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2003年12月06日(土) |
「首相、涙でイラク復興誓う…2外交官合同葬 」 外交官が亡くなったことは自衛隊派遣の理由にならない。 |
◆記事:
小泉首相は哀悼の意を表明し、その中で、奥大使について「連合国暫定当局(CPA)や米英関係者と信頼関係を築き、余人をもって代え難い活躍をした」と高く評価。井ノ上書記官についても「イラク人との友情を大切に、イラク国民の視線から地道な活動を続けた」とたたえた。
首相は、涙で約20秒間も絶句した後、「2人は日本国、日本国民の誇りでもある。熱い思いと功績を決して忘れない。日本政府は遺志を受け継ぎ、国際社会と協力してイラク復興に取り組んでいく」と、今後もイラク復興支援に全力を挙げることを誓った。
◆所感:「遺志を継いで」自衛隊は命がけでイラクへ行くべきだ、という論理は間違っている。
今日の小泉首相の涙がウソだとはいわぬ。しかし、激情に駆られて、短絡的な結論に到達してはならぬ。私が言う短絡的な結論とは、「2人の外交官は生命の危険があることを承知していながら、なおイラクの復興に尽力した。自衛官も命をかけるべきだ」ということである。そのような意見が出やすい雰囲気が生ずるだろうが、落ち着いて考えねばならない。
太平洋戦争の時も、しばしば、国民はこの手の論理に洗脳された。「あいつは国の為に散った。おまえはおめおめと生きていて、恥ずかしくないのか!」というわけである。
このような、ものの考え方は誤っている。二人の外交官は死にたかったのではないのである。そもそも、平和国家を標榜する日本国が、戦争で死者を出してはならないのである。今回の二人の外交官の死も、究極的には、イラクに駐在する外交官その他のセキュリティを強化しなかった日本政府、ひいては、小泉内閣総理大臣の責任なのである。
そこを、誤魔化して、「遺志を継いでイラクの復興を誓う」というのは、問題のすりかえである。
これ以上、死者を増やさないためにも、自衛隊のイラクへの派遣に対しては、私は断固として反対する。
2002年12月06日(金) 小柴、田中両氏、ストックホルム到着、のニュースを聞いて、色々と思いを巡らせる。