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2004年05月15日(土) |
「サマワ中心部で交戦 治安当局者1人死亡」 早く撤収させないと、間に合わない。 |
◆記事:サマワ中心部で交戦 治安当局者1人死亡
【サマワ15日共同】陸上自衛隊が活動するイラク南部サマワ中心部で14日午後11時半(日本時間15日午前4時半)から15日未明にかけ、、爆発音や銃撃音が断続的に発生、複数のイラク警察当局者はイラク人治安当局者1人が死亡したと語った。南部バスラに駐留する英軍報道官は、一連の交戦でオランダ軍が「何発もの銃撃を受けた」と語った。
イラク治安当局と、イスラム教シーア派の対米強硬指導者サドル師支持者による交戦の可能性が高い。サマワで本格的な銃撃や爆発が数時間続き、死者が発生する事態は、昨年5月1日のブッシュ米大統領によるイラク戦争の大規模戦闘終結宣言以来、初めて。
◆記事2:イラク派遣陸自隊員が「サマワ日記」 緊張の日々つづる
第2陣の出発が出発した陸上自衛隊のイラク派遣。宿営地近くへの砲弾の着弾や派遣反対の現地住民のデモなど危険と緊張のなか、サマワで活動する隊員がこのほど、出発前夜からつづる日記を知人らに電子メールで送った。
隊員は3月13日、主力第2波の要員として、北海道千歳市の新千歳空港からイラクに出発した。送られた日記は3月12日から4月8日分まで。
■迫撃砲 光2、3回
4月5日 《ムサンナ県内の治安の悪化により(作業が)中止に。正直、ほっとした。自分には家族がいる。無事で帰ってくることを条件にイラクに来たのだから、RPG―7(人員携行ロケット・ランチャー)の餌食になるわけにはいかない》
4月7日 《夜11時ごろ、歯磨きをしていると、太陽の昇る方向から『パン』という音とともに炎のような光が2、3回あがった。何だろうと眺めていると『襲撃だ、逃げろ』と叫ぶ者あり。防弾チョッキを着て待避壕(ごう)へ》
宿営地近くに迫撃砲によるとみられる砲弾が3発撃たれたのは、現地時間7日午後11時(日本時間8日午前4時)過ぎ。就寝前の宿営地内の緊張は一気に高まった。
出発前、この隊員は朝日新聞の取材に、現地で恐れていることに迫撃砲の攻撃を挙げ、「突然の見えない攻撃が本当に怖い」と話していた。
サマワの夜がふける。 《屋根のない壕なので寒くてたまらない。不憫(ふびん)に思ったオランダ軍の兵士がお茶を持ってきてくれた。何してるんだか……》
「日記」の掲載は本人の許可を得ています。 (05/10 03:05) (朝日新聞)
◆コメント:法律をなし崩しにしてはいけない。
イラク復興支援特別措置法では自衛隊が、活動できるのは非戦闘地域に限る、と定めてある。この点に関して、今期国会の初めのころは、まだすこしは、野党が小泉首相を問い詰める場面もみられた。
しかし、自衛隊派遣が既成事実化されるに従い、明らかに、このような追求の勢いは衰えた。「既成事実はもう、仕方が無いではないか」として、なあなあで、済ませようとするのが日本人の悪い癖だ。
イラク復興支援特別措置法は、正式な手続きに従って成立した国法なのだから、内閣総理大臣は、これを遵守しなければならず、今のサマワの状況に鑑み、自衛隊は撤収するべきであることは明らかである。
折りしも、小泉内閣総理大臣の訪朝が来週の土曜日と決定して、日本全体が、専らこちらに気を取られている。北朝鮮ももちろん大切だが、自衛隊のことを忘れてよいという、いいわけにはならない。
イラクへ派遣されている自衛官は本当に危ない目に遭っていることが、記事2を読むと、少しは分かる。公表を許される前に、自衛隊の上官が目を通して、具合の悪い部分は載せないようにしているだろうから、実際には、彼らはもっと恐ろしい環境に耐えているに違いない。
自衛官が撤収するということは、ホテルからチェックアウトするように簡単なわけはなく、自ら作った宿営所を片付けなければならない上に、人数が500人もいるのだから、時間がかかるのである。したがって、撤収命令は早目に出さなければならない。
小泉首相が、1週間後、金正日との会談中に、サマワで自衛隊が襲撃され、こちらも武力を用いなければならない、というような緊迫した事態になったら、一体、指揮系統はどうなるのであろうか。
金正日との会談を中断してちょこっと片手間に、方針を決めるような、軽い問題ではないだろう。したがって、小泉首相は,、訪朝前に、イラク復興支援特別措置法にのっとり、サマワは、非戦闘地域ではなくなったと認定して、法の定めに従って、現地の自衛隊を安全な場所へ移動する措置を取っておくべきである。
それとも、小泉首相は、自衛官の誰かが死亡するまでは、何もしないつもりなのだろうか。
2003年05月15日(木) 「酒鬼薔薇聖斗」を社会復帰させてしまって良いのか。