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2004年07月02日(金) |
「合理的な思索を蔑視して偏狭な狂信に動いた人々が、日本民族を現在の悲境に導き入れた。」(和辻哲郎著「鎖国 日本の悲劇」序文) |
◆和辻哲郎「鎖国 日本の悲劇」序文より
太平洋戦争の敗北によって日本民族は実に情ない姿をさらけ出した。この情勢に応じて日本民族の劣等性を力説するというようなことはわたくしの欲するところではない。
有限な人間存在にあっては、どれほど優れたものにも欠点や弱所はある。その欠点の指摘は、人々が日本民族の優秀性を空虚な言葉で誇示していた時にこそ最も必要であった。今はむしろ日本民族の優秀な面に対する落ちついた認識を誘い出し、悲境にあるこの民族を少しでも力づけるべき時ではないかと思われる。
しかし人々が否応なしにおのれの欠点や弱所を自覚せしめられている時に、ただその上に罵倒の言葉を投げかけるだけでなく、その欠点や弱所の深刻な反省を試み、何がわれわれに足りないのであるかを精確に把握して置くことは、この欠点を克服するためにも必須の仕事である。
その欠点は一口にいえば、科学的精神の欠如であろう。合理的な思索を蔑視して偏狭な狂信に動いた人々が、日本民族を現在の悲境に導き入れた。がそういうことの起り得た背後には、直観的な事実にのみ信頼を置き、推理力による把捉を重んじない、という民族の性向が控えている。
推理力によって確実に認識せられ得ることに対してさえも、やって見なくては解らないと感ずるのがこの民族の癖である。それが浅ましい狂信のはびこる温床であった。またそこから千種万様の欠点が導き出されて来たのである。
◆コメント:この民族の癖は今もなお修正されていないように思われる。
和辻哲郎(わつじてつろう)先生は大正から昭和期の倫理学者です。偉い、偉い先生です。私が人のことを「偉い」と表現することは滅多にないが、この先生は本当に偉い。
私の云う偉いとは帝大教授だとか、文化勲章をもらったとか、そんな下らんことでは勿論なくて(ご本人もそんなものには何の執着もなかった)、本当の知識・教養・学識・定見を持ち、かつ謙虚な人格者であるこいうことです。
この「鎖国」という本は、戦後間もなくかかれました。和辻先生の文章は明解で平易です。誰でも上の文章を読めば、どれがキーセンテンスかわかるでしょう。
「その欠点は一口にいえば、科学的精神の欠如であろう。合理的な思索を蔑視して偏狭な狂信に動いた人々が、日本民族を現在の悲境に導き入れた。」
この一言に尽きる。和辻先生は、世界で科学的合理的発見がなされている間に、日本は国を閉ざしていた。それが、日本人の非合理性の温床になっているのではないか、という仮説を検証してゆくのですが、一方で西欧人が十字軍を派遣したり、南米を征服してゆく過程でどのようにひどいことをしたのかも、全部書いてあります。
それはもう、驚くべき詳細さでかかれています。当時、GHQは翻訳を読んで、頭にきて、和辻先生に執筆を止めるように圧力をかけましたが、和辻先生は「私は、客観的・歴史的事実を記述しているに過ぎない」といって、全く動じなかったのです。
それは、さておき、和辻先生が50年以上も前に看破した、日本人の性癖は、折角のこの名著による訴えにも関わらず、今もなお、残っているのではないでしょうか。
テロが相次ぐ、物騒なイラクに自衛隊が多国籍軍として参加したらどれぐらい危険か、憲法に違反する行為を行わざるを得なくなるか、全く「推理力による把握」を行わず、「やってみなければ解らない」と考えている政治家がいませんでしたっけ?
私は、この国の政治家のみなさんに、是非、この日本史上に燦然と輝く碩学(せきがく=学問のひろく深い人。大学者。)が半世紀以上も前に鳴らした警鐘に耳を傾けて頂きたいと思います。特に、内閣総理大臣をしている方に。
2003年07月02日(水) 株が急騰したといって騒ぐバカ。 ファンダメンタルズはなにも変わっていない。