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2004年08月30日(月) |
「小泉・竹中不良債権処理」のそもそもの発端は、2002年9月12日の小泉ブッシュ会談ですね。 |
◆小泉首相が、不良債権処理を騒ぎ出したのは、何時からか?何故か。
2002年9月12日に小泉首相は、米国でブッシュ大統領と会談し、不良債権処理の加速を約束させられた、というのは、よく知られた事実である。不良債権処理とは現に生きている企業をたたきつぶしてたたき売ることだが、ブッシュはアメリカの投資家達にこれらを安く買わせて、人気を取りたかった。米国自体の景気が芳しくなかったからである。
このときの「約束」は、ほぼ、脅迫に近かったらしい。云うことを聴かなければ、円高、株安にして、小泉政権存続を危うくするぞ、ということである。
小泉首相は真っ青になり、2002年9月30日の内閣改造で、それまで金融相を務め、「大手銀への公的資金注入は必要ない」と主張していた柳沢金融相を更迭して、経済・財政担当相だった、竹中平蔵氏を金融相兼務に任命した。そして、兎に角どんどん不良債権を処理せよと命じた。
竹中君は、米国流の会計方式をなんでも取り入れる人である。
彼が最初に言い出したのは繰り延べ税金資産の自己資本算入を5年分から、1年分に変更すると言うモノだった。いきなり会計基準をそのように変更されたら、どの銀行も自己資本比率が8%(バーゼル銀行監督委員会が定めている、国際業務をやる銀行が満たしていなければならない、自己資本比率の下限)を切ってしまう。
そうなれば、皆、「危ない銀行」になり、公的資本を注入できる。しかしこのときは、各銀行の頭取と、銀行の株主が激怒して、実現しなかった。株式会社は株主のものだ。国有化されたら、株主が保有している銀行の株券は紙切れ同然になる。株主も猛反発した。
いずれにせよ、米国の圧力に屈している小泉・竹中は、折りを見てはどこかの銀行、または、事業会社を国有化し、アメリカのファンドに献上しようとしているというのは、丸の内、霞ヶ関、永田町の常識でしょう。亀井静香なんかもしょっちゅう云っているではないか。あれは本当だ。
◆公的資金の注入は本当に必要だったのか?
公的資金注入の財源が税金だと思っている勘違いさんもいるようだが、国債ですね。そして、1999年に都銀に行われた公的資金注入は、預金保険法に基づいて内閣総理大臣が一方的に決めて、全ての大手行に一度に注入した。といっても優先株や劣後債の買い取りだから、議決権を有するわけではない。
公的資金を注入するか否かの判断は、自己資本比率で判断するようだが、BISのバーゼル銀行監督委員会が定めた8%という数字には何の意味もない。大体日本の銀行の融資は担保をとっているのだから、欧米の基準をそのまま適用する方がむしろおかしい。何で、バーゼル委員会に拘束されなきゃ、いかんのだ? 要するに、本当に、公的資金の注入が必要だったのか、疑問の余地がある。
ましてや、昨年のりそな銀行の国有化の時などは、アメリカに捧げるための「国有化のための国有化」みたいなもので、繰り延べ税金資産を何年分自己資本として認定するか、最初の決算と監査法人の監査の結果では足りていたのに、その後、妙な圧力がかかり、むりやり4%(国内業務だけを営む銀行は自己資本比率4%でよい)割れにさせられた。そのときに当局と銀行の間で板挟みになった公認会計士が一人自殺したではないか。つまり、絶対必要な公的資金注入ではなかったのだ。
それを、公的資金を注入された銀行に対する国民の怒りが、とか頓珍漢なことを云う人っていますよね。
要するにね。小泉と竹中は、不良債権処理を無理やり推進して、過少資本になった銀行や、不良債権先の企業をアメリカに安く「差し上げようとして」いる、走狗なんだよ。
2003年08月30日(土) 返事を書かないのであれば、「MAIL」を表示するべきではない。