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2004年11月29日(月) |
「予防は評価されない」(養老孟司と小池環境相の対談より) 不正得票ねえ・・・ |
◆記事:「環境問題の重要性がなかなか理解されないのは多分、予防の問題だからです」
【養老】 環境問題の重要性がなかなか理解されないのは多分、予防の問題だからです。人間は何か起こったことについて助けてもらうとありがたいと思う。ところが、起こらなかったことに対する評価がないんです。
医療でも、苦しんでいる患者さんを助けると、名医とか言われるが、病気にならないようにしてあげた医者は、実は分からない。戦争が起こった時、これに勝った人はほめられるが、軍縮などで戦争を起こさないようにした人はほめられない。
環境問題も同じで、それに対する負担を求められると「なんでオレが払わなきゃならないの」と思っちゃう。だけども21世紀は、予防ということを評価する社会に変えていかなければならない。それが、20世紀に公害を起こした最大の反省です。
◆コメント:確かにそうだ。
人間が他の人間を評価・査定する、というのは、随分おこがましい話である。
全ての人間はそれぞれ、生まれつきの性質、育った環境、全ての場面における経験が違うのから、それらに基づいて形成される価値判断の基準も、当然異なる。
ある人の価値観が他の人よりも優れているかどうか、判断する客観的な基準は無いのだが、人間のグループでは、便宜上、例えば、会社ならば、「上司」や「人事部」が全知全能の神であるかのごとく、他の人間を評価する。
この、「人間が人間を評価する場合」上に引用した、養老孟司氏の言うような傾向が確かに、存在する。
もっと一般化して言うと、「派手な仕事は評価されるが、地味な仕事は評価されない」
最も分かりやすいのが、何か事件や事故が起きた時である。
先般、新潟中越地震の際、上越新幹線が脱線した事に関して、多くの新聞は「崩れた安全神話」とか「新幹線開業以来初めての脱線事故」と専らマイナス面を強調した。
私は200kmで走っていた新幹線が脱線したにもかかわらず、一人の死者も出さなかったのは、むしろ評価されるべきではないかと書いた。
もう一つ強調したいことは、新幹線が開業以来40年間、一度も脱線事故を起こさなかったという実績だ。東海道新幹線が開通したのは1964年である。それから丁度40年だ。その間全く脱線事故を起こさなかった。普通、人間のノウハウは、失敗を元に蓄積される。
つまり、新幹線開通後、数年後に脱線して大事故が起きて、そのときの状況を詳細に調査・検討し、改善策を練り、その結果、安全性が前よりも高まった、というのが、普通の人間の仕事の歴史である。
しかし、新幹線は、ただの一回の事故も起こさないまま、改良を重ねて、40年間無事故だった。
これは、大変な偉業である。
そして、大地震での脱線を経験したことも無いのに、200kmで走っていて脱線しても、車体が分解することもなく、何よりも驚くのは、転倒しなかったということで、これは、やはり、万が一を想定していた技術者の功績として、評価されるべきだと思うのである。
◆医学だって、本当は予防の方が大切だろう。
無論、予防出来ないことはある。交通事故で運ばれてきた怪我人は治療するしかない。医師に「交通事故を防げ」というのはお門違いだ。
予防医学という用語は知っていても、予防医学の大家とか、権威とかいう医師の話は伝わってこず、養老孟司さんが仰るとおり、病気になってしまってから、それを治すと「名医だ」と評価される。
勿論、病気を治すことが重要でない、とは全く思わないが、もしも、病気を防げる医学があれば、より偉大なのではないか?
何故、予防が評価されないかというと、因果関係の立証が難しいからだろう。予防的な指導をしなかったら、病気が発生したかどうか、分からない。タイムマシンがあって、一人の患者に対して、予防を施した場合と、施さなかった場合の結果を比較することができれば、別だが。
これに対して、病気や怪我は、治療しなかったら死んでいた、或いは症状が悪化していたであろう事は比較的容易に推測できる。
つまり因果関係が明らかである場合が多い。病気を治療した医師の方が評価が高いのは、このためである。
◆警官社会では、犯罪を予防した人よりも、犯人を捕まえた人間のほうが、評価される。
現在、奈良の小学生を殺した犯人は捕まっていない。捕まえたら、その警察官は「お手柄」だろう。
しかし、本来、警察は犯罪を防ぐことに注力するべきだろう。
人が殺されてから、犯人を見つけた警官を表彰するよりも、まず、人が殺されることを防ぐことの方が重要であることは、議論の余地が無いほど、明らかだ。
多分、過去にそう言う例は実際にあっただろうと思う。
不審者が子供に話しかけるのを目撃した警官が、職務質問をしようとしたら、不審者は逃げた。
実は、その怪しい奴は、子供を誘拐して殺そうとしていた。しかし、警官に声をかけられた時の恐怖感が忘れられず、以後、犯行を計画することはなかった。というような場合である。
これも、不審者に声をかけた警官は、人ひとりの命を救っているわけだが、実際に何も起こらなかったのだから、誰にも彼の功績は認識されない。
くどいようだが、人が殺され、その犯人を捕まえた警官の方が、評価される。
◆どのような職場でも同じ事が当てはまるだろう。
以上、わかりやすい例として、医師と警官を挙げたが、普通のサラリーマンや役人の世界でも同じ事が起きている。
派手な仕事をぶち挙げて、成功して会社に利益をもたらした人間は評価されやすい。
一方、派手さはないが、地道に仕事をしてきた人間には、皆、特有の勘が備わり、ある書類、手形、契約書、等をみて、なんか変だぞ、と思ってよく調べたら、誤記があったり、数字が改ざんされていたり・・・、例を挙げればキリがないが、それを指摘することによって、会社を損失から守った人は今日も日本のどこかにいるに違いない。
ところが、彼又は彼女は、大した評価も受けず、淡々と家路についているのだろう。
不公平だと思うが、残念ながら、これが、人間が人間を評価するときの限界である。
それでも、この世は、このような無名の「名人」によって支えられている。
◆環境問題にかんしては・・・
何故、理解を得られないかというと、養老孟司氏のご指摘のとおり、予防の問題だから、であるが、つまりそれは、予防しなかったらどうなるのか、ということを、大々的にキャンペーンしないからである。
国連環境プログラムが、5年も前に、地球環境概況2000で、「地球温暖化を防ぐのは、恐らく既に手遅れ」と断定している、という事実。
それは、すなわち、人類の滅亡を暗示していることを、多少、社会がパニックになっても良いから、テレビの政府広報などで、毎日、嫌と言うほど知らせるべきだ。
日本人は呑気だから、「天下国家、環境問題なんかより、何かおいしいもの、食べに行こうよ」というのが大部分だろう。
そのまま、20年後に水不足になって、全員渇死してもよいというほど、覚悟は出来ていないでしょう?
何もしないで滅亡するより、防ごうとするのが人間だろう。
2003年11月29日(土) 「氷河溶解で数十億人に水不足の危険=WWF」皆、ことの重大さがわかっていないでしょう。
2002年11月29日(金) 割り箸事故の医療訴訟。親も、医師も、病院も、悪い。