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■ (日記) 少年犯罪に付いて一言
最近良く、極普通の子が犯す少年犯罪が増えて来つつある・・・。と報道されているけれど・・・・・・。 私にはその、極普通の子・・・と言う言葉の意味さえ良く理解できない。 何を基準に普通の子とか、普通じゃない子とかの判断をしているのだろうか・・・・・。
じゃぁ、ボランティアなんかにもニコニコ顔で参加出来るような生真面目な両親が揃っていて、両親が仲良しで、生活にも困っていなくて、子供の面倒を良く見ていて、そのお陰で子供の成績も中位で、悪い事は悪い。良い事は良い。そんな判断のできる子供が普通の子供なのだろうか・・・・・・。
じゃぁ、例えば、普通じゃない子と言うのは、片親だったり、その親が不真面目で遊び人だったり、両親が揃っていたりしても両親の喧嘩が多かったり、家が貧乏だったり、子供の面倒も見る暇が余り無かったり、そのお陰で子供が勉強も出来なかったり、それ故学校が詰まらなくてたまには悪い事もしちゃったり、かといって良い子じゃなくなりきるのも本人は嫌だったり、そんな子供は普通じゃない子供なのだろうか・・・・・・・。
そう考えると、ウチは代々、全く普通じゃなさ過ぎる。(笑) ウチは別にしても、離婚率が上がった今は、普通じゃない子の方が増えつつあるのではないか?
大体そもそも、普通って何だろう・・・・・・。 普通ってそんなに良い物なのだろうか・・・・・・。 普通の人は、本当は何処かしらで普通じゃなくなりたいんじゃ無いだろうか・・・・・・? 普通じゃない人は、結構普通に憧れたりもしているんじゃないだろうか・・・・・・? 皆多かれ少なかれ無いものねだりなんじゃないだろうか?
私は普通と言う言葉も普通であると言う事も、あまり好きではない。 皆が普通になってしまったら、なんと味気なく、彩りの無い世の中になるだろうか・・・・・。
目前に50歳に差し掛かろうとしている私が子供の頃は、日本が大きく変わった頃だ。 私達が思春期の頃から、日本がやたら豊かで自由になってきたような気がする。
でも、戦争経験のある、ある程度厳しい親や、学校の先生達に教えを受けてきた訳なので、まだまだ親や、先生や、警察が怖い時代だった。 でも、そんな大人たちだから人の痛みや人情話も知っている。 怖いけど、頼れる大人達も多かった。
あの頃から遊び人な親達も沢山居たのだろうけれど、そんな不良親達の質もどこか違っていた気がする。 そう言う人ほど、味と人間味が溢れていた。
そんな頼りがいのある大人たちに守られて、又、一緒に遊んでくれる親なども居て、私達が子供の頃は暗くなるまで外で真っ黒けになって遊んでいた。 自分の親が忙しくても、何処かしらの親が一緒に鬼ごっこや缶蹴りに付き合ってくれたりしていた。
そんな私達が中高生の頃、世界が一変し、愛と自由が叫ばれ始め、繁華街などが活気に溢れ賑やかになった。 この頃から普通の子と普通じゃない子の区別化をされるようになってきたのだと思う・・・・・・。 エリートと不良、こぼれない子と落ちこぼれとの差がグンと大きく開いた時期だ。 ご多分に漏れず私は遊び好きで勉強も嫌いだったので、落ちこぼれまっしぐら。
親はまだまだ威厳が有って怖い。でも、ウチの母は店を持ってたので夜は忙しい。 同じ棟続きに自宅があったが、チトそんな母の目を盗んじゃ、悪友とゴーゴー喫茶や新宿のサイケデリックな喫茶店などで遊び歩いたりし始めたのもこの時代だ・・・・・・。
そんな、豊かで自由化した私達の年代の今の大人達が一番中途半端で悪いような気がする。 国全体が、真面目から不良に移行した感じだ。(笑)
チト不良化した私達世代が産んだ子供達が成長する時代には、更に日本が豊かになり、そのお陰であちこちにビルが立ち並び、皆金儲けに必死で、少しでも良い暮らしをする事に必死で、共働きも増え、子供と向き合う事が徐々に減ってきた。 大人達が自分自信の身を守る事に必死で、子供の事が後先になって行く。
子供の教育やしつけを人任せにし出したのもこの頃じゃないだろうか・・・・・・。 学校任せ、塾任せ、親は更に段々子供と居る時間が減ってくる。 そして外で遊ぶ事との引き換えに、家の中で遊ぶ玩具が与えられるようになる。 家族でトランプなどしている家なども少なくなる。 子供は家にでは無く、自分の部屋に閉じこもり、TVゲームや携帯電話やパソコンなどに昂じ、親達は「こんなんで良いのだろうか・・・・・・」と、内心思いつつも、『皆が持ってるんだから買ってよ』と言う子供の言葉に負け、人と同じじゃなきゃいけないような気がしている日本人は、面目上ブツクサ言いながらも買い与え、一方では一緒に遊んでやらなくても良いので楽チンになって行く。 この時代を境に、一気に子供と親との距離が離れたような気がする。
私達の年代の大人達自体が、もう、普通ではないのかもしれない。 そして私達大人が今の子供達や教育を変えてしまったのだ。 金欲しさに子供達から健全な遊び場をどんどん取り上げておきながら、大人達だって夢中になるような面白いゲームを与えておきながら、やれ、家で遊ぶな、外は外で危険だから外でも遊ぶな・・・・・・。 これじゃ、子供達は一体何をどうすりゃ良いんだよ・・・・・・。となるではないか・・・・・・。
メンツや体裁ばかりを気にして、表面上だけ子供と向き合うフリをしている。 やれ子供に手を上げてはいけないとか、子供を叱りつけてはいけないとか、ちょっと手を上げた途端に虐待とか何だとかと騒ぐ。 騒がれるのが怖いから、真の意味での体罰もおいそれと出来なくなる。 自分達でそう言う決まりを作っておきながら、自分たちががんじがらめになっている。
なので、心同士の繋がりをアッチに置き去りにして、双方がおっかなびっくり牽制し合い、遠慮し合い、探り合ってるばかりでどんどんどんどん大人と子供の距離は開くばかりだ。 しかも、今は不況で、いつリストラされるか解らない。 お金が無くては生きてはいけない世の中なので、大人は大人で生活の確保に躍起になって、大人たちもイライラが募り不安だらけだ。 子供はそんな親に遠慮し、八つ当たりされ、家や親から離れて行く。 そんな亀裂でお互いにストレスばかりを溜め込み、発散場所を互いに間違う。 そのうち、段々訳が解らなくなってどっちも互いに互いの存在を諦め合ってしまう。 親は子供を新人類だと凝視し、子供はどんどん親を「つかえねぇ〜」と、必要としなくなる。
そんな親とのあり方や、人間の関わり方が解らなくなってしまった今の世代の子供達が親になったら、どんな風になってしまうのだろう・・・・・・。 私達世代からは、どんどん悪くなるばかりじゃないか・・・・・・。
話が最初に戻るが、一番最初に揚げた普通の子・普通じゃ無い子の家庭像が有るとしたら、私の家庭は圧倒的に下のほうに属する。いや、それ以下かもしれない。 なので、私自身も、私の子供も、一歩間違えば、何がしかの事件を起こしていたかも知れない。 私もかろうじて犯罪は犯さなかったが、息子にしても20まではハラハラドキドキだった。 又、いじめや嫌がらせなどは、私達の子供の頃だって、普通に有ったのだ。 誰でも一度や二度は、悔しい思いや辛い思いをさせられた経験が有る事だろう。
でも、怒りや悔しさを殺意にまで変えなかったのは、親や学校や警察が怖かったと言う事と、今よりももっと子供と心で向き合ってくれる大人がちゃんと居てくれたからだろうと思う。 もしもこれ以上やってしまったら、もう自分で自分が許せなくなる・・・。自分の全ても無くなってしまうと言う事の恐ろしさや、人や物に対し優しさを持つ事の心地よさや重要さと、自制心を持つ事の尊さをいつもちゃんと大人達が心と身体で教えてくれていたからだと思う。 例え親や先生にぶん殴られても、ぶん殴りながら親や先生が泣いてたのを見てきたからだ。ぶん殴っている方も痛みを伴いながらぶん殴っていたからだ。
最近の報道のあり方にしても、疑問を感じる。 TVが犯罪を煽っているようにも思う。 バラエティーの世界そのものが、半分はいじめだし、そんな番組をイッパイ作っておきながら、一方同じチャンネルの報道番組では犯罪を犯した子供が居ると、先ずは一方的に学校や親を攻める。 一般家庭における複雑な絡みなどはあまり調べようともせず、又、その家の様子などを聞きかじっただけの知らないはずのコメンテ−ターなどが、自由に偉そうに意見を述べている。 何も解っちゃ居ないくせに、家庭環境だけで普通か普通じゃないかを判断し、ともすれば、犯罪そのものを「ストレスが生み出した犯罪なんですねぇ・・・」等と同情めいたコメントを与える人さえ居る。 そんな事を言えば、ならば僕だって、ならば私だって・・・・・・と、子供なんて犯罪を犯しちゃっても良い様な気分になっちゃうじゃないか・・・・・・。
皆、他人に付いての不幸やあり方に付いては無責任に偉そうに意見する。 明日はわが身だと言う事を内心不安に思いつつも、人が渦中に立たされているうちは自分の身は安全かのように、人の事ばかりを言いたがる。 きっと私達大人が駄目だから、今の子供達も駄目にさせているんだろうなぁ・・・。
命の尊さを教えるのにも、命は尊いものだから・・・と、ただその言葉自体を上辺で繰り返すのではなく、もっと具体的に解りやすく楽しく教えてあげれば良いのに・・・・・・。 何しろ、家も学校も子供にとっては詰まらない所になって来ていること事態が問題だと思う。 ストレスをイッパイ抱えた大人達とストレスをイッパイ抱えた子供達が平行線で歩いて、これじゃイツまでも交われない・・・・・・。
コレは決して偉そうな意見でも何でもない。自分自身の反省も込めて、今の風潮への不安を感じたままを書いたものなのだ。 私は自分自身がイツ転がり落ちるか解らない人間だし、人の事などとやかく言う資格も無い。 ただ、何かが狂い始めてる事は確かだと思う。 だからと言って、此処までになってしまったら、どうすりゃ良いかも正直解らない・・・・・・。
今日のみそひともじ
道徳の 科目無いのは イツからか? あれはやっぱり 有ったほうが良い
2004年06月06日(日)
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