリネット協奏曲」が載っています。
この曲はモーツァルト最晩年に書かれている。モーツァルトは死期が迫りつつあるのを知りながら書いているのです。
だからというわけではなくて、吉田さんのような天才的な「聴き手」が聴くと、
「この曲では、モーツァルトが音楽と人生に別れを告げている」というのです。
音楽には、演奏する才能もありますが、吉田秀和さんの音楽評論を読むと、音楽を聴く才能もまた存在し、
それは誰にでも備わっている才能ではない事が分かります。
ただし、吉田さんほどの「聴く才能」がないから聴いてはいけない、などと云うつもりは勿論ありません。
ベートーベンは言っています。
「私の音楽は皆のものだ。皆に聴いてもらいたい」
つまり、今では高級とか、ハイソとか言われているけど、
ベートーベンは決して特権階級の為に音楽を書いたつもりはなかったのです。
話をモーツァルトの「クラリネット協奏曲」にもどします。
「モーツァルトはこの曲で、人生と音楽に別れを告げている」と、吉田秀和さんは書いている。
ところが、この音楽は「イ長調」で書かれています。「長調」です。 長調は、明るい感じですよね?
普通悲しさを表現したかったら、短調になりますね。
そこが、モーツァルトのモーツァルトたる所以で、あくまで長調なのです
(これ以上書くと非常に長くなるので、今は説明を省略します)。
初めて聴くと、吉田さんの言っている意味がわかりません。
しかし、私のごとき凡人でも何十年も聴いていると、吉田さんの言わんとするところが、おぼろげながらも分かってきます。
しかし、こういうことは、はじめから分かろうとしなくて良いとおもいます。気にしないで良いとおもいます。
本でも、若い頃に読んだ本を、年月を経て、再読すると、若い頃には気が付かなかったことに気づく、
という体験をします。音楽に関してもそういうことがあるわけです。
◆ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席クラリネット奏者と群馬交響楽団の奇跡的名演。
今回お薦めするのは、モーツァルト作曲「クラリネット協奏曲 イ長調 K.622」、
演奏はクラリネット独奏がカール・ライスター(元・ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 首席クラリネット奏者)、
指揮・豊田耕児(元・ベルリン交響楽団のコンサートマスター)、
オーケストラは群馬交響楽団です。
モーツァルトのクラリネット協奏曲といえば、カールベーム、ウィーンフィル、独奏アルフレート・プリンツとか、
フランスの奏者なら、ジャック・ランスロとか無限に名演があります。
それぞれの音楽家について書くと、更に長くなるので、今は書きませんが、
ここはひとつ、日本でも非常に優れた演奏が録音され、今でも売られているので、紹介します。
このCDは幻の名演と言われています。
日本のプロ・オーケストラはどうしても東京に集中しています。
一番多いときは9つもありました。ロンドンですら、オーケストラは4団体しかないのです。
東京以外の関東地方で、プロのオーケストラは、群馬交響楽団と神奈川フィルだけです。
群馬交響楽団は、終戦直後の1945年、戦争で荒んだ世の中に音楽をと有志があつまり、
高崎市民オーケストラが結成されたのが、始まりです。
それから、2年後、1947年には早くも「群馬フィルハーモニー・オーケストラ」と改称してプロ楽団としての活動を始めます。
その時の苦労話、感動的な逸話が1955年に「ここに泉あり」という映画になり、
全国的に注目されました(この映画は良い映画ですが、ちょっと早かった。
音楽的な評価以前に、「あの映画になった群馬のオーケストラか」という面ばかりがひとり歩きをしてしまった感があるのです)。
ともあれ、その映画の影響もあり、1956年には、群馬県が全国初の「音楽モデル県」に指定されたことはあまり知られていません。
1963年、財団法人「群馬交響楽団」と改称して今に至ります。
群馬交響楽団は、実はNHK交響楽団に次ぐ、日本で2番目に古いオーケストラなのです。
とは、いうものの、やはり東京のオーケストラに比べると、色々な面で不利です。
優秀な音楽家はどちらかと言えば、東京のオーケストラに入りたがる。
有名な指揮者やソリストは高崎まで行くのは、けっこう大変ですから、なかなか来てくれない。
東京以外では楽器や楽譜の調達が困難です(因みにオーケストラの楽譜は借り物であることが多いのです。
オーケストラに楽譜を貸し出す商売があるのです。最近ではさすがに有名な曲の楽譜は各オーケストラが自前で買っているようですが・・)。
はっきり言って、東京のオーケストラに比べたら下手でした。
そこで、群馬交響楽団の理事長さん(だったか事務局長さんだったか、要するに裏方を支える人)が、
ベルリン交響楽団のコンサートマスターを務めていた豊田耕児さんという方をドイツまで訪ねて行き、
拝み倒して、群響の音楽監督になってもらうことに成功しました。
豊田耕児さんが群響を鍛え上げたと言っていいとおもいます。
正式に音楽監督だったのは1981年から6年間ですが、その前から指導していた。
そして、豊田さんはベルリンでずっと弾いていた人ですから顔が利く。
そこで、思い切って、世界一のオーケストラの首席クラリネット奏者を群響のレコーディングのために呼んでもらったのです。
ライスターはベルリンフィルにいたので、何度も来日したことがあり、この申し出を快諾してくれたようです。
このようにして、実現したこのモーツァルト:クラリネット協奏曲という夢のような企画が実現しました。
これは、本当に驚きます。
既に故人ですが、作曲家の柴田南雄氏は著作も多く、レコード、CD評も良く書いておられました。
大抵、感想の中に、「もうすこしここをこうした方が・・」という文章なのです。
ところが、その柴田南雄先生が、カールライスター、群響の「クラリネット協奏曲」を聴いたときの評価はすごい。べた褒めです。
「これは、心底驚いた。このCDの音だけを聴いて、日本のオーケストラだと言い当てることが出来る人がいるだろうか?」
というのです。本場ヨーロッパのオーケストラに匹敵する名演を群馬交響楽団は実現しました。
勿論、それまでの豊田耕児さんの指導の成果が大きいのですが、
カールライスターという、超一流の音楽家を迎えたことにより、
その音楽性に触発されて、オーケストラの潜在的な音楽性が花開いたということだとおもいます。
ライスターの演奏は非のつけようがありません。
ちょっと聴くと、簡単に吹いているようです。これこそ名人の証です。
よく、モーツァルトの音楽は完璧だから、楽譜通りに弾けばいい、何も工夫しなくて良い、
と言うような文章や発言を見聞きしますが、それでは機械が演奏しているのと変らないです。メトロノームです。
少しずつテンポやアーティキュレーション(各音の切り方、又は次の音とのつなげ方)を変えているのですが、
全体としては何もしていないように均一に、自然に聞こえるように演奏するために、音楽家は大変な修練を積んでいます。
カールライスターはそのお手本のような演奏です。
このCDに録音されているのは、正真正銘、人類史上最高の天才の名曲の、大名演です。
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