外国為替証拠金取引
JIROの独断的日記
DiaryINDEXpastwill


2004年12月24日(金) ピンクレディーを久しぶりに見て思ったこと。

◆クリスマス・イブですから、ちょっと軽い話題で。

TBSにチャンネルを合わせたら、ピンク・レディーの特集を放送していた。

あの人達は私よりも年上なのだが、よく身体がうごいていましたね。感心したな。

ピンクレディー(二人なのに「ピンクレディーズ」と云わないところが、如何にも、日本的ネーミング)というのは、四半世紀も昔に一世を風靡した。

当時のテレビ番組は今よりも遙かに「歌番組」が多く、しかも生放送が多かった。

月曜日のフジテレビ「夜のヒットスタジオ」とか木曜日のTBS「ザ・ベストテン」が代表格である。

後者は、司会者が久米宏と黒柳徹子で、黒柳徹子という人は父上がNHK交響楽団のコンサートマスターで、弟さんはそろそろ定年だが、やはりN響のヴァイオリン奏者で、完全にクラシックの環境に育って、(自分が演奏する才能には恵まれなかったようだが)本人もクラシックが一番好きなのだ。

しかし、そこはプロのタレントとして歌謡曲番組の司会者を引き受けた以上、全力を投入していて、久米宏もべらべらとよくしゃべり、この二人の掛け合いが、高視聴率に結びついていた、といってよい。

若い方は、久米宏といえばニュースステーションを連想なさるであろうが、私たちの年代は、どうしても「ぴったしカンカン」「ザ・ベストテン」の司会をしていた久米宏であって、あのころの方が年齢が若かった所為もあるけれども、彼は生き生きしていたように思われる。

歌謡曲番組の話にしてはいささか大袈裟だが、注目すべき点は、「ヒットスタジオ」も「ベストテン」も生放送であるから、歌手も、伴奏のバンドも、司会者も、画面に映らない裏方も、ミスがゆるされなかった、という点である。緊張感が番組に迫力を与えていたのであろう。


◆緊張しすぎても駄目だが、緊張感がなくなっては駄目だ。

 どんな仕事も緊張しすぎては、却って失敗しやすくなるけれども、全然緊張感がない仕事は、あまり、人を感心させない。

テレビドラマがどうもダレて見えるのは、「NG集」を見れば分かるとおり、何度でも失敗できるからである。

歌番組に話を戻すと、伴奏をしていたバンドは、いずれもジャズのビッグバンドである。本当はジャズ演奏だけやりたいのだが、それでは食えないから、歌謡曲の伴奏をして生計を立てていたのである。


◆歌伴は大変だったのだ。

 歌番組で、歌手の伴奏をすることを歌伴(歌の伴奏)という。さきほど、ピンクレディーを聴いていて思い出したことがある。
普通の人は歌番組を見るときには歌手の歌を聴くであろう。しかし、私は、昔から、伴奏をしているビッグバンドを聴いてしまう。

歌謡曲の芸術的価値がさほど高いとは思えないが、伴奏をする側は、かなり難しい譜面を渡され、ほとんど初見で吹けるぐらいの名手がそろっていた。

「聴くと弾くとは大違い」であって、気楽に聴ける曲が、演奏する側にとっても気楽かというと、全く違う。

 以前、アコーディオンの横森良造さんのことを書いた。本当の名手なのに、世間は正しく評価できない。

歌伴のビッグバンドも同様である。音楽的・技術的に要求されるレベルは、一番華やかにスポットライトを浴びる歌手よりも、遙かに高い。

トランペットを吹く人がいたら、試しに、ピンクレディーの「ペッパー警部」のイントロ冒頭部を吹いてみるがよい。

 あれはC-moll(ハ短調)であり、固定ドで書くと、「ド・ド・ド・ドソドソシ♭ド」というフレーズで始まる。この音型はラッパ吹きにとって、実にいやらしい。「ド-ソ」の繰り返しと、中途半端なテンポであるために、タンギングがしにくくて、はっきり吹くのは、きちんと基礎からトランペットの勉強をした人でなければ、出来ない。

当時、「夜のヒットスタジオ」では「ダン・池田とニューブリード」というビッグバンドが伴奏を受け持っていたが、リードトランペットの人がどんな新曲でも見事に吹いてしまうのに、感心した。

ペッパー警部では、トランペットセクション4人のユニゾンで、先ほど書いた難しいフレーズを吹くのだが、タンギングと音程が完璧に合っていて、実に小気味良かった。


◆プロがプロたる所以をはっきり示していた時代であった。

 

 たまたま、自分が一番よく分かる、トランペット演奏上の細かい点について言及したが、上述のとおり、司会者も番組スタッフも歌手も、生放送特有の緊張感を持って仕事をしていた。それは、まさしく「プロたちの仕事」だった。
歌手は、昔も下手なヤツは下手だったが、平均値をとると、今よりはずっと上手かった。キャンディーズなんて、一応ハモッていた。音程も悪くなかった。

最近はひどすぎる。

 実に見事に耳が悪い奴、つまり音程が狂っていることを認識出来ない人間が、歌を歌ってカネを取っている。

耳の悪い者は、音楽のプロになる資格がない。

曲がりなりにもプロと称する人間が、素人に、「音程が悪い」ことを指摘されるなどということは、死ぬほど恥ずかしいことなのである。画家や漫画家を目指す者が、犬と猫を描き分けることができない、と言うぐらいのレベルである。


◆最近の「タレント」は一体何の「プロフェッショナル」なのかさっぱり分からぬ。

昨今のテレビが何故、つまらないかというと、「プロたる所以がはっきりしない人間」が、仲間内だけで騒いで、自分が喜んでいるからである。

「お客に芸を見せて楽しませる」のがプロの「エンターテイナー」なのだ、という意識がないのだろう。

バラエティーと呼ばれるものは、ただ、雑談しているだけであり、何の芸もなく、従って間違えるとか間違えないとかいう緊張感もない。

技術もなければ、緊張感もない仕事が人を喜ばせることが出来るわけはないのである。


◆ベルリンフィルのメンバーは、練習中に失敗すると、クビになる

比較しては失礼というものだが、世界一のオーケストラの一つ、ベルリンフィルでは、リハーサルでミスを重ねると、クビになる。

無論、本番でのミスも許されないが、本番はプレッシャーがある。プレッシャーのない、リハーサルで間違えるとはなんだ、と言うわけである。

本物の「プロ」の世界は、厳しいのだ。


2003年12月24日(水) 「攻撃相次ぐ『危険地帯』 空自利用のバグダッド空港」首相には、自衛官殺害の未必の故意がある。
2002年12月24日(火) 私が生物として宇宙から地球を見たとき、地球全体が一つの生命体として、広がろうとしているエネルギーを感じました。(毛利衛)

JIRO |HomePage

My追加