 |
 |
■■■
■■
■ (日記) 文章に現れる心
文章と言うのは正直だ。その日のコンデションや感情がどうしても顕著に出る。 そして書く人の性格の少し深い部分も、文章を読んでいると大方読めるようになってきた。 文章の中の心理を追求してみると、中々面白い発見がある。 そんなことが楽しくて、ランダムに色々な人の書いた物を勉強がてら読んでいる。
普通は文字よりも会話の方が心の内が見え易いと感じているかもしれないが、私は反対だと思う。文字のほうが断然正直な気がする。 会話と言うのは言葉のニュアンスや顔の表情の使い方である程度のごまかしがきくかも知れないが、文章は大体、その時の気分だけで書いているものだ。 要するに中身(心)だけが書かせるのが文章だ。 だから、その時の気持ちや心の揺れや感情などが、どう取り繕っても微妙に表れてしまうものだ。
私の文章もそうなのだが、後で読み返してみると、気の無い気持ちで書いた文章は気の無い事がはっきり伝わるし、いくら丁寧な言葉を使って書いても気分が乗らずに書いたものや、社交辞令で書いたものは、その手の文章からは全くといっていい程心が伝わって居ない事に気付く。 感情が高ぶって一生懸命書いたものは、自分で読んでも感情がひしひしと伝わってくるし、嬉しい気持ちで書いたものはその嬉しさが伝わってくる。 そう考えると文字使いって本当に難しいと思う。 本当に慎重に、かつ丁寧に書かないといけないもののような気がしだした。 (わざと乱暴に書いたような笑えるギャグ的文章にしてもだ) 私のHPに来てくれる人も、私のように、私の心の変化を敏感に感じ取りながら日記にしろ、BBSの返事にしろ、メールにしろ、読んでくれているんだろうなぁ・・・・・・。 そう思うと身が引き締まる。
ネットは文字のやり取りだけで殆どのコミニュケーションがなされる。 なので、だからこそ、余計にその文字の中にその人の心を敏感に感じ取ろうとするせいかも知れない。 それだけに文字は嘘をつけないものだ。
自分が書いた文章も、たとえ長かろうが短かろうが、相手に心がちゃんと伝わるように気をつけよう。 人に読んでもらうのが目的で日記を書いている以上は、その中に精一杯の心をおきながら書いていきたい。 本を作ろうなどと言うことが、もしかしてとんでもなく大それた、おこがましい事なのではないかと、少し不安になってきた。
2004年06月27日(日)
|
|
 |