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■ 掌中小説風日記 秋のシャンソン祭り 後半
【後半】
ヤイちゃんが声をかけてくれた時点で、もしかしたら私の為に来たと思うのは思い上がりで、知り合いが出演するシャンソンの会に来てみたら、たまたま私を見掛けたので、声を掛けてくれただけなのかもしれないなぁ…と思い直してみたら、少し気恥ずかしくなってしまった。 それ程、ここ二年ほどの私は、全ての事に対し自信を無くし、ショボくれ、気弱になってしまっている。
けれどもやはり二人は、わざわざ私の為に計画を立て、素敵なフラワーアレンジメントまで用意し、歌を聴きに来てくれたのだとわかり、それが信じられないほど嬉しく、とうとう我慢出来ず嗚咽になってしまったのだ……。
「マキュキュの歌、もの凄く良かったよぉ!!あの歌イイ歌だね…思わず感動しちゃったよ!」 彼女たちに褒められ、私はホッとするとともに、聴きに来た事が無駄ではなかったと思ってもらえたようで、本当に安心した。
私の日常を時々気に掛けてくれ、日記をチェックしてくれていたナオちゃんが、シャンソン祭で私が歌う事を知り、一緒に聴きに行こうよと、大親友のヤイちゃんを誘ってくれたのだろう……。 そんな気遣いが私に取ってどれほど嬉しかったことか……。 正に地獄で仏に逢えたような心境だっだ。
後から夫に聞いたのだが、ホールへの道に迷ったヤイちゃんから、実は電話があったそうなのだが、私を驚ろかそうと思い、あえて彼女達が来る事を内緒にしていたみたいだ。 まったく、もう……。上手くやられてしまった。
店を辞めてから仕事探しと必要な物の買い出し以外はどこにも出ず家に引き篭もり、人との接触も交流も諦め、色々な欲求に蓋をし、孤立無援の状態で暮らして来た。
特にそんな時期は人の優しさがより心に深く染みわたる。 心が張り裂けそうに辛い時など、例えば運転中、見知らぬ誰かに道を譲ったとする……。 そんな時、相手がニッコリと優しく微笑み、深々と頭を下げてくれたりすると、もう、それだけで慈悲に触れたような気がし、涙ぐんでしまいそうになる事が私にはよくある。 その反対に、目も合わさず、クラクションの一つも鳴らさず、ツンとすましながら当然の如く走り去って行く車などを見かけると、やりきれない虚無感に襲われ、咄嗟的に死にたくなってしまう事もあった。 普通の精神状態なら、どちらも可笑しなもので、大げさだと思うだろうが、心を病んでいる時ってそのくらい過敏でデリケートになるものなのだろう。
かなり話が遡るが、小学校三年の時まで、私は世田ヶ谷の生家で暮らしていた。 売れない役者だった両親。父方の祖母と曽祖母の4人と言う家族構成の中で私が産まれた。 優しかった曽祖母は私が三歳の時に亡くなった。 しかしその後、父の弟夫婦が赤ん坊を連れて同居する事になり、急に弟のような存在が出来、独りっ子の私はそれが嬉しく、その子を可愛がりながら賑やかな家で暮らしていた。 しかし私が十歳の夏、突如両親が離婚し、本来独りっ子の私は、いきなり母と二人きりの母子家庭になってしまった。 その後も数回の転居や転校を繰り返して行く内、人との関わり方も希薄で刹那的なものにならざるを得なくなった。
根は人懐こく、自分で言うのも変だが、本質はとても優しい人間だと思うし、今でこそ言葉使いは辛辣辛口でも、私は幼い頃から平和主義者だった。 だから自分から人を攻撃したり喧嘩をふっかけたりするような事は殆どなかった。 むしろ人と比べて出来ない事が多かったり、頭も悪く、勉強も遅れていたので、引っ込み思案だった。人の顔色を伺い、お調子者で、強く出られると不本意だと思いながらも何も言えぬ弱気な子供だった。
でも人間は、何かが足りないと、必ず他の何処かに優れた部分を持っているもので、私は劣りっ放しの人間なんてこの世に一人も居ないと思っている。 私の場合は生まれながらに変わった感性のDNEを引き継いているみたいで、それと共に洞察力だけは兼ね備えていたので、人の心の嫌らしさやずるさも残念だが読めてしまう。 最初は良くても、人と付き合う内、相手にそれ等を感じ取り、その人に抱いていた尊敬の念や信頼が突如崩れてしまう事がある。 だけど、分かり合える人も多く、良い部分も悪い部分も互いに承知し合い、乗り越え、付き合いが何十年も続いている人もまだまだ居てくれてる。
男女に限らず、心から尊敬や信頼ができ、驕り高ぶりが無く、威張らず、魅力があり、遊び心があり、楽しく、優しく、品良く、面白く、無邪気で、賢く、行儀良く生きている人……。 私は自分がダメ過ぎて出鱈目で、だらしの無い人間なので、だからこそ師匠的なものを求めるとしたら相手の理想はとても高いものになる。 うんも言わさず言う事を聴きたくなるような人……。 若い内にそんな師匠のような人物に出会えたらどんなに幸せだっただろうか。
自分を冷静に見詰めると、子ども時代からもの凄くピュアで優しく生真面目な部分もあると思うし、凄くしたたかで強情で醒めた部分もあり、私には両極端なものが共存しているようだ。多分どちらの私も本当の自分なのだろうが、自分ではまだコントロール出来かねている。
そんな風に自然に身に付いてしまった孤独感や自分の生き辛さを紛らわす為の鎧は、年齢とともに徐々に厚くなり、強固になって行く。 それでも元々は無垢だった筈の魂はその原型を多少は残しており、時々心無い人からの傷を負い、誤解を受け、赤剥け、血が吹き出し、悲鳴をあげる。 不器用ながらも熱い夢に思いを馳せ、身近な場所に楽しみを見出しながら日々を出切る限り一生懸命生きる。 そうする事が自分の剥き出しになった魂の傷口への唯一の治療になるのだろう。
ここ最近、私のお気に入りの師匠数人に書物やCDで再会し、改めて色んな事に気付かせてもらえ、先ずは自分を赦し解放する事から始めてみて、その後私を苦しめて来た物事や人々に感謝する事で嘘のように気持ちが救われてきている。 そのように思考を修正し始めたら、途端にあり得ないような素敵で嬉しい不思議が次々に起こり始めてきたのだ。 神様好きの宗教嫌いな私だが、今までソッポを向いてた神様が、少し見直してくれ、又手を貸し始めてくれてるようだ。
今まで長い事孤立無援だったのに、この所沢山の宝物を神様経由で頂いている。 それと、最近私に人からの頼まれ毎が増えてきた。 人が何かで私を必要としてくれる。 コレが最も良い兆候の証なのだ。
ごめんなさい。(笑)話が大幅に横に逸れ過ぎたので、そろそろ元に戻そう。
用事があり、最後までは居られないと言うヤイちゃん達とロビーに出て、少し話をした後、私は丁寧に頭を下げて2.5人のレディたちを見送った。
やがて発表会も終わり、毎回恒例の、出演者たち全員がロビーに並び、お客様をお見送りする場面に……。 そこで今回、十人余りもの人が私に声を掛けてくださった。 中にはシャンソンの会がある度必ず来るという常連のシャンソンファンもいらっしゃる。 皆様一様に「あなたの歌は本当に素晴らしい。とても感動しましたよ」「あなたの歌に癒されました」「次回もあなたの歌を聴くのを楽しみにしてますからね!」そんなありがたく嬉しい言葉をたくさん頂き、その都度ジワジワ目頭が熱くなりヤバくなる。 ステージを重ねる毎に、徐々にほめてくれる人が増えてくれ、それに対し少し心が痛む……。 神様、善い子になりますから(爆笑)どうかシャンソンを続けさせてください……。
もう一人、とてもありがたい言葉を投げかけてくれた人がいた。 今回の発表会の第一部で一番最初にアメイジング グレイスを歌った若い女性がいたのだが、彼女はこれが初舞台らしく、私の姿を見つけると歩み寄って来て、こんな事を教えてくれた。 「あの……。実は前回穂高であなたの歌を聴いて、もの凄く感動し、私もシャンソンを歌いたくなって、シャンソン習い始めたんですよ」 「えっ!?私の歌がきっかけに?? それはそれは嬉しいお話……。それを聞いて凄く元気がでました。私こそありがとうございます。来年も頑張って歌ってくださいね」 私はそう応え、又泣きそうに……。 彼女は彼女とそっくりな愛くるしい赤ちゃんを抱きながら、手を差し伸べてくれたので、私達は握手を交わしあった。 こんなに若い人がシャンソンに興味を持ってくれるなんて、本当に嬉しい。 松本のシャンソン会は益々盛り上がりそうだ。 私の歌が少なからずも人に影響を与えられたなんて、夢みたい。
全ての観客を送り出し、記念撮影をし、私服に着替えた後、皆で椅子や舞台を片付け、打ち上げの準備に取り掛かる。 すると受付をしていた女性がやって来て「中山さんですか?」と聞かれた。 「はい!そうです」と答えたら「先ほど花束が届いたのでお持ちしました」と、花束を渡された……。
この花束の送り主はMだった。 一度で良いから私の歌を聴きに来て欲しかった今でも大切な大切な人……。
あまりの暮らしの苦しさに徐々に平常心を失いつつあった私は、死ぬ事ばかりを考えるようになり、冷静で居られる事が少なくなって行き、心身を完璧に病ませてしまった。 そんな事が高じる内、Mにも呆れられ、ボタンのかけ違いが生じ、やがては互いに深く傷付き合い、修正がきかぬほど双方がボロボロになってしまったのだ……。 今は互いに距離を置き、双方の安定を願い合うしか無い。 でもやがていつかは互いのシコリも解け合い、心から本音で話せる日が来ると私はそう信じている。
夫を待たせていたので打ち上げを早々に切り上げ、車に乗り込み、帰路に向かう……。 「お疲れ様。歌、凄く良かったよ……。声も思ったほどかすれてなかったじゃん。でも、途中歌詞間違えたでしょ?!」 夫に痛い所を突かれた。 「あはは…バレテタ? でもうまくごまかしたでしょ?(笑)とにかくナオちゃんと、ヤイちゃんが聴きに来てくれた事が未だに信じられないくらい嬉しいよ。それからね、その赤い花束、誰からだと思う?……危ない!!又いま泣きそうだよ……あのね……実はね……☆➰▽□♂♬……」
そんな取り留めのない事を話しながら家に向かい、途中で安い焼酎を買い、二日間もお預けを食らっていたキリタンポ鍋の用意をし、ものすごく充実した幸せな気持ちで美味しい美味しい晩酌をしたのだ。 神様、とても貴重で嬉しく幸せに満ちた日をくださり、本当にありがとうございました。 貴方を心から愛し、敬い、お慕いもうしております。 だから、これからも嬉しい不思議をたくさんたくさん山ほどください。 私も神様のお役に立てるような人間になれるよう努力しま すから……。神様、らいすきらょおぅ〜〜。
疲れと幸せ感で私は直ぐに酔いがまわってしまい、心の中の神様とそんな呂律の回らぬ対話をしていた。
【終】
2013年11月26日(火)
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