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2004年10月21日(木) |
グスタフ・マーラー「交響曲第5番嬰ハ短調」1902年10月19日、初演。 |
◆昔のクラシックファンはマーラーなんて聴かなかったのですけどね。
マーラーとか、ブルックナーの交響曲は長い。だから、普通は初心者にはあまりお勧めしない。何しろ、ブルックナーの8番とか、マーラーでもいくつかの交響曲はCD1枚に納まらないのだ。
アナログレコードの時代にこういう作曲家の作品を最初から、最後まで聴くためには、レコードを3回ぐらい交換しなければならなかった訳である。
それから、CDになって音質が格段に向上したこと。音質というのは、音色だけではない。ダイナミックレンジの広さがアナログ・レコードと比べものにならない。ダイナミックレンジとは、ppからffまでの音量の幅ということである。CDの本領が一番生きるのが、クラシック、特に大編成オーケストラの録音なのである。
一生に一度で良いから、マーラーの交響曲を一流のオーケストラで生で聴いてみることを、お勧めしたい。大きなお世話であることは、承知の上で、申し上げている。
そうすると、フル・オーケストラがフォルティッシモ(ff)で演奏した時の、もの凄いパワー。そして、音がするかしないか、ギリギリの弱音の繊細さ(聴いているこちらが息を止めてしまうほどなのだ。自分の呼吸音が邪魔な気がするのだ)、その両方のあまりの差にきっと驚かれるであろう。
マーラーではないが、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」というのがある。この楽譜(スコア=総譜)を見ると、第1楽章に
pppppp
と、書いてある有名な箇所がある。pが一つでピアノ、ppはピアニッシモ、pppはピアニシッシモ、又は、ピアノ・ピアニッシモ、と読む。普通はここまで。
しかし、pもfも4つ以上書いてはいけない、という規則(楽典)はないのである。ppppppは読みようがない。ピアノ6つ、としかいえない。勿論これは、あくまで感覚的、相対的、主観的なものである。チャイコフスキーは、pppppp というぐらいのギリギリの弱音で演奏してくれ、と言いたかったのである。
pppppppという表記を用いたのは、チャイコフスキーだけ(だと思う)だが、同じぐらいの弱音は、マーラーでも他の作曲家でも決してまれではない。
◆マーラーの5番の何がそんなにいいんだ?
好みは説明出来ないのが普通であるが、私がこの曲が好きな理由は、はっきりしている。トランペットが大活躍する、ということである。
マーラーの交響曲はどの曲もトランペットが大活躍する。大活躍するということは、目立つわけで、ミスをした時の影響もまた、大きい。
そして、マーラーの第5交響曲は、なんと、トランペット・ソロで開始するのである。曲の冒頭から十数小節の間、題1トランペット奏者が短調のファンファーレを吹く。その間、演奏会場で彼以外に音を出す者はいないのである。この曲を吹く時に緊張しないトランペット奏者はいない。また、緊張していないようでは、駄目なのである。
ロンドンにいた頃、4年間で4回、この曲を聴いた。
フィルハーモニア管弦楽団・デュトワ、ベルリン・フィル(コンサートマスターは安永徹さんでした)・クラディオ・アバド、ウィーンフィル・ブーレーズ、ロンドン・フィル・エッシェンバッハ(オーケストラの後の名前は指揮者)である。いずれも世界に冠たるオーケストラなのだ。
ところが、である。ベルリンフィル、ロンドン・フィルの首席トランペット奏者(マーラーの5番のソロを吹くのは首席奏者に決まっているのだ)が、その肝心の冒頭のファンファーレで、見事にひっくり返った(違う音を出してしまった)。
金管楽器は3本乃至4本しかバルブ(指で押さえるキー)が無いでしょう?それなのに、全ての音が出せるのは同じ指使いでも、楽器に吹き込む息のスピードにより、7つの異なる音が出せるのである。倍音という。高い音域になるほど、倍音の間隔が狭くなる。
したがって、少し身体に余計な力が入っていると、となりを音を出してしまうのである。金管楽器、特にトランペットの音は大きく、派手である。
ましてや、マーラーの交響曲第5番の冒頭は、繰り返すが、自分しか音を出していないのである。誤魔化しようがない。曲の頭で、ミストーンを出されたら、それまでの緊張が一挙に無くなってしまう。
はっきり言えば、マーラーの交響曲第5番の冒頭でトランペットがミスをしたら、その日の演奏は、「おしまい」なのである。聴いている側としては「あーあ・・・」という感覚なのだ。
◆プロとアマチュアの違い。復元力
これは、決して誇張ではないのだが、私はマーラーの交響曲第5番を生で聴く日は、朝から緊張してしまうのである。自分も下手くそだが、ラッパ吹きの端くれであるから、金を払って聴く側に回った時でも、気分は演奏者になってしまう。
ましてや、お金を客から取って、「良い演奏を聴かせなければならない」プロの演奏家の緊張は尋常ではないはずだ。だから、間違えることもあるのだ。
しかし、プロの演奏家の真の実力は、ミスをした後で、はっきりと分かる。素人でも上手い人はいるが、多くは、一カ所間違えると、それこそ「あーあ」という態度になってしまって、ミスを連発する。プロでもそういう人がいる。それではいけないのです。
ところが、流石にベルリンフィルだった。最初に取り返しの付かないミスをしたのに、すぐに集中力を取り戻して、それからあとにも難しい箇所がいくつもあるのに、二度とミスをしなかったのである。
ミスをしないように日頃から研鑽を積まなければいけないのはもちろんだが、ミスをしてもすぐに立ち直る、私は「復元力」と呼んでいるが、一流の演奏家は、皆、この復元力をもっている。
マーラーから話はそれるが、バイオリニストの五嶋みどり(欧米では"MIDORI"と言っているが)は、10歳で渡米してバーンスタイン指揮のニューヨークフィルハーモニック(というオーケストラ)の伴奏で協奏曲を弾いた。演奏中にヴァイオリンの弦が切れた。
大人のソリストでも動揺する大事故なのだが、こういう時は緊急対応体制が決まっていて、ソリストはコンサートマスターのバイオリンを貸して貰って、弾くのである。弦が切れたヴァイオリンはバケツリレーのようにして、最後列の奏者に渡され、彼が楽屋に飛んでいって弦を張り替えるのだ。
さて、MIDORIが借り物のヴァイオリンで弾き続けたら、なんということであろう。2つめのヴァイオリンの弦がまた切れた。また、コンサートマスターから3つ目のヴァイオリン借りて、MIDORIは何事もなかったのように弾き続けた。曲が終わった瞬間、ブラボーとスタンディング・オベイションの嵐のようになった。
このエピソードは、アメリカで小学校の教科書に載ったというから、大変なものである。
◆マーラーの5番のお勧めは、
ウィーン・フィルをバーンスタインが指揮したのが間違いなく名演(しかし、マーラーも、バーンスタインもユダヤ人だ。やっぱりすごいね。ユダヤ人は。他にも挙げればきりがない)なのだが、私はフィルハーモニア管、シノーポリ指揮を推したい。
トランペットの音が、実にこのシンフォニーに一番合っていると思うのだ。首席奏者はジョン・ウォレス氏である。この人は上手い。音が良い。トランペットの音はいつでも明るければよいというものではない。マーラーでは暗い音が合う。ウォレス氏は曲に見事にフィットした音が出せる、世界有数の名人だと思う。
遠い昔、セントポール大聖堂でチャールズ皇太子とダイアナ妃が式を挙げた時に、招かれて演奏したほどのひとである。
なお、この曲は全部で5つの楽章から成り立っているが、第4楽章のアダージェットは弦楽合奏とハープだけで演奏される。ぞっとするほど美しい。
また、第5楽章の冒頭部は、故・伊丹十三監督が、第2作「タンポポ」(ラーメン中心の「食べ物」をテーマとした映画)の中で、山崎努が安岡力也と喧嘩して、腰が立たなくなり、宮本信子の家に泊めて貰う。翌朝、宮本信子が朝食の支度をする、というシーンで使われていて、これが見事に合っている。伊丹さんというのは面白い事をする人だ、と思ったのを覚えている。
マーラーとか、トランペットとかのことを書き出すとキリがなくなるので、この辺で止めておこう。
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