JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆新聞報道は正確にしてくれ。「高裁レベルの違憲判決は初めて」というのは、「小泉首相に関しては」でしょう。 全国紙の記事を見ると、「高裁レベルでの違憲判決は初めて」と紛らわしいことを書いているけれども、 ◆1991年、岩手靖国違憲訴訟 何故、岩手が関係するかというと、1979年12月に、岩手県議会が国に対して「靖国神社公式参拝を実現されたい」という意見書を採択して、 ◆ところが、二審で違憲になりました。 地裁の判決として、住民は控訴しました。 ◆地裁も含めれば、小泉首相に関しては違憲判決は2度目です。1度目、昨年の福岡地裁の判決を見てみましょう。 一度目は、昨年、2004年4月7日の下された、福岡地方裁判所の判決です。 「小泉純一郎首相は本件参拝に際し、公用車を使用し、秘書官を随行させ「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し「献花内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付した献花をし、参拝後に内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝した旨、述べており、本件参拝は行為の外形において内閣総理大臣の職務の執行と認め得るものというべきであるから、国家賠償法一条一項の「職務を行うについて」に当たる。 本件参拝は神道の教義を広め、春秋の例大祭や合祀(ごうし)祭等の儀式行事を行い、拝殿、本殿等の礼拝施設を備える宗教法人である靖国神社において、内閣総理大臣によりなされたものであり、その行為の行われた場所、その行為に対する一般人の宗教的評価、行為者の意図、目的、行為の一般人に与える効果、影響等諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観的に判断すると、憲法二○条三項によって禁止されている宗教的活動に当たり、同条項に反する。 本件参拝は、原告らに対して信教を理由として不利益な取り扱いをしたり、心理的強制を含む宗教上の強制や制止をするものではないから、原告らの信教の自由を侵害したものとはいえない。また、原告らの主張する宗教的人格権や平和的生存権等は、憲法上の人権と認めることはできない。 原告らの主張する人格的利益は、憲法上の人権とはいえないものとしても、一般論として不法行為による被侵害利益たり得ないと解することはできない。しかしながら、本件参拝により原告らが不安感、憤り、危ぐ感等を抱いたとしても、その行為の性質上、これにより賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったものということはできず、本件参拝について不法行為の成立を認めることはできない。」 これは、民事訴訟なのですね。損害賠償請求なのです。 つまり、原告は、九州や山口県の市民211人なのですが、訴えた理由が、 「小泉首相が01年8月に首相就任後初めて靖国神社に参拝、「総理大臣である小泉純一郎が心を込めて参拝した」などとの説明をしたのは、「参拝は政教分離を定めた憲法に違反しており、参拝によって信教の自由を侵害された」などと主張して、九州・山口の市民ら211人が首相と国に1人当たり10万円の損害賠償を求めた」 ということです。 だから、裁判の形式上の一番の争点は、小泉首相が、市民に損害賠償しなければいけないか?ということで、 それに対して、福岡地裁は「住民の信教の自由が侵害されたとは言えない」と退けている。これは、筋が通っている。 しかし、原告側と世間の一番の関心は、損害賠償ではなくて、「首相の靖国参拝が違憲だ」と司法がはっきり述べたということですね。 ◆今日の大阪高裁の判決も同じパターンです。 今日の裁判は、 「小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法が定めた政教分離に違反し、精神的苦痛を受けたと主張し、旧日本軍の軍人・軍属として戦死した台湾先住民族の遺族ら188人が首相と国、靖国神社に1人1万円の損害賠償を求めた」 という、やはり、損害賠償請求です。民事訴訟です。この点に関しては、やはり、却下されていますが、それは、妥当でしょうね。 そして、注目の、「違憲性」に関する主旨は、
として、小泉首相の靖国参拝は、「総理大臣の職務としてなされたものと認めるのが相当」だと判断しました。 私は、これは、論理的だと思う。 確かに首相は2001年4月、総理大臣になったときの「公約」で、 「どんな反対があっても、8月15日に靖国神社に参拝する」 とはっきり言いました。「公約」と言ったぐらいだから、その行為を公的なものと認識せざるを得ない。 即ち国家機関としての内閣総理大臣が靖国神社という宗教団体において、宗教的行為を行うのは、純粋に法的に考えれば違憲です。 ◆司法権の独立 勘違いして欲しくないのは、裁判官は何を考えて判決を下すか、という点です。 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。 裁判官は、従って、中国や韓国に気を配るべきだ、というような政治的判断を加えて、こういう判決にしたのではないのです。 今回の判決文を全部読んでいないので(まだ入手できない)、断言は出来ませんが、繰り返しますが、 司法は「アジア近隣諸国の反日感情に考慮して、首相は靖国参拝を控えるべきだ」といっているのではない、ということです。 それをやったら、「政治的」判断です。裁判官は、政治情勢を勘案して判決を変えてはいけないのです。 憲法に反していないかという点を、純粋に法的に論理的に判断している。 その上で違憲だ。といっているのだから、重要です。 ◆最高裁判決を聴きたいものです。 憲法第81条は次の通り。 「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」 違憲か合憲かを最終的に判断するのは、最高裁なのです。 岩手の時(仙台高裁)も、去年の福岡(福岡地裁)も、今回(大阪高裁)もそうですが、 裁判の形式上の争点は「国(又は、小泉首相)は損害賠償すべきか」ということで、 その点では、国が勝っている。原告は敗訴しているのです。 しかし、原告の本音は「違憲」という言葉を裁判所から引き出すことにあったので、負けたけど、控訴、上告しない。 一方、今日、小泉首相は勝訴したのだから、判決文の中で「違憲」と言われても、勝った方が上告することは論理的に不可能です。 だから、住民側(原告)が上告しなければ、判決はこのまま確定します。 確定するということは、大阪高裁が述べた、「小泉首相の靖国参拝は違憲」という司法の判断は残るのです。 毎回、こういうパターンなので、なかなか最高裁の判断を仰げない。 ◆賛否両論あるのが、(日本の)いいところだと、ワシントンポストも書いていたでしょう。 教科書問題で、中国の反日デモがひどかったときに、私は4月18日にワシントンポストの社説を訳しましたが、
2004年10月01日(金) 「社保庁汚職、頻繁にゴルフ接待…グアムにも2度」だというのに、 「今日から、社会保険料アップ」張り倒すぞこの野郎。
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