ゆれるゆれる
てんのー



 あなたと生き物、あなたと死

今日、何匹の生き物が前を横切りましたか。


柴犬のチコ

でぶ猫のみーちゃん

アオダイショウ

キジ ×2(以上少数)

クマンバチ

ミツバチ

スズメバチ

巨大なめくじ

毛虫

アゲハチョウ

ナナホシテントウムシとその幼虫(以上鬼のように大量)

人間(昼間5匹、夜間大量)


最高気温たかが24度でこれである。
真剣に、夏が怖い。



生き、死ぬという現実。

広島の繁華街を歩いていたとき、野良猫が車にはねられて死んでいた。
ありゃっと思ったが、そのまま通り過ぎて、電車通りで信号を待っていると、カップルが話しているのが耳に入ってきた。

「目の端のほうで、なんか見えたんじゃけどね。なんとか見ずに通りすぎれたよ。ぎりぎりで」
「うそー、ばり見てしもうたわあ。ぶち可哀想なよねえ」

そんな会話で信号待ちの時間をつぶせる彼らを、不思議な気持ちで見ている自分の方にかえって驚いてしまった。
少し前までは、自分もそんな会話をしたであろう一員だったのに。

たくさんの生き物に囲まれている毎日は、確実に、しかも無意識のうちに、いのちというものについての感触、というか考え方のヒントを、刺激的な形で与えてくれている。

猫の死体を見たか見ないか…ただそれだけの事実が、ある種の「ケガレ」観念につながっていることに、うかつにも気付かないままだったのだ。

幸せなことに、都市文明からは「死」は巧妙にカーテンの向こうに隠されている。人によっては「不幸なことに」というけれど、俺はそれは幸せなことだと思う。

今の自分は、いいことかどうかはわからないが、猫の轢死体ていどなら無理に目をそむけないでいられるなあと思う。

たぶん、誰かが機械の操作を誤って指を切断した、なんて話のほうがむしろ自分にはショッキングに響くんだろう。指切断ぐらいじゃヒトは死なないんだけどね。

いのちの重み、という。

ますますよく分からない。

まあ、俺はマムシにかまれるほうがはるかに怖い。
かなり多いんだそうである。いやー。

2004年05月06日(木)
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