マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 (長文日記) 衝撃の出会い〜重兼芳子さんのこと


最近常連さんになってくれた、あっちゃん(高校音楽教師&バイオリニスト)が、地元の大企業F電機の社長さんと交友関係にあるらしく、ときどき社長さんの別荘にお呼ばれしては、演奏会を兼ねた内輪のパーティーなどで盛り上がり、楽しんでいるという話を聞いた。
社長さん自身もチェロを奏でるらしく、飲むと駄洒落がポンポン飛び出し、大変温かく、ユーモラスで気さくで楽しいお方だそうである。
「ねぇねぇ、店をたたむ前に一度連れてきて〜」等と冗談紛れにオネダリしてみたのだが、あっちゃんは「さぁね、どうしようかなぁ〜」と言う面持ちで、ただニヤニヤしているだけ・・・。

ところが、アタシがもっともっと興味深かったのは、その社長さんのお母様が芥川賞を受賞した作家さんだったと言う事だ。
彼女は、残念な事に平成5年に癌で他界されてしまっている。
アタシは早速ネットのブックオフで検索し、受賞作(やまあいの煙り)を購入してみようと思ったのだが、生憎その作品は無く、また、あまりお金を使えないので、数ある作品の中から直感で「たとえ病むとも」と「ひとりを生きる」の二冊の中古本を注文してみたのだ。
重兼芳子さんと言うのがその作家さんのお名前である。(多分本名かと)

話の勢いで注文してしまったものの、正直、F電機の社長さんのお母様・クラッシック愛好家・超エリートな家族構成・芥川賞受賞作家と言うキーワードが、あまりにもアタシとはかけ離れた世界の差に、きわめて貧困で俗物的なアタシは、きっとアタシなんかが読んでもチンプンカンプンに堅苦しくて、よけいな落ち込みがたまるだけで、きっと馴染めない本なんだろうなぁ・・・などと勝手に思い、暫くの間食指が動かず放置されていたのだ。

一緒に注文したフジコヘミングの本が読み終わってしまったので、他に読む本も無く、ある種の覚悟を決めてページをめくってみたのだ。
そして読み進むに連れ、(あぁ・・・この人とアタシの物事や人に対する思いは、なんてよく似ているのだろう・・・)と驚き、涙ながらに読む部分が多く、著者がたまらなく愛しくなり、アタシは一気に著者の虜になってしまったのだ。
まだ二冊しか著者の本を読んでないので、知識は浅いのだが、アタシは彼女のありったけの本を読みたくなってしまった。
 
著者は昭和2年の生まれだそうで、アタシの母とまったく同じ年。
そしてアタシの母は62歳で、著者は66歳と言うまだまだ志半ばで癌のためこの世を去っている。
同じ昭和2年に生まれ、僅か3〜4年の差で同じ癌で亡くなった・・・・・・。
それだけでも何か、この本との出会いに、不思議な巡りあわせみたいなものを感じてしまった。

著者は股関節に先天性の病を持ち、北海道の炭鉱の社宅で生まれたと言う。
炭鉱といっても彼女の父は中間管理職だったため、危険を伴う現場仕事ではなく、社宅も常に温かなストーブが燃え滾り、衣服も充分に与えられたたいへん恵まれた環境だったそうである。
一方(タコ)と呼ばれる現場仕事の人々の子供達は、ま冬の寒さの中、靴下も履いておらず、弁当さえ持って来られない子供も多く、彼女は幼心に「危険な仕事をしている人が貧しくて、安全な仕事をしている人たちが、その何倍もお金を貰っている」と言う格差、貧富の差、不公平さに深い疑問と理不尽な気持ちを抱いていたと言う。
ある日優しさからお弁当を分け与えた子に、ソレを窓から捨てられ、彼女は大きなショックを受ける。
しかし後に、自分は上からの有利な目線でその子達を見、可哀想な子たちめぐんであげた、と自分自身におごり高ぶりの自己満足の気持ちが有ったことに気付き自分を恥じる。

後に北海道からいきなり九州に転校する憂き目に遭い、身体的及び方言の違いなどのコンプレックスからか、学校でも孤立した存在で、勉強嫌い、落ちこぼれ、人と群れる事を嫌い、ひとり空を見詰めては様々な空想に耽っていたような、かなり屈折した少女だったと言う。

今で言う高校はなんとか卒業したものの、やはり今で言う大学は早いうちに退学してしまい、人ともたれあう人生を嫌い、独自の自由感を満喫したい彼女は、せめて良い所に嫁にやりたいと、花嫁修業やしつけに厳しい母にペロリと舌を出し、学生運動などをしている仲間などと、歌作りや、物を書くことに惹かれてゆく。
そして物を書く場に使わせてもらっていた教会の、理解があり寛容な牧師さんに、せめて何かのお礼を・・・という軽い気持ちで、10代の後半だと思ったが、プロテスタントの洗礼を受けるのだ。

著者は炭鉱での体験や戦争体験、自分の実体験から、強者と弱者の矛盾性、格差社会の矛盾性、生きること、死ぬことの意味を深く探求し始め、永遠のテーマとしてソレを魂の傍らにしっかり置き、物を書く勉強に没頭する。

やがて大きな土木会社に勤めるご主人と結婚し、転勤族のため各地を転々としながら4人の子供を儲ける。
(しかし、二番目の子供さんは(女児)僅か生後4ヶ月で重い病で亡くされている。)
著者のご主人は人望が厚く、部下の面倒見も良く、大変寛容な人だそうで、若い頃はまだまだ経済力も無かったので、部下達を自宅に連れてきてはドンチャン騒ぎさせる事が多く、ツマミなどを作り安酒でもてなしている内に、「お母ちゃんも一杯やろうよ」などと部下達に誘われ、一滴も飲めなかった著者もどんどん酒豪になり「私、居酒屋の女将になるのが夢なんだわ」などと笑っていたと言う。
著者は声楽やクラシックが好きで、酔っ払うと歌ったりサル踊りをしたり、ご主人の部下達にたいへん慕われていたという。

家計簿をつければ3日坊主、掃除は大の苦手、家事は一向に上手にならない、ご主人の収入が増えれば増えるで、勝手気ままに車や着る物や夜遊びに使ってしまうような、楽しい事好きの不良主婦だったと本人自身が書いている。
子育ても彼女が子を育てるのではなく、子供に育てられた部分が多々あったのではないかと想像させられる。

著者は炭鉱暮らしや戦争体験での憤りや人生の虚しさ、自分自身の挫折感やコンプレックスを幼い頃からたくさん抱えもち、色々な社会を見てきたお陰で、傲慢なもの、人を見下すもの、権威的なものには反感を持ち、一方で、弱いものに対しては温かい慈愛の目を持ち、常に神や自分と自問自答しながら、彼女自身の洞察力や感性を磨いてきたのだろう。
人々の本物の優しさや、ずるさ、心の中を見抜く審美眼の鋭さは、彼女の著書の場所場所に現れている。

著者は一際ホスピスには強い関心を持ち、外国へ何度も視察に訪れ、日本のホスピスではボランティア活動に参加しながら、自分達の理想のホスピスを作るプロジェクトに参加し、人生の終末を迎える人々と心と心で触れ合い、語り合い、意欲満々でその活動を広めていた。
そして50歳を過ぎてから書いた小説が芥川賞を受賞し、益々経済力にも恵まれるようになり、作家としての出筆・講演会・ホスピス建設・遊び・旅行・主婦業と、慌しくも最高に充実した人生を駆け抜けていく。

そんな折、たまたま仲良しのお医者さんと飲みながらダンスを踊っていた時、その医師に「その息切れがどうも気になるから一度診察を受けてみなさい」と言われ、人間ドックを受けたところ、肝臓と腸の一部に悪性の癌があると告知され、「いよいよ、自分の番が来た」と思い、運を天に任せ、覚悟を決めたそうだ。
クリスチャンでもあり、ホスピスの活動をしていた彼女だけに、比較的冷静な気持ちで受け止める事が出来たのだろうが、死への恐怖やコレからどうなっていくのかと言う不安は、やはり人並みではなかったとうかがえる。
入院し、医局の総力を結集するほどの難しい大手術を受けるのだが、手術から僅か三日目、術後の経過も良くなく、病床で熱と苦痛にあえいでいる最中、他の病気で緊急入院した最愛の夫が、突然、食べ物を誤飲し、肺炎を起こし、急死してしまったという事を家族に知らされ、彼女は死よりもつらい絶望を味わう。

ご主人は仕事一筋で朴訥な人だったため、妻に「愛してる」とか「好きだよ」などと言う言葉はいっぺんも吐いたことの無い人だったそうだが、よほど妻の病にショックを受けたのだろう・・・。よほど深く愛していたのだろう・・・。その行く末を見守る恐怖に耐えかね、自ら病気を引き起こし、あっけなく妻より先に亡くなってしまわれたのだ。
最愛の夫の死にさえ立ち会う事もできず、葬儀にも出られず、鎮静剤を打たれて3日間眠らせられている内に全ての儀式が執り済まされていたのだ。
著者は贖罪の念に駆られ、自分を責め、今まで夫の広くて深い愛情と言う名の傘下のもとで庇護されていたからこそ、伸び伸びと自由に飛べていた事のありがたさと、夫への愛の深さを改めて思い知る。

その後著者は娘さんや息子さんたちに支えられながら、徐々に元気を取り戻し、出筆活動、講演会、ホスピス建設に打ち込むのだが、発病から二年半でとうとう彼女自身、ホスピスの出来上がりを待たずしてこの世を去ってしまわれる。

アタシが最初に読んだ本が、いみじくも著者が最後に書いた著書らしく(たとえ病むとも)著者が最後に入院した病床出で書かれた作品だった。
本の三分の二ほどの所でプツリと―絶筆―となっており、あまりに生々しく悲しく、そこでアタシは涙が止まらなくなった。
その後の文章は翻訳家をなさっていると言う娘さんが引き継いで書いておられる。


重兼芳子と言う人の著書を、ひょんな事から知りえて、生きる希望さえ完全に失いつつある今のアタシがソレに出会ったという事は、ものすごくアタシの中では奇跡な訳で・・・・・・。
教えてくれたあっちゃんには、心の底から感謝している。

年齢も生い立ちも環境も境遇も立派さも、著者とアタシは雲泥の差ほど違うけれど、社会の仕組みや、権威的な人々や、浅く物事を考えている人々に、思いのどこかで反発したり失望しながら、自分よりもまだまだ世の中に失望して居る人たちもいて、そんなか弱い人を何かの形で救えないかと言う気持ちはこんなアタシでも持っている。
だからアタシは経済力も無いし、何も出来ないが、自分の生き恥やダメ人間さを正直に晒すことで、アタシよりも苦しい人たちに少しは(こんなバカもいるのだから・・・)とクスリと笑ってもらったり、安心してもらいたくて貧乏赤裸々日記を凝りもせず、8年間も綴り続けてきたのだ。

これは過去の日記にも、多分初めて書いた長編手記にも書いたと思うが、いずれはアタシが書いたものが売れて、応援しつづけてくれた人々に恩返しをし、やがてたくさんのお金を稼いで実績を作り、心温かい人々に協力を求め、身寄りの無い人やホームレスなどが安心して入れる、カラオケバーや喫煙所や小さなDVDルームや図書館や瞑想ルームや雀宅をも備えたホスピスを作るのがかねてからのアタシの夢だった。
著者もまったく同じような設備を備えたホームレスを建設することが夢だったと知り、「あっ!! 同じだ同じだ」と、ものすごく驚いたのだ。
著者は自由人だし、ノン兵衛だし、タバコも吸うし、カラオケ大好きな遊び人。
そんな所もそっくり同じで・・・・・・。
アタシが癌になった時の入院中の行動(常に喫煙所にいたし、こっそり病院を抜け出し、友達のスナックで飲んだり、寿司や焼肉などを食べに行っていた)生や死に対する思い、無駄な延命治療への疑問、医療や看護婦さんたちに寄せる思いや願いなど、全てが酷似しており、今この段階で著者の本に出合えた事が、ぐうたら神の最後のアタシへの締めくくりのプレゼントのような気がしてならない。
アタシだって極貧でも、せめて心や夢くらいは豊かでありたい。

今のアタシは何の力も無いし、明日さえ無いかもしれない、どん底の状態ではあるけれど、何かにしがみ付いてでも、一作くらいはこの世に書いた物を残してからでも死ぬのは遅くないと、希望というか最後の願いみたいなものが彼女の本に出会えたお陰で再びかすかながらも蘇った。

そしてこんな事を思った・・・・・・。
もしかしたら平成二年にこの世を去ったアタシの母が、アタシを心から心配し、天国で重兼さんと知り合い、仲良しになり、アタシにその存在を伝えたく、重兼さんの本をあっちゃんという人間を通じてアタシに読ませてくれたのかもしれない・・・・・・。
きっとそうに違いない。

先日、コマキが著者の受賞作(やまあいの煙)他、数冊をプレゼントしてくれた。
まだこれから読むのだが、重兼芳子さんの全てをもっともっと深く知りたい。


2010年06月07日(月)

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