DiaryINDEX|past|will
2004年11月28日(日) |
「それぞれの終楽章」阿部牧郎(直木賞受賞作品) 他人の人生は簡単に分かるものではない。 |
◆京都大学卒の官能小説作家
阿部牧郎氏は京都大学文学部卒の秀才であり、官能小説作家である。
官能小説などという、婉曲な言い方はだれが思いついたのだろうか。要するに「エロ本」である。
本来は純文学を目指しながらも、訳があって、エロ本を書くことになり、それはそれで成功していたが、氏の志は常に純文学に向いていた。生活の糧を売るためにエロ本を書きながらも純文学も書き続けた。
昭和43年、初めて直木賞候補となった。この年を含めてその後6回も直木賞候補となりながらも、受賞に至らず、漸く昭和62年、実に、20年かかって(実際にはもっと長い間小説を書いているのは言うまでもない)、直木賞を受賞した。
世の中は、人を肩書き(=レッテル)で差別する。それ以前に、レッテルを貼りたがる。
一度アルバイトでエロ本を書いて売れてしまうと、「エロ本書き」のレッテルを貼られてしまう。阿部牧郎氏が直木賞受賞までに、ほぼ20年を要したことと、無縁では無かろう。
◆「それぞれの終楽章」(昭和62年度下期直木賞受賞作)
エロ本を書いている人は、スケベ親父だろう、というのはあまりにも短絡的な関連付けである。
この直木賞受賞作「それぞれの終楽章」は受賞直後に読んだが、最近、電子書籍になっているのを講談社電子文庫のサイトで発見した。紙の本はなくなっていたので、電子書籍をダウンロードして、17年ぶりに読んだ。
初めて読んだ時と同じように感動した。
これほどの本は、教育も教養もある人でなければ、書けない。
◆あらすじ1:戦後の東北高校生が涙して聴いたクラシック。
自叙伝的な作品である。
自殺した同級生の葬儀に出席するために、故郷、秋田に帰郷した作家・矢部が振り返る青春時代と、人生の終楽章に入りつつある、自分と仲間の生の軌跡を描いた作品である。
自殺した友人は、森山という。地元秋田で税理士として成功していたが、生来人が良く、他人の債務保証人となり、身動きが取れなくなり遂に、死を選んだ。
通夜が終わって、故人の自宅を辞去する前に、矢部は森山の書斎を見て驚嘆する。
文筆を生業とする自分をはるかに上回る蔵書を、自殺した森山は買っていた。
群書類従がある。日本国史大系がある。岩波の日本古典文学全集は全巻そろっている。安藤昌益著作集、内藤湖南全集、江戸文学全集、防衛庁の戦史叢書全102巻、さらに、ブルーノワルター(昔の大指揮者)による、モーツァルト交響曲全集・・・。
それらを森山は実際に読む時間など無かった。隠居してから読むつもりだったという。
矢部は親友森山の胸中を察した
「あいつは、史学の勉強をして暮らしたかったのだ。おびただしい文献に埋もれた生活を夢見ていた。他人の帳簿なんか見たくはなかった。生活のために税理士になった。しかし、それに全てを奪われたまま、去ってしまった」
これは、阿部牧郎さん自身の心の叫びだろう。エロ本など書きたくなかった。まともな文学で食っていけるものなら、そうしたかったに違いない。
しかし、人生はなかなか、やりたいことを仕事には出来ないのである。成り行きというものがあるのだ。
◆あらすじ2:初めて聴くアリア。
森山と矢部は仲がよく、森山の家の方が金持ちで本と、レコード、蓄音機があったので、自身、文学や音楽にあこがれていた矢部は毎日のように森山の家に遊びに行った。矢部はそこで生まれて初めて「運命」や「未完成」を聴いた。
最初はお義理で付き合ったが、クラシック音楽は矢部の心の琴線に触れた。やがて、「激烈に全身を揺すぶられたり、気の遠くなるほど甘美な陶酔に浸るようになった。」
矢部・森山の高校の音楽教師だった人は、元来プロのオーケストラでコントラバスを弾いていた。戦後、仕事がなくなり、故郷で音楽教師をしていたが、新しいオーケストラが出来たため、オーディションを受け、再びステージに立つことになった。
2人は東北の田舎から、上京し、コンサートを聴いた。
「グルックのオペラ、オルフェイスの演奏会形式のコンサートだった・・・(中略)。メゾソプラノの北沢栄がエウリディーチェのアリアを歌った。冴えたメロディが胸に食い込み、稲妻となって何度も肺を貫いて走った。矢部は意識が消えそうになった。突然、涙がこぼれた。訳の分からぬ感情がふくれあがり、何もかもバラバラにしてしまった。涙は止まらない。アリアが終わって、やっと鎮静した。」
◆感想:これが、エロ本を書いている人の文章だと、誰が分かろう。
ここまで読んで、私の方が涙をこぼしそうになった。
何という見事な表現力。
音楽を初めて聴いた時の感動を言葉で表現することは大変難しい。が、阿部牧郎氏の文章を読むと、何も音楽の素養がない少年が、本物の芸術に触れ、激しく魂を揺さぶられてゆく、その様子が手に取るように分かる。
少し、想像力を働かせれば、これほどの教養と感受性と表現力の持ち主が、長年、官能小説を書いて食っていかなければならなかった、その心中は察するに余りある。
普段、何を書いていようが、そんなことは関係なく、「それぞれの終楽章」は立派な、完成したスタイルを持つ、優れた文学作品である。
人にはそれぞれ、事情がある。表面に現れている部分だけで、他人を分かったようなつもりになってはいけないのだ、ということを、私は、この本から、17年前に、学んだのである。
2003年11月28日(金) 「サマワは相当安定しているとの印象」と防衛長官」←異議あり。劣化ウラン弾による放射能に関する情報を隠している。
2002年11月28日(木) 正義という名の嫉妬