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■ (日記) 懐かしい世田谷の思い出
一昨日の梅酒日記を読み直していたら、子供の頃の事を色々と想い出した。
世田谷区等々力の私の生家の直ぐ近所には、【トモさん】(←通称だと思うんだけど)と言う万屋(よろずや)さんがあり、駄菓子を中心に、缶詰やら味噌やら、チョットした乾物やら、惣菜などを売っていた。 駄菓子屋さんは子供の宝石箱。
あの頃私は、ぼんたん飴と、管に入った色とりどりのゼリーと、チェリー飴に嵌っていた。 後、スパゲティーのような太さの飴の真ん中に、もう一本、そうめんのような飴が入ってて、ソレをす〜っ♪と抜いて口で吹くと、粉が出ると言う10本入りくらいの飴もあった。仲良したちと原っぱに行ってはソレを吹いて遊んだ。 私は総攻撃を受けて、いつも粉だらけの顔をして家に帰った。
公園には紙芝居もやってきて、ソースせんべいや、ソースせんべいの皿に盛られた寒天なを食べながら、紙芝居を見ていた。 梅ジャムが人気だったが、私はいつもオレンジジャム・・・。 あの、いかにも身体に悪そうな、怪しげな色合いが溜まらない。
紙芝居屋さんには【抜き】と呼ばれるゲームもあり【平べったい粉菓子に様々な形の縁取りがしてあり、それを綺麗に抜いて遊ぶ】長い針のようなものを使い、夢中になって繰り抜いた。 難しい形を綺麗に繰り抜くと、高めの景品がゲットできる。 殆ど男の子達しかやってなかったが、あたしはソレに夢中で、手先が器用だった私は、高額商品を手に入れ、男の子達からいつも嫉妬と羨望の目で見られていた。 あの手先の器用さは、今は何処に旅立ってしまったのだろうか・・・・・・。 今じゃ、針に糸を通すのも至難の業だ。
家の前の道路には、おでん売りとかもやって来て、仲良しの裕子ちゃんは、はんぺんが好きで、その姉ちゃんのキミちゃんはこんにゃくが好きで、私はチクワブが好きだった。 三人合わせるとチビタのおでんのようになるけど、あんな形のおでんは、残念ながら、無かったなぁ・・・・・・。
そして豆腐屋さんのラッパを聞くと鍋を片手にすっ飛んで行き、豆腐やら厚揚げを買った。豆腐屋のおじさんがいつもサービスでがんもどきを2個くれるのだ。 ソレをお婆ちゃんに網でサッ! っと焼いてもらい、おろししょうがと大根おろしを乗せ、醤油を一たらし・・・。 コレが大好物だった。 金魚売・ポンポン菓子・おでん屋・豆腐屋・ラーメン屋など、色々な屋台がやってきた。 懐かしいなぁ・・・・・・。あの等々力の風景・・・・・・。 3日間で良いからあの頃に帰りたい。
追伸・・・。 今日はタナボタ・・・あ、いや・・・、七夕だ。 去年の日記には、フゥーリィーとキスしたことが書いてある。 あれからもう一年か・・・・・・。早いもんだなぁ・・・・・・。
今夜は、どうだべか・・・・・・。
2004年07月07日(水)
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