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■ 書評 【蛇にピアス】
うなった・・・・・・。
読み終わった瞬間「う〜〜〜ん・・・・・・凄い!!」と、思わずうならされた。 凄い作家が飛び出たもんだと素直に喜び、素直に驚愕した。 本の中にこれほど強く、一気に引き込まれたのは何年ぶりだろうか・・・・・・。 読み始めた途端、その世代の私にタイムスリップしていた。
昨日感想を書いた【蹴りたい背中】は4日掛りで、しかも休憩を何度も挟みながら読んだのに比べ、この本はトイレに行く間も惜しみ、一気に読み終えてしまった。 (蹴りたい背中が劣っていると言う意味では決して無いのだが、文章に読者を引き付ける迫力が違い過ぎる)
【悪魔のような筆力を持った天使の心の作家】と言う気がする。 私は自分の息子よりもまだ若いこの作者の、人間の心の芯の部分を読み取る洞察力の鋭さに、完全に脱帽してしまった。 この作者はきっと、笑顔の裏の痛みや、微笑みの裏の悪意や、明るさの裏の絶望や、発言の中の沈黙等を、瞬時に読み取ることが出来る繊細な女性なのだろう・・・。
この作品はイマドキの子の単なるノリで書かれた作品では決してなく、私にはこの作者に【きっと魂で物が書ける希少な作家になれる】と言う未来性が感じられる。
今回はこれから読む人も居ると思うので、ストーリーに関しては一切触れないし、文章の引用もしない。 ただ、私のこの本に対する想いだけを書きたいと思う。
ストーリーや表現法【こんな表現、通るようになったのかなぁ・・・? とは思ったが、そのまま販売されていると言うことは通るようになったのだろう・・・】に、多少の荒削りさは感じたが、そんな事はもう、この際どうでも良い・・・・・・。
作者の魂が私に乗り移り、それぞれの登場人物達が、ブラックホールのような絶望的な孤立した世界の底で、自分が生きている意味を必死で模索している健気な姿が痛いほど伝わって来て、私は読みながら思わず声を出して泣いていた。 余りに愛しく、余りに悲しく、余りに優しく、余りに残酷なこの世界を、たった19歳の少女がいとも見事に書き上げたと言う事に、私は強いショックを覚えたし、又、手垢の付いていない19歳だからこそ、こんなにもストレートに書けたのだろうとも思う。
主人公のルイも、アマも、シバも、きっとそれぞれが神の域に近いほど優しすぎる人間達なのだろう・・・・・・。(私には3人が全て主人公のように感じられた) そして、とてつもなく寂しいのだろう。 神には優しさだけではなく強さもある。でも、優し過ぎる人間達はきっととても弱いのだ。過ぎるところに弱さが生まれてしまうのだ。
弱い人間達はその弱さや自分達が生きている証を、そんな人間同士の中でしか見出せないし許し合えない。 一塊に固まり、互いの傷を舐め合い、そんなアングラな世界の中でもやはり神の優しさに近い人間ほど蹴落とされて行くのだろう・・・・・・。 一番神に近い存在でありながら、強さを持てない為に、永遠に神にはなれないと知りながらどんどん落ちて行く・・・・・・。
もしかしたらルイは優しさだけで男と寝られる少女なのかもしれない。 SEXや快楽や恋愛などと言う通俗的な欲望からではなく、神の慈愛に近い優しさからだけで・・・・・・。 きっと相手がホームレスであろうが、老人であろうが、エイズ患者であろうが、ライ病の患者であろうが、その人が必要とすれば・・・、一瞬心が触れ合えば・・・、一緒に寝、交わり、抱きしめ、キスをしてあげられる事の出来る堕天使なのかも知れない・・・・・・。 私はルイの中に、何の駆引きも罪悪感も無い、そんな悲しいまでの無償の優しさと刹那さを見た気がする。 死さえ恐れず、・・・と言うよりも、とことん転がり落ちる事を選ぶ自虐の中で、生きる事への執着も無く、死ぬ事さえ、もうどうでも良いと言う程に傷み切っている・・・・・・。
でも、ルイは物語の最後でもう一度生きることを望む。 ルイはこの先、少しずつ生きる為に優しさを捨てて行くのかも知れない・・・・・・。 したたかさも少し身に付けるのかも知れない。
私が17歳の頃・・・。かつてヒッピー仲間達と遊んでいた頃、私の仲間にそんな女の子が一人居た。 詩人願望だった彼女は、何時もラリってて、寂しい人々に優しさを与える度、自分がボロボロになって行き、やがてはビートルズのレコードに針を置き、ガス管を咥えて旅立った。 たった18歳の若さで・・・・・・。
私はこの本を読み始めると不思議な感覚にとらわれ、途端にあの頃の私に戻っていた。 そして本の中に滑り込み、作者や登場人物達と同じ目線で本の中のアンダーグランドの世界に立っていたのだ。 物語の中のシバが経営する(desire)と言う怪しげな店の雰囲気も、お香の匂いも手に取るように感じられた。 気だるげにやせ細り、ビールを片時も放さないうつろな暗い眼差しのルイや、寂しさゆえ悪になりきれない、ちょっとひ弱でお人好しの赤毛のアマや、むっつりと寡黙でありながら、残酷な瞳の奥に虚しさで湧き上がっている涙の泉を湛えているシバ達と、しばし一緒に戯れて現実の世界に返って来た。 3人ともとても悲しかった・・・・・・。 3人ともとても寂しかった・・・・・・。 3人ともとても愛しかった・・・・・・。
昨日感想を書いた(蹴りたい背中)にしても、今回の(蛇にピアス)にしても、共に、心の飢えや、虚しさや、何も解ろうとしてくれない社会を見限って書いた、ある意味、心の叫びを訴えた作品だと思う。 本来なら、夢多きハツラツとした世代の少女作家達に、氷河期のような今の日本がこのような小説を書かせているのだろうか・・・・・・。 そして、バラ色の夢に溢れた奇麗事だけの作品ではなく、このようなハードでダークな作品が、こぞって直木賞を受賞すると言う事は、審査員はじめ、読者達にも、共感できる部分が多いからなのだろう・・・・・・。 皆が同じ種類の危機感や鬱憤を抱えているのかも知れない。 皆がこの19歳の幼い少女達の作品を盾にし、今の社会に抵抗している現象のようにも思える。
私は両者の作品の、それぞれの部分に強く共感した。 それは、その手の炎が私の中の心の中の引き出しに、未も燻り続けているからいるからだろう・・・・・・。 特に(蛇にピアス)の作者は若くして、一度転落し掛けた人間は、とことん転がっていくしか術の無い事を、19歳と言う若さでもう知ってしまっているのかもしれない。
この作品は大好きだと言う人と、大嫌いだと言う人と、極端に分かれるだろう。 そして大好きだと言う人は大嫌いだと言う人の気持ちが理解できないだろうし、大嫌いだと言う人は大好きだと言う人の気持ちが理解できないのだろうと思う。 読み手の心に、この世界に通じる灯が点っているかいないかで、大きく分かれるような気がする。 人間の弱さを解れるか解れないかでも、随分変わってくるだろう。
世の文芸社会の単なる話題取りに踊らされないで、利益だけの目的によだれをたらしている汚い大人達に操られないで、これからも純粋で素直な心の叫びを、ずっとずっと描き続けて欲しい。
直木賞は終点では無い。 コレからが出発だと思うと、この先、本当に苦しい場面も沢山出てくるだろうが、ぜひその素晴らしい感性に磨きを掛け、これから起きる様々な困難にモミクチャにされる事なく、自由に大きく羽ばたいて行って欲しい。
そして50間近で、未だ生きる事に疲れ果て、生きる意味を模索中の私は、一つ深い溜め息を吐き、今夜のおかずを考えて、財布の中身を見ては途方に暮れるのだ。
2004年04月16日(金)
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