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JIROの独断的日記
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2005年02月12日(土) 「王位継承権の放棄を」=皇太子再婚で国教会が分裂−イギリス チャールズ皇太子の半生記読んだことありますか?

◆記事:「王位継承権の放棄を」=皇太子再婚で国教会が分裂−英

 

【ロンドン12日時事】12日付の英紙デーリー・テレグラフによると、チャールズ英皇太子とカミラ・パーカー・ボウルズさんとの再婚発表を受け、皇太子が将来王位に就くべきかどうかで英国国教会が割れている。国教会の世俗の長は国王が務めるが、戒律の厳しい教会内では「再婚した離婚経験者」の皇太子が長となることに対する反発が続き、一部の長老らは「再婚するならば王位を放棄すべきだ」と主張している。 (時事通信) - 2月12日23時0分更新


◆コメント:チャールズ皇太子も気の毒な人なんですよ。

 

英国のチャールズ皇太子がかねて噂の女性と再婚するというので、彼の地のみならず、日本のマスコミまで、下世話な話を色々と拾い集めて、茶化したような記事を書くのだろう。

再婚に関しては私はどうでも良い。

ダイアナ妃と結婚した直後からチャールズ皇太子との不仲説が流れはじめて、そしてそれは本当だったのだが、当時、世界中がどちらかといえばダイアナ妃を悲劇のヒロインに見立てて、チャールズ皇太子やエリザベス女王は「悪役」だった。

 世の人々は英国の皇太子ともなれば、幼少の頃から大切に育てられ、何ひとつ不自由無く、苦労も知らないで成長した、と、実際のところはよく知らないのに決めつける。

ところが、違うのです。

日本では余り売れなかったのだろうか。チャールズ皇太子の人生修業という本がある。この本を読むと、失礼ながら、チャールズ皇太子に同情を禁じ得ない。

話がそれるが、この日本語版の出版元は朝日新聞社だが、どうして「人生修行」などという題名にしたのだろうか。

 不謹慎だと思う。明らかに茶化している。原本は、Prince of Wales: A Biography(チャールズ皇太子 半生記)という至極まともなものである。


◆チャールズ皇太子は、父親や学友から散々苛められたのだ。

 

この本の内容が真実であるとすれば、よくぞ、チャールズ皇太子はまともな大人になったと思う。まず、親父がひどい。

エリザベス女王の旦那は云うまでもなくエディンバラ公だ。エディンバラ公はイギリス人ではない。ギリシャ人だ。

 父がギリシャ国王だったのだが、王座を追われ、逃げるようにしてイギリスに辿り着いた。

信じがたいが、暫くの間、とくに英国王室、英国政府は彼らのことは眼中になく、エディンバラ公は、その日の食事に不自由するような困窮生活を経験したことすらあるのだ。

 その後、縁があって、女王の旦那になったが、英国の元首はあくまでもエリザベス女王であり、エディンバラ公ははっきり云ってしまえば「種馬」でしかない。


ずっと後年の出来事だが、英仏間にユーロトンネルが開通し、エリザベス女王がユーロスターに乗ってパリを訪れ、当時はまだ存命だったミッテラン大統領が出迎えた。

エディンバラ公は、ユーロスターでパリに行くまでは女王と一緒だったが、その後、女王はミッテラン大統領の車に乗り、去っていった。エディンバラ公は同乗させてもらえないのである。女王より格下なのだ。

 女王とミッテラン大統領が去ってゆくのを、ニコニコ笑って、見送っていた。かなり屈辱的である。しかし、どうしようもないのだ。 

 要するにエディンバラ公自身がかなりの苦労人なのだ。だから、息子にも厳しかった。しかし、その厳しさは明らかに度を越していた。

 エディンバラ公は体躯堂々としていて、「体育会系」だ。

一方、子供の頃のチャールズ皇太子は、大人しく、気の弱い子供だった。しかも、王室の者ならば、必ず身につけなければならない乗馬の訓練など、身体を使うことは余り好きではなかった。

本が好きで、宮殿の中には幾らでも歴史書があるから、それらを読み、自分の先祖の歴史などを調べている方が好きな子供だった。

体育会系のエディンバラ公は息子のこのような性格、行動がいちいち気に入らなかった。

 ことあるごとに、お前は意気地がない、それでも男かと罵倒した(妹のアン王女は頭は悪いが、乗馬などは大好きだったので、エディンバラ公は娘を偏愛した)。


◆人前で息子を罵倒した、エディンバラ公

 

女王一家は週末、しばしばロンドン近郊の別荘(と、いっても並の別荘ではない。お城だ。その一つが92年火災が発生したウィンザー城である)で過ごす。そして、王室にゆかりのある人々や親戚(?)を招いて、大勢でディナーの席につくわけである。

ひどいのは、エディンバラ公はこうした半ば公の席で、大勢の人がいる前で、チャールズ皇太子のことをひどく叱ったり、罵ったりするのである。一回や二回の話ではない。

当時、晩餐に招かれた複数の人が、「どうすれば、父親が息子に対して、人前で、あそこまでひどいことを言えるのか、チャールズ皇太子が可哀相でならなかった」と証言している。 

エリザベス女王がたしなめればよいではないか?と思うのだが、女王は、公務ではいつも旦那に肩身の狭いというか、先ほど書いたように、屈辱的な思いをさせていることを十分承知しているので、せめて、「家庭内の主導権」は夫に持たせてやろうと決めていた。

だから、いくら、旦那が息子を苛めても、黙認していたのである(それもどうかとおもうがね)。


◆寄宿制の学校での「皇太子イジメ」

イギリスでは上流階級の子女が通う名門校をパブリックスクールという。パブリックというものの、皆、私立である。そして多くは寄宿制である。

最も有名なのはウィンザーにあるイートン校で、何しろ制服が燕尾服なのだ。

パブリックスクールの名門に通うような人間は、オックスフォード大学かケンブリッジ大学へ進み、やがては国の指導層になることを当然の如く期待されている。「身分が違う」のである。

チャールズ皇太子もイートン校なら、ロンドンに近くて、幾分かはましだったかも知れない。

ところが、彼が入学した学校は、遠く離れたスコットランドの「ゴードンストン校」というパブリックスクールだった。

 これでは、週末毎に自宅(バッキンガムね)に帰ることが出来ない。

「ひ弱な」息子の根性を鍛えようという、オヤジ(エディンバラ公)の目論見だった。

ここでの学校生活の間、チャールズ皇太子は、毎日いじめられた。

 何せ、寄宿制だから、逃げられない。部屋は大部屋である。同級生達は皇太子に一目置くどころか、「将来の国王を苛めてやろう」というゲスな野郎ばかりだった。

毎晩、日本流に云えば「布団巻き」にされ、大勢の人間が枕で皇太子をぶん殴った。

 チャールズ皇太子はただ、泣いて耐えるしかなかった。


◆結婚生活が失敗だったのは、最早周知のとおり。

 

ダイアナ妃と結婚したとき、チャールズ皇太子はこれで自分にもようやく幸せが来ると思ったかどうか、分からない。

 いずれにせよ、それまでの人生で、チャールズ皇太子は十分な愛情を注がれて育ったとは言えない。愛情に飢えていたことは、想像に難くない。

しかし、結婚相手は若くて美人だったが、バカで幼稚で、知的でなく、全然話が合わなかった。 まあね。夫婦の問題は、大抵、どっちも悪いのだけどね。


◆高貴な身分に生まれても、苦労はあるんだよ。

 

以前、日本の皇族について、やんごとなき人々のご苦労と題して書いたが、洋の東西を問わないね。

庶民は「皇族とか王室とか、働かなくて一生食えて、大した苦労も知らない、運の良い」と単純に考える(最近は雅子様をめぐり皇室が紛糾しているので、そこまで単純に考える人はすくなくなったかもしれない)が、全然、良くない。

大変だよ。ああいう家に生まれるっていうことは。

どんな身分の人でも、苦労はあるのだ。


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