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2005年12月03日(土) |
「栃木女児殺害」過熱報道への懸念を今一度強調する。 |
◆記事:胸狙い何回も刺す=深く心臓に、失血死−同級生と別れすぐ拉致か−栃木女児殺害
栃木県今市市の小学1年吉田有希ちゃん(7つ)が行方不明になり、遺体が茨城県常陸大宮市の山林で見つかった事件で、
有希ちゃんは胸を何回も刺されていたことが3日、両県警の合同捜査本部の調べで分かった。
死因は心臓を深く刺されたことによる失血死。遺体には切られた跡も含め、数カ所の傷があり、捜査本部は凶器の特定などを急ぐ。
捜査本部は3日、遺体を司法解剖した。同日午前9時40分の解剖開始を起点とし死後1〜2日であることも判明した。
また、捜査本部は警察犬を使い、有希ちゃんの通学路周辺を捜索。
しかし、犬は有希ちゃんが同級生3人と別れたY字路から自宅方向に数十メートル行った場所で追跡できなくなった。
捜査本部は同級生と別れた直後に、近い場所で拉致された可能性があるとみて、
周辺で不審な車や人物を目撃した人がいないか情報収集に全力を挙げている。
これまでのところ、事件に直結する情報はないという。 (時事通信) - 12月4日2時0分更新
◆コメント:一ヶ月前の大事件のことは忘れているでしょう?
ちょうど一ヶ月前、11月4日の日記で取り上げたが、
大事件があったのをずっと覚えていた人がいるだろうか?
これは、静岡県の女子高生が母親に劇物のタリウムを摂取させていた事件である。
当時マスコミは大きく取り上げたし、犯罪の原因・背景などについてブログで取り上げた人は数え切れなかった。
しかし、今、ここでそのことを再び書くまで、忘れていた人が多いのではないだろうか?
「異常だ」「許せない」と、そのときは騒いでも、所詮、一般人が自分に直接関係がない犯罪に対する関心の程度というのはその程度だ。
◆だから、犯行の詳細を報道するメリットはない、と書いたのである。
わずか数日前、広島の事件に関して、「広島小一女児殺害事件」の詳細を報道するべきではない。という稿を上げた。
犯罪の詳細を一般国民が知るメリット、知らないことによって被る不利益、いずれも認められない、と書いた。
マスコミがいくら大々的かつ詳細に事件を報じても、特段の意義が認められないのは、
今書いたとおり、静岡の異常な事件のことを、わずか一ヶ月で人々が忘れていることからも、ほぼ明らかである。
◆事件をセンセーショナルに取り上げることにより、連続犯となることがある。
間違えないで頂きたいが、私は「事件そのものを完全に報道しなくて良い」、と述べている訳ではない。
「センセーショナルに騒ぎ立てることは極めてよろしくない」ことを強調しているのである。
その理由は、上で述べたこと以外にも、ある。
11月4日に書いたが、アメリカではこの手の殺人の殆どは「快楽殺人」、
つまり、他に目的がなく、殺害時の被害者の苦しみ方などを喜ぶ異常性を持つ犯行である。
それは同じ文章で紹介したFBI心理分析官を読めば、分かる。
栃木で起きたような犯罪も恐らくそれに類似している。
そうだとすれば、事件を騒ぎ立てるほど、犯人を喜ばせることになる。
何故なら、彼らは自らの犯行が新聞で取り上げられ、テレビで報道されるのを見て、「満足する」のである。
これは、我々がいくら考えたところで、異常な人間の思考だから、理解できぬ。
但し、彼らにそういう傾向があることは知っておく必要がある。
繰り返すが、世間が自分の事件で大騒ぎをするということは、犯人の目的の達成を助けているのも同然だからだ。
そして、さらにまずいのは、「自分の犯行が世間で騒がれることの喜び」が、
同一犯が同種犯罪を繰り返す起因となりかねないことである。 連続殺人犯は、大抵、そのパターンだ。
だから、何度も書くが、テレビも新聞も雑誌も、必要最低限以外の事を放送したり、書いたりするべきではないのである。
2004年12月03日(金) 「ルソン島豪雨の死者・行方不明者、1000人突破」←人道支援活動、しないのですか?
2003年12月03日(水) 米国のしてきたことを考えたら、日本が義理立てする必要は全く、無い。
2002年12月03日(火) 「人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。」(鬼平犯科帳)