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2005年05月02日(月) |
マスコミの見識 事故から1週間 |
◆尼崎事故から1週間であることぐらい分かっている。
今日のマスコミ報道は、予想していたこととは云え、「事故から1週間を経て、悲しみから到底抜け出せない家族」や「JR西日本幹部を怒鳴りつける家族」の映像を流し、如何にも沈痛な、偽善的なトーンでナレーションを加えていた。
新潟中越地震の時にも、マスコミ各社は顰蹙を買っていた。
今回も同じようなことをしているような気がしてならない。
遺族が「どのようなお気持ち」か、普通の人間ならば、訊かなくても、想像できる。
遺品を手にして泣き崩れる姿を全国に放映されて嬉しい遺族がいるわけがない。
同情するフリをして、結局数字(視聴率)が取れる画像を編集することに血道を上げている。
◆JR西日本の経営責任
JR西日本に関して、「過密なダイヤを組み、過度に収益を重視した経営体質が、無茶な運転を運転士に強いた」ことがやたらと強調されている。
どうやら、人材の育成の面で長期的展望に欠け、30代の中堅がおらず、若手の社員が、粗製濫造気味に運転士にさせられていたということらしい。
そうだとしたら、それは、問題であろう。
だが、事故調査の最終報告が出ていない時点で、状況証拠だけで、どこまでもボコボコに叩くというのは、どうか?
鉄道会社が安全を軽視して良いわけがないが、民間企業である以上、収益を重視しなかったら、バカであり、株主に訴えられても仕方がない。
安全だけを重視するならば、全ての列車を時速30km以上で走らせないようにすれば、脱線はしないだろうが、そんなことをしたら、乗客が暴動を起こすか、全て阪急に取られていたであろう。
過密ダイヤはけしからん。だが、安全性を向上させた上で、今後も同じ頻度、ダイヤで運行せよ、というのは、論理的に無理がある。
何でもよいから、JRさえ叩けば数字が取れるという、マスコミの計算が働いている。
「新幹線並の、つまり、過速度を感知したら、自動的に制動をかける、ATSの導入が望ましい」、というような多少なりとも建設的な論説は出ないのか。
◆マスコミに人を裁く権利はない。
テレビニュースを見ていて気になるのは記者だかなんだかしらないが、JRの社長や社員に向かって(彼らは未だ刑事被告人でもなければ、起訴もされていないし、それどころか、逮捕もされていないのである)、怒鳴りつけるような口調で質問していることだ。
あれでは、質問というよりも、尋問、取り調べである。
それは、マスコミの仕事ではない。司法警察員の仕事である。
司法警察員であっても、検挙した人間を無闇に乱暴に人間の屑のように扱って良いとは、六法全書のどこを見ても書かれていない。
◆当事者が感情的になるのは無理もないが、マスコミが煽るべきではない。
要するに、マスコミは「本当に確かに判明したこと」と「まだ、判明していないこと」を峻別して分かりやすく報道するのが第一の任務であり、それを見てどう判断するかは、視聴者に委ねられるべきなのだ。
ところが、マスコミ、それも特に、「視聴率」という呪縛にとらわれた民間放送局は、事実を必要以上に感情的に描写して、冷静な判断の妨げになっている。
JR西日本が使命感に欠けている、と批判するマスコミは、自らの使命は何かを今一度熟考する必要がある。
2004年05月02日(日) 「<イラク>米英軍の虐待 イラク市民の反米感情あおる」 全ての国は一旦、撤退した方が良い。
2003年05月02日(金) 「<イラク戦争>戦闘作戦の終結を宣言 ブッシュ米大統領」←大量破壊兵器はどうなったんだよ?