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2005年05月01日(日) |
「バグダッド・バーニング―イラク女性の占領下日記」というサイトと本があります。 |
◆日常にかまけて忘れそうになるが、イラクでは今日も人が殺されている。
尼崎の鉄道事故で100名を超える方が亡くなり、中には大勢の若者がいた。
若いお嬢さんで、早くに母上を亡くされ、父上と兄上の面倒を見ながら(つまり、主婦の役目を果たしつつ)勉強し、ようやく少し余裕が出来て、生まれて初めての海外旅行(韓国)に行く、楽しい日々が始まるはずのときに、空港へ向かうためにあの電車に乗り合わせたが為に、ささやかな幸福も奪われた。
留守中、家族が不自由しないように、電子レンジの使い方とか、納豆のかき混ぜ方とか、細々としたことをメモにして残していった、優しいお嬢さんであった。
ご本人と家族の無念を思うと、胸が苦しい(私は今、本当に苦しいのである)。
◆事故で亡くなった人が気の毒なら戦争で毎日人が死んでいることをも思い出すべきだ。
日本人が、まず、日本国内の出来事に目を向けるのは自然なことであるが、テレビ・新聞・インターネットを少し読めば、例えば中東では、毎日人が死んでいることが分かるはずである。
イラク戦争が始まってから、今日までで773日になる。
昨年、2004年10月29日にイラク戦争が始まってから死亡したイラク人の数が10万人を超えたというニュースが流れた。
その後も、死者数は増え続けている。現在は戦争というよりも、内戦に近いけれども、いずれにせよ、人が死んでいることには変わりはない。
◆イラク戦争を開始したのはアメリカである。
2003年3月20日にイラク戦争を開始したのは、アメリカ合衆国である。
この戦争に正当性は無かった。
そもそも、現在の国際社会では、戦争は原則的に違法行為なのである。
その根拠は、国連憲章という国際法である。これを読むと、国際紛争は、平和的に解決しなければならないということが明記されている。
但し、例外、つまり武力の行使を容認するケースが2つだけある。
1つは、自衛権を行使する場合(第51条)。
他国が侵略してきて、これに対して自国民を守るために武力を用いることはやむを得ない。日本の国内法(刑法)になぞらえれば「正当防衛」である。
もう1つは、やたらと好戦的で、他国への攻撃を行いあるいは、他国を侵略する国が有った場合、これを鎮めるためには、国際社会が団結して武力で対抗するしかない、と国連安全保障理事会がやむを得ず決定し、多国籍軍の派遣を決めた場合である(第42条)。
◆イラク戦争は2つの正当化事由、いずれにも該当しない。
イラク戦争を始めたとき、ブッシュ大統領はその理由として、イラクは大量破壊兵器を保有しており、その大量破壊兵器はテロリストの手に渡り、明日にでも、アメリカ本土が911と同じような攻撃を受けるかも知れない、というものだった。
結果的に、大量破壊兵器は存在しなかった。開戦前、アメリカ合衆国は「イラクが大量破壊兵器を保有している、確かな証拠がある」と述べていたが、後の証言で、実はそんな証拠は存在していなかったことが分かった。
しかしながら、仮定上の問題として、もしも、イラクが本当に大量破壊兵器を保有していたとしても、国連憲章が認める武力行使の要件を満たすものではなかった。イラクが実際にアメリカを攻撃してきたならば別であるが、イラクはそのような動きは全く見せていなかった。したがって、イラク戦争は自衛権の行使とは言えない。
また、国連安全保障理事会は、国連原子力委員会の査察の報告を受け、さらに数ヶ月イラク国内を査察する必要があると考えており、直ちに多国籍軍をイラクへ派遣するべきだ、という意見は全くなかった。
要するに、どこからどう見てもイラク戦争は、正しくないのである。
◆イラク戦争の「大義」という言葉を使うバカ
日本の政治家もマスコミもイラク戦争が始まった2003年から昨年にかけて、しばしばこの「イラク戦争の大義」という言葉を用いた。
戦争に関する国際法の規定が存在するというのに、「大義」などという定義が曖昧な言葉を使うべきではない。
先に書いたように、現代国際社会では、原則として武力行使は違法なのである。
議論をするならば(後に述べるとおり、議論の余地など存在しないのだが)、「イラク戦争の正当性の法的根拠」というべきである。
「大義」という言葉を使っている連中は、「大量破壊兵器が見つかったら、イラク戦争は事後的にでも正当化される」と思っていたのであろうが、不勉強にもほどがある。
◆そもそも、議論の余地など無いのである。
イラク戦争に大義はあるか、などと国会で話しているのをみて、国会議員の無知さ加減に腹が立った。
国際法、国連憲章を読めば、議論の余地はない。
イラク戦争は違法行為である。
◆イラク人なら死んでもよいのか。
日本国内で100人が事故でなくなったのは悲惨である。事故の原因は多分何らかの過失であろう。
だが、故意ではない。戦争は、故意による殺人である。
イラク戦争は、ジョージ・ブッシュが故意に始めた人殺しである。
イラクでは、10万人、しかも多くは無辜の女性や子供が、銃弾やロケット砲や爆弾で頭を吹っ飛ばされ、或いは体中が肉片となって飛び散って亡くなっている。
何万人という親が子供をなくし、何万人という子供が腕や脚をもがれ、挙げ句、孤児になった。
これを気の毒だと思わない人が、日本人に、いる。
小泉純一郎内閣総理大臣である。彼は一貫して「イラク戦争は正しかった」といっている。
私は、イラク戦争が始まる前も始まるときにも、始まった後も、一貫してこれに反対してきた。それは、過去の日記をお読み頂けば、お分かりになるだろう。
そして、日本がこの戦争を支持することは正しくない、ということも、一貫して主張してきた。今もその考えは変わらぬ。
従って、私は、小泉首相の考え方は正しくない、と判断している。
◆「リバーベンドの日記」を読むと良いですね。
イラク戦争における「アンネの日記」といわれている。リバーベンドという、開戦時24歳だった女性が、戦火のイラクの様子を綴った日記、blogである。いまもWeb上で続いていて、日本人の翻訳者が訳してくださっているBaghdad Burningというサイトがある。
この日記の、一番最初、開戦時の部分は、バグダッド・バーニング―イラク女性の占領下日記という本になって売られている。
繰り返すが、事故で人が亡くなってもこれほど辛い。
ましてや、戦争で人が亡くなると云うことは、明らかに他の人間の悪意によって、その命が失われた、ということなのだ。
だから、遠い場所での出来事とはいえ、戦争を看過すべきではない。
2004年05月01日(土) 「戦闘終結宣言から1年、米大統領が統治難航認め弁明」 そもそも、米国がイラクを統治する権利は存在しない。
2003年05月01日(木) SARS用のワクチン開発には「数年」かかるのだそうだ。