JIROの独断的日記
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2005年05月15日(日) |
「制動数秒不能」運転士ら証言 脱線同型車両 ←「事故の真相は未だ分からない」と何度も書いた。 |
◆記事1:特集「尼崎JR脱線事故」 「制動数秒不能」運転士ら証言 脱線同型車両 (神戸新聞ニュース 5月14日)
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/00003121sg300505141400.shtml
尼崎JR脱線事故で、脱線した快速電車と同じ207系と呼ばれる車両などで、一時的にブレーキが利かなくなる「オーバーロード」(OL)と呼ばれる現象が多発していることが十四日、複数の運転士らの証言で分かった。高速から減速した際、乗用車のエンジンブレーキに当たる「電力回生ブレーキ」が突然利かなくなり、圧縮空気を使いブレーキパッドで車輪を締め付ける「空気ブレーキ」への切り替えまでに、数秒間の「制動の空白」ができるという。
事故現場のカーブ手前でも複数の運転士がこうした経験をしたと証言。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調委)は事故との関連性に注目している。
電力回生ブレーキは、モーターを回す抵抗を制動力に変え、減速させるエンジンブレーキのような仕組み。制動と同時に、モーター回転で発生した電気を架線に戻すことができるが、急制動で還流する電気が架線電圧を急上昇させた場合、モーターのショートなどを避けようと、車両自体が回路を遮断する。
その後は空気ブレーキが強まりフォローするが、切り替わるまで一、二秒の空白が生じ、一時的にブレーキが利かない状態になるという。
事故を起こした快速電車は七両編成。二、三、五両目にモーター車があり、高速時は電力回生ブレーキで、低速時は空気ブレーキで主にカバーしている。
兵庫県警尼崎東署捜査本部の調べでは、快速電車は車体から回収されたモニター制御装置の記録から、カーブが始まる手前約三十メートルで非常ブレーキが作動したとみられ、直前の速度は百八キロだった。
同乗していた車掌(42)の供述などによると、非常ブレーキ作動地点近くまで制限速度の百二十キロ程度で走行していたといい、事故調委は、制限速度七十キロのカーブに近づく中、高見隆二郎運転士(23)=死亡=が減速しようとした際、OLが発生した可能性も考えられると指摘。
「十回運転すれば三回はOLが起こる」との現役運転士の証言もあり、十分に減速できないままカーブ始点に迫ったことが、非常ブレーキ作動につながったとの見方もできる、という。 ◆記事2:脱線車両「ブレーキ甘い」 複数の現役運転士証言 (共同通信 2005年05月15日)
http://topics.kyodo.co.jp/amagasaki/
兵庫県尼崎市のJR福知山線で脱線した快速電車について、同線で乗務する複数の現役運転士が14日までに、「同僚の間でブレーキの利きが甘い車両として知られていた」などと証言した。
死亡した高見隆二郎運転士(23)は事故の前、川西池田駅と伊丹駅で相次いでオーバーラン。何度も非常ブレーキをかけるなど不自然な運転をしていたことが既に判明しており、尼崎東署捜査本部は、車両の特性と事故の関連についても調べを進めている。
運転士らによると、電車は同じ型式であっても、個々の車両にはブレーキの利き方や加速の具合にそれぞれ特有の“くせ”がある。スムーズな運転のためには、その把握が不可欠という。 ◆コメント:過密ダイヤの所為だとか、運転手が悪いと断定した人々(含、マスコミ)がいた、と記憶している。
尼崎における鉄道事故の直後から、冷静・客観的な報道を求められる筈のマスコミは、「過密ダイヤ」や「過酷な勤務」など、もっぱら、JR西日本の人事・教育・総務など、会社の管理体制が引き起こした事故であると決めつけるようなニュースを流し続けた。
一部では、カーブ前に「列車のスピードが126kmに達していた」ことをつたえ、運転士の操縦ミスである、という印象を与えかねない記事・ニュースが伝えられた。
私は、この事故が起きてから、「事故の真相はまだ不明だ」と何度も書いた。
それは、5月11日「「マスコミ批判に同感」という人が非常に多いが、」における、「技術的調査の詳細を待たねばならない。」の段落。
5月7日「過密ダイヤないか確認求める」「今分かっている事実は、「事故原因は不明である」ということだけだ。」の段落。
5月6日「運転士が緊張しすぎて却って危険だ」「事故原因は特定されていない。」の段落
などをご参照頂ければお分かりになるだろう。
事故の調査報告が出るまでは、みだりに予断を許すような情報は流すべきでないのである。 ◆車両自体の構造的欠陥が事故の原因であった「可能性」が、出てきた。
上に引用した2つの記事を読むと、JR西日本や運転士個人の責任とは言い切れない可能性が生じた、と考えてもよいと思われる。
記事1と記事2の内容は、似ているが異なる。
記事1は、事故車両と同型の「207系」で、「一時的にブレーキが利かなくなる現象が多発していた」ことを指摘し、「207系」車両の、構造的欠陥の可能性を示唆する。
つまり(どこのメーカーか分からないが)、この鉄道車両の設計又は、製造過程にミスが有ったかもしれない。ということである。
これは、5月6日で、私が例に挙げた、日航123便のケースと、類似点がある。但し、123便の場合は、設計ミスではなく、メーカーの修理ミスが原因だった、という点で尼崎列車事故とはことなる。
記事2は、「207系」車両の中でも、特に、事故車は「ブレーキの利きが甘い車両として知られた」という。
これは、個別の、車両特有の欠陥があった可能性を示唆している。
別の言い方をする。
機械は、大量生産されるものでも、「当たりはずれ」があるものだ。読者諸氏の多くはご自分のPCや自動車でそれを経験したことがあるはずだ。
要するに記事2はこの事故車も「はずれ」の部類だったかも知れない、ということだ。 ◆しかし、「まだ、真相が完全に明らかになったわけではない」のが唯一の真実だ。
私は、改めて問いたい。
事故直後から、 未だ真相が分からないのに、 JR西日本の人事管理責任か収益重視の過密ダイヤ編成が原因であるかの如き追求をし続けた、マスコミ。
その尻馬に乗って、献花台に控えている、JR西日本の直接責任がない職員に罵詈雑言を吐き、暴力を振るった人。
他の路線の女性運転士を蹴って線路に落ちそうにさせ、その女性運転士がノイローゼで乗務でき無くさせた人。
弔問に来たJR職員に、「人殺し!息子(やら、夫やら、)返せ」と叫んで殴りかかった人。
は、仮定上の問題だが、もしも、車両が原因で事故が起きたことが判明したら、どうするつもりですか?
この場合でも欠陥車両を使ったJRだけが悪い、と言い張るのだろうか?
確かに、JRの責任が、全く無くなるわけではないだろう。
車両の欠陥について、現場から管理者へ情報が伝わっていなかったか、伝わっていても、無視した「可能性」は残る。早く事故車両の使用を停止していたら、事故は起きなかったということは、「理屈では」可能だ。
しかし、「JRだけの」責任とは言えなくなる。
何故か。
車両の欠陥があったとして、欠陥の程度、種類、にもよるだろうが、鉄道会社は、自分で鉄道車両を作っているわけではない。
全てをあらかじめ発見することを要求するのは酷だ。
例を挙げる。
仮に、あるバス車両メーカーがブレーキに欠陥があるバスを製造して、バス運行会社に売り、その欠陥が原因で、乗客を乗せたバスが事故を起こして死者が出た。
このとき、バス会社「だけ」が悪いのか?ということである。そうではないでしょう?
「製造物責任」(製造物の欠陥から生じた損害に対して製造者などが負う責任)という法的責任が、メーカーには、あるのだ。
いずれにせよ、「事故の原因は完全に明らかになったわけではない」のが、今なお、ただ一つの真実である。 ◆真相が分かっていないのに、特定の組織、人物の責任と決めつけた行動は、いずれにせよ、間違っている。
日航123便の時に、事故調査報告が発表されていないにもかかわらず、「事故は全て日航が悪いのだ」と決めつけた人たちと、今回の列車事故において、やはり、まだ、最終事故調査報告結果が出ていないのに、「事故の全ての責任はJR西日本にある」と決めつけた人は同じ穴のムジナだ。
それは、たとえ、調査がすすんで、また結論が変わり、最終的な調査報告が、「やはり車両に欠陥は無かった」、ということになったとしても、同様である。
「真相が明らかでないのに、特定の組織や人物の責任である、と殆ど断定していた人々の行動」は間違っている。 ◆結論
1. 尼崎列車事故で、事故原因が車両自体の構造的・技術的なものである可能性が出てきた。
2. しかし、まだ、真実の全てが明らかになったわけではない。
3. 真実が明らかになっていないのに、JR西日本の経営責任、若しくは運転士個人の資質、モラルの問題であるかのような予断を与えたマスコミ報道は間違っている。
4. マスコミ報道の尻馬に乗って、正義の味方づらをして、JR西日本職員を罵倒し、或いは、彼らに暴行を働いた一般市民の行動は、間違っている。
以上。
2004年05月15日(土) 「サマワ中心部で交戦 治安当局者1人死亡」 早く撤収させないと、間に合わない。 2003年05月15日(木) 「酒鬼薔薇聖斗」を社会復帰させてしまって良いのか。
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