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■ (日記) 一喜一憂
嬉しい事があると、生きてて良かった・・・と喜ぶ。 辛い事があると、もう、死んじゃってもいいかぁ・・・などと悲観したりする。 毎日毎日嬉しい事と辛い事がめまぐるしくやってくる。 それが人生っていうものなのかなぁ・・・・・・。
私のように小刻みに、日々変化する幸せと不幸。 酷い時は、一日サイクルではなく、さっきはとても幸せだったのに、今は究極の不幸になったりもするし、その逆もある。 一日に何度も幸せと不幸の時間を行ったり来たりすることもある。 そんな繰り返しも、平均すれば、幸せの水と不幸の水が入った器は、みんな、同じ大きさで公平に与えられているのかなぁ・・・・・・。
私には大きな成功も、死ぬような不幸もきっと訪れないのかもしれない・・・・・・。 幸せは小刻み。不幸は秒刻み・・・・・・。 それって何となく、裏寂しい気もする。 私はもっと劇的でエキセントリックな生涯が良い。 例え早死にしても、もっと人生に大きな波が欲しい・・・・・・。 中途半端や、無難な生き様は嫌いだ。
地震や台風などで今までとても幸せにしてたのに、一気に不幸が訪れる人も居る。 ああいう映像を見ていると、どちらが良いとも言えないけど、やっぱり幸せと不幸の器の大きさは人々に平均に与えられているのだろうか・・・・・・。 私のように小刻みのサイクルでソレがやってくる人と、一気にドカンと訪れる人が居るだけの違いなのだろうか・・・・・・。
最近そんなことばかり考えるようになって来た。
でも、不幸と言うのは、結構良いもんかも知れない・・・・・・。 不幸を味わえば他人(ひと)の不幸にも純粋に涙出来る。 不幸の痛みを知れば、人の痛みも解れる。 不幸を知ると言うことは、幸せをより感じられる要素にもなるのかもしれない・・・・・・。
今日は日頃の憂さや、不安を全て捨て去り、金子由香里のシャンソンに没頭して来よう。 小雨が降り、肌寒く、シャンソンを聴くにはもってこいのシチュエーションだ。 私の一番良い頃に聴いたあのシャンソン。 その頃に私を戻しながら聴いてこよう・・・・・・。
2004年10月26日(火)
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